中国  その3

 ひどい話だと思うけれど、わたくしが思い浮かべる中国というと、どこかの山奥で白い長い髭を伸ばした老人が杖をついて月を見上げているというような光景であり、また李白杜甫の詩である。政治から逃げた世界というか、現実から逃避した世界というか・・。孔子様だって仕官を求めてならず、流浪を続けた人間だった。
 日本の文人で《まつりごと》に参画することを求めてならず、やむを得ず文人になったというような人は多くはないように思う(小説を書くことが政治活動だと信じていたひとは多くいたと思うけれど・・)。

「豪傑」
 むかし豪傑というものがいた
 彼は書物をよみ
 嘘をつかず
 みなりを気にせず
 わざをみがくために飯を食わなかった
 うしろ指をさされると腹を切った
 恥ずかしい心が生じると腹を切った
 かいしゃくは友達にしてもらった
 彼は銭をためるかわりにためなかった
 つらいというかわりに敵を殺した
 恩を感じると胸のなかにたたんでおいて
 あとでその人のために敵を殺した
 いくらでも殺した
 それからおのれも死んだ
 生きのびたものはみな白髪になった
 白髪はまっ白であった
 しわがふかく眉毛がながく
 そして声がまだ遠くまで聞えた
 彼は心を鍛えるために自分の心臓をふいごにした
 そして種族の重いひき臼をしずかにまわした
 重いひき臼をしずかにまわし
 そしてやがて死んだ
 そして人は 死んだ豪傑を 天の星から見わけることができなかった

 この中野重治の詩は中野氏にとっての政治というものであったのだと思うし、中野重治は一生政治に翻弄され続けてその生を終えたのだと思うけれど、現実政治の側からみればこんなのは感傷にすぎず、ただ利用すべき一兵卒のたわごとに過ぎなかったであろう。
 わたくしがこの詩を読むと頭に浮かぶのは、山奥で白い長い髭を伸ばした仙人のような老人である。しかし今の中国の現実の政治家の姿をみて、仙人の像が頭に浮かぶことはない。

 峨眉山月半輪の秋
 影は平羌江の水に入りて流る
 夜清溪を発して三峡に向かう
 君を思えど見えず渝州に下る

 国破山河在
 城春草木深
 感時花濺涙
 恨別鳥驚心
 烽火連三月
 家書抵万金
 白頭掻短
 渾欲不勝簪

 こちらは書き下しはいらないと思う。

 ところで高島俊男氏によれば毛沢東は大詩人でもあったのだそうである。(「中国の大盗賊・完全版」講談社学術文庫
 完全版というのは最初の版では、毛沢東もまた歴代王朝の簒奪者同様大盗賊の頭領であったとした章が収載を許されなかったからで、時代はかわりようやくその章をふくむ「完全版」の刊行が許されるようになったということのようである。
 文化大革命のころには、これで地上に天国が来ると感涙にむせんでいるひとがたくさんいた。さすがに習近平氏が地上に天国をもたらすと思っているひとは、もういないのではないかと思う。いい時代になったものである。共産主義の夢は醒めたのである。
 ところでいまだに共産党の名前に固執する日本共産党はなにを思っているのだろうか?「科学的社会主義」とか「前衛」とか・・。わたくしには「物質」を神様にする宗教運動としか思えないのだけれど。中国共産党員は共産主義をいまだに信じているのだろうか? それとも中国共産党は「フリーメイソン」組織のようなものなのだろうか?
 そういえばモツアルトに「フリーメイソンのための葬送音楽」という厳粛な曲があった。
 自分が死んだときにこれを流してほしいという人は少なくないようである。(武満徹の「波の盆」がいいという人もいるけれども・・)