中国 その2

 なにしろ中国は大きな国である。日本の何倍あるのだろう?

 狭い日本でさえ、北海道と九州、東北と四国、東京と京都では随分と違うだろう。
 
幕末、薩摩の武士と京都のお公家さんの間では全く言葉が通じず、漢文で話しあったという。そうであるなら広大な中国の端と端では地の言葉同士での話ができるとも思えない。

 中国で科挙というトンデモない制度(わたくしはその一端を浅田次郎氏の「蒼穹の昴」で教えられた。最近その続編として「天子蒙塵」が書かれているのを知り、ぼちぼち読み始めているところである。)が出来たのも、トップの人間には共通の素養をもたせなくてはいけないという背景があったのではないだろうか?

 現在の中国の官僚に共通の素養というのは何なのだろう? 毛沢東語録? 習近平語録?? まさか四書五経ではないだろうが・・。
 「朋あり遠方より来たる。また楽しからずや」 この遠方というのはどのくらいの距離なのだろう?

 昔なにかで、中国の歴代王朝が支配していたのは都市だけで農村部には支配がまったく及んでいなかったというようなことを読んだことがある。農村部を支配していたのはそれぞれの都市で、中央の王朝はその都市を管理するだけだったと。

 そうであれば、鼓腹撃壌などという言葉は今でも通じるのだろうか?