漢文の世界

 最近、老眼がとみに進んで、細かい活字の本を読むのがつらくなり(一番つらいのは「今日の治療薬」といった細かい活字がぎっしり組まれたリファレンス本)、読書量が減ってきて本の感想だけでは間があきすぎるようになってきたので、すこし以前の話なども書いて穴埋めをしていこうかと思う。
 わたくしが医学生から医者になるころに「醫事新報」という雑誌があった。(今でもあるだろうと思う。) 医者の雑誌なのだが学術雑誌というより医療をめぐる随想とか意見交換とかを載せる雑誌で、何しろ、日本語縦書きだから、わたくしなどよりずっと年輩の先生方が主に論文を寄せていた。そこに投稿欄があって、漢詩を寄せている先生がすくなからずいた。漢詩を実作している方がまだまだいたということである。五言絶句とか七言律詩とかが実際に載っていた。これはもうわれわれの世代には確実に失われた世界である。
 わたくしが中高を過ごした麻布学園というのは変わった学校で、中一から高三までずっと漢文の授業があった。学校としては道徳教育の代用と思っていたのかもしれないが、とにかくそれだけやっていれば、少しは漢文にも慣れるわけで、わたくしが受験で一番点が稼げたのが漢文だった。それで、「力山を抜き 気世を蓋う 時利あらずして 騅逝かず 騅の逝かざるは奈何ともすべし 虞や虞や若を奈何にせん」などという章句を思い出すことができる。それであっても、われわれの世代で漢詩を実作しているひとはまずいなかっただろうと思う。
 菅茶山の「風軽軽 雨軽軽 雨歇風恬鳥乱鳴 此朝発武城 人含情 我含情 再会何年笑相迎 撫躬更自驚」という告別の詩を知ったのは吉田健一の「文学の楽み」でであったと思うが、同じ吉田氏の別の何かの本で、この菅茶山の詩の韻律が、中野重治の「雨の降る品川駅」と同じなのだという指摘を読んだ時は、本当に驚いた。
「辛よ さようなら/ 金よ さようなら/ 君らは雨の降る品川駅から乗車する/ 李よ さようなら/ もう一人の李よ さようなら/ 君らは君らの父母の国にかえる・・・」 確かに言われてみればそうだし、これも中野重治の詩もまた告別の歌なのだけれど、何しろ、「日本プロレタリアートのうしろ盾まえ盾/ さようなら/ 報復の歓喜に泣きわらう日まで」であるから、吉田氏の説には意表をつかれた。
 たとえば、「豪傑」という詩を読めば、中野重治という人もまた漢文脈の人だったわけである。「むかし豪傑というものがいた/ 彼は書物を読み/ 嘘をつかず/ みなりを気にせず/ わざをみがくために飯を食わなかった/ うしろ指をさされると腹を切った/ 恥ずかしい心が生じると腹を切った/ かいしゃくは友達にしてもらった/ 彼は銭をためるかわりにためなかった/ つらいというかわりに敵を殺した/ 恩を感じると胸のなかにたたんでおいて/ あとでその人のために敵を殺した/ いくらでも殺した/ それからおのれも死んだ/ ・・・/ 彼は心を鍛えるために自分の心臓をふいごにした/ そして種族の重いひき臼をしずかにまわした/ 重いひき臼をしずかにまわし/ そしてやがて死んだ・・・」 これは武士の倫理である。そして漢詩の世界もまた町人ではなく武士の世界である。
 渡部昇一氏が、われわれの道徳観は、孔子の『論語』の「子路第十三」の逸話、「葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。其の父、羊をぬすみて、子これを証す。孔子の曰わく、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為めに隠す。直きこと其の中に在り。」の中にあるのだということを言っていた。
 ここで突然、変なことを書くが、最近話題のゴーンさんの言動を見ていると、中野重治の「豪傑」や論語子路篇」の世界とは真逆な世界にいる人だと思う。ゴーンさんはグローバル・スタンダードの世界にいる人で、国境などというものや国籍などというものに囚われることがただもう不愉快で仕方がなく、パスポートなどというものなしに自由に国境を超える鳥や獣とくらべてなんと人間は不自由なものだろうと思っていると思うが、同時に日産を建て直してやったのに報酬はたったこれだけかと思って、国際標準からみればまったく普通で正当な金額を懐に入れただけなのに、何でこんな目に合わなければならないのか心底不満で納得できない思いを抱いているのではないかと思う。しかし「うしろ指をさされると腹を切る」人間では決してなくて、あの記者会見のように、猛然と機関銃のように自己の正当性を述べ立てるひとである。「種族の重いひき臼」など薬にもしたくない人である。
 わたくしは村落共同体的なものがとにかく苦手で、ただただ会社生活的なものから逃げるために医者になったような人間だけれども、それでもゴーンさんのようなひとには絶対に傍にきてほしくないと思う。「俺の目を見ろ何にもいうな」という世界は苦手でも、「以心伝心」の世界で生きるは楽だと思う。
 自分の中に中学高校で接した漢文的世界がどのくらい残っているのかはわからないけれど、日本の文化の根というのはやはり武士の倫理であると思う。「武士は食はねど高楊枝」である。
 などといっていると、これからの世界から落ちこぼれる一方なのだと思うけれど、もともと自分が多数派であるなどと思ったことは一度もないわけだから、それは甘受するしかないのだと思う。

 カテゴリーのタイトル「かつてアルカディアに」というのは、プーサンの絵「アルカディアの牧人たち」に描かれている墓に刻まれた碑文「Et in Arcadia Ego」、これはどうも「メメント・モリ」というようなことらしいのだが、単に「わたくしはかつてアルカディアに生きた」という解釈もあるのだそうで、後者の意味合いとして、昔のことを少し書いてみようというようなつもりをあらわしたつもりである。別に昔はよかったというつもりではない。
 このプーサンの絵は、ルーブルで見たが、割に小さな目立たない絵だった。