広岡裕児「EU騒乱」(3)

 
 第2章「EUとギリシャの危険なドラマ」
 2012年、アテネの広場で77歳の老人が拳銃自殺した。「自分は高齢でもう抗議活動をすることはできないが、ゴミ箱をあさるようなことをようなことをしないで生きるという威厳ある生き方をまっとうするためにはこうするしかない」という遺書を残して。すでに癌の末期であったということであるが、その遺書には「将来のない若者がある日、武器を取って裏切り者たちに反乱をおこすことを信じている」とも書いてあった。
 EUとEUB(欧州中央銀行)とIMF三者トロイカといわれる。それはギリシャに緊縮財政を強いていた。ギリシャでは家族の絆がまだ強く残っているので、家族同士の扶助がかろうじて生活を支えていた。ギリシャの世帯所得は2014年には月収640ユーロ(6〜9万円)にまで落ちていた。親の年金が唯一のたよりというものも多かった。失業率は2014年末で、26%、25〜29歳では41%、15〜24歳では52%である。フランスでは探せば職があるのに生活保護をもらっている者も多いが、ギリシャでは本当に職がなかった。
 2009年10月、ギリシャの新政権が前政権がEUに報告した2008年度の財政状態の数字に誤りがあったことを報告した。しかしギリシャ粉飾決算はこれがはじめてではなかった。なかでも問題なのは2000年のゴマカシである。1999年ユーロ発足時に、ギリシャはユーロ導入のための基準をみたせなかったため、ユーロ参加国に加われなかった。しかし2000年には改善を報告してユーロ導入が認められた。このゴマカシはアメリカの投資銀行の指導によるとされる。
 ギリシャの脱税の多さ、輸出の低さ、個人債務の高さ、公務員数の多さとその厚遇、統計数字のでたらめさなどは、すべて格付け会社や金融機関には周知のことであった。しかしドイツやフランスの銀行はどんどんと貸し付けた。2004年のオリンピックがこれに拍車をかけ、バブルがどんどんとふくらんでいった。2008年のサブプライム危機、リーマンショックで、バブルがはじけ、ゴマカシが発覚した。
 危機を打開するためにギリシャはEUに支援を求めた。トロイカはさらなる緊縮財政を要求した(消費税の21%への引き上げ、公務員ボーナスの30%カット、年金凍結、燃料税やタバコ税の値上げ等々)。
 5月には1100億ユーロの支援がきまったが、これは貸付をしていたドイツやフランスの銀行を救うためという側面もあった。
 ギリシャの財政は改善しなかった。トロイカの要求はさらに厳しくなった。長期で国債を保持していた年金基金個人投資家はきわめて大きな打撃をこうむった。
 2012年、欧州中央銀行のドラギ議長の「ギリシャなど危機に陥った国の国債を無制限に市場で買い支える」という発言で、危機はいったんは収束した。もともとこの危機は投機筋がギリシャの「ゴマカシ」を口実に投機に走ったことが原因として大きかった。
 2015年1月の総選挙でシリザ(急進左派連合)の40歳の党首チプラスが首相になった。日本あるいはフランスのマスコミはシリザをフランスのFNや英国の連合王国独立党と同じようなものとあつかう傾向があるが、シリザはEUからの離脱は考えていない極左政党である、この極左政党がFNに近い右派と緊縮財政反対の一点だけで一致をみて連立したというあやうい連立政権である。
 ギリシャ支援というが、これは貸し出しであり、1.5から5%の利子をつけて返済しなければいけないものである。政権が極左政党が主導しているということで、市場からの資金調達は困難で、トロイカからの支援のみが頼みの綱となった。そのトロイカは緊縮財政を要求している。新政権は緊縮財政に反対という点のみでできた連合政権である。チプラスは国民投票で緊縮財政反対(62%が反対)という国民の総意をえたうえで緊縮財政を受け入れるという綱渡りで乗り切ろうとした。ギリシャ国民はEUからの離脱は望んでいないということに賭けたわけである。すったもんだの末、ギリシャのユーロ残留が7月に認められることになった。消費税は21%から23%に引きあげられた。日本では8%から10%への引き上げさえ大問題になっていることを考えると、チプラス首相の緊縮財政緩和要求を暴論ということはできない。
 広岡氏はいう。いままでのギリシャがいかに国家の体をなしていなかったかということでもある、と。ギリシャは冷戦時代にソ連艦隊の基地のある黒海の出口にあり戦略上重要であった。したがってアメリカは軍事独裁政権をも支持しつづけた。1981年のEU加盟は、アメリカに対する欧州の影響力を確保するためという理由が大きかった。ギリシャの歴代政権はEUからの補助をいいことに、選挙の支持者を公務員に採用するとか、オリンピックでの利権や汚職社会保障での大盤振る舞いをしてきた。外国への資産隠しも横行するという腐敗した政治状況が国際金融資本や投資家につけいる余地をあたえたのである。
 今、EUに加盟するには「アキ」と呼ばれる膨大な条件をクリアする必要がある。これは本来、EUが東欧に拡大することを念頭に、市場開放と西欧型の民主主義の原則を樹立するために2004年につくられたものである。本来、ギリシャにも「アキ」が適応されることが必要なのであった、というのが広岡氏の見解である。広岡氏は「国民の管理と汚職しか知らない共産圏のメンタリティ」ということをいう。
 ギリシャ国民はなによりもEU残留をのぞんでおり、緊縮財政は大いに不満であるが、EU離脱よりはましとして、現政権をかろうじて支持している。
 
ギリシャのことについてはほとんど何もしらないので、ここで書かれていることの判断をする能力を欠くのだが、チプラスというひとはなかなかの政治家であるように感じる。
 ここを読んでいて変なことを思い出したのだが、だいぶ前に美濃部亮吉というひとが都知事だったことがあり(1967年初当選で1973年まで 社会党共産党支持による革新統一候補)、大変な人気であった。老人医療費無料化などという今から思うと信じられないようなことをして都の財政を大幅に悪化させたらしい。美濃部氏は経済学者(マルクス経済学者)であることになっていたのだと思うが、経済については何も知らなかったのかもしれない。国というものが無限にお金のでてくる打ち出の小槌をもっていると思っていたのではないかと思う。チプラス以前のギリシャの政治家もやはりEUというのが無尽蔵の資金を持つ打ち出の小槌をもっていたと思っていたのではないだろうか?
 ここでの記述を読んでも、ギリシャの歴史は冷戦構造と深いかかわりがあったことがわかる。わたくしが本当に不思議なのは、ソヴィエトの崩壊からいくらもしないうちにコミュニズムとか社会主義というものが、そういえばそういうものもあったねというような忘れられた過去といったあつかいをされるようになり、現実の議論からはいきなり消えてしまったということである。わたくしの前半生にはマルクス主義というものが非常に大きい現実的な力を持っていたことはまぎれもない事実なので、不思議でならない。マルクス主義の陣営で論をはっていたひとというのは今どうなってしまっているのだろうか?
 日本はいまとんでもない借金を抱えているらしい。ギリシャの比ではないらしいのだが、経済学者のいうことも、それで全然かまわない派からただちに緊縮財政派までさまざまなようである。IMFは緊縮財政派で、さまざまな国で財政再建を指導して、あちこちで大きな恨みをかっているようである。あるとき日本もIMFの指導下に入るというようなことがあるのだろうか?(消費税をいきなり20%にしろ!とか)
 広岡氏もギリシャという国が近代国家としての体をなしていなかったということをいい、同時に東欧諸国もまたそうであったとしている。しかしかつてはソ連を理想の国家とするひと、文化大革命を礼賛するひと、北朝鮮を天国であるとするひとなどが広範に存在していたわけである。今、たまたま目にしている関川夏央氏の「人間晩年図鑑 1995−99年」に在日コリアンの「帰国運動」にたずさわった活動家のことがでているのだが、そこに1972年に北朝鮮(当時は朝鮮民主主義人民共和国といわなければならないことになっていた)を訪れた美濃部東京都知事がこんなことを言っているのが紹介されている。「キム・イルソン首相の指導されておられる社会主義建設にはまったく頭がさがるばかりで、感心しています。資本主義と社会主義の競争では、平壌の現状を見るだけで、その結論は明らかです。われわれは資本主義の負けが明らかであると話し合いました。」 これは雑誌「世界」にのったものらしい。
 わたくしは自分が生きていうちにソ連という国が世界から消滅するというようなことがおきるとは、ソ連崩壊の直前まで夢にも思っていなかったので、1991年の事態にはただ呆然とするばかりだった。
 そしてギリシャという国が現在のような混乱した状態になっているのは、ソ連への対抗に重要な地政学的な位置に存在する国であることで、国家の体をなしていない国を黙認してきたことが深くかかわっているらしいのである。
 その一方で広岡氏は資本主義の現状を深く憂慮しているので、グローバルな資本主義が、格差を拡大させてきていて特に若い世代が将来を展望できない状況に陥っていることがEUの現在の混乱の最大の原因であるとしている。冒頭の自殺した老人の予言がヨーロッパで、また日本でも現実のものになっていく可能性を真剣に憂慮している。
 たとえば赤木智弘氏の「若者を見殺しにする国」などには、すでに若い世代からのそういう発言がみられるわけである。「いまでこそフリーターは、私のように親元で生活できている人も多く、生死の問題とまで考えられていないのですが、親が働けなくなったり死んだりすれば、確実に生死の問題となります。」
 EUというのは明らかに知識人の夢のなかから生まれてきたものである。しかし現実世界の動向がその夢と大きな齟齬をきたしている現状がある。ということで次章の「「共同体」の選択」には、EUをという組織を生み出すことになった知識人を論じている。
 

EU騒乱: テロと右傾化の次に来るもの (新潮選書)

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人間晩年図巻 1995-99年

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若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か

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