昭和22年生まれ

 わたくしは昭和22年1月23日の生まれである。
 年表(昭和・平成史 新版 岩波書店)を見ると、生まれてすぐの1月28日に「吉田内閣打倒・危機突破国民大会というのが宮城前広場で開かれて30万人が参加とあり、1月31日にはマッカーサー元帥が2.1スト中止声明を発表とある。
 騒然とした時代であったのであろう。同年5月3日には日本国憲法が発布されている。生まれた時はoccupied Japanの時代であったわけである。昭和25年には朝鮮戦争が始まっているが、もちろん三歳の子供がそんなことを記憶しているはずもない。日本の戦後の回復は朝鮮戦争の特需によるものだろうから、未熟児で生まれたらしいわたくしは朝鮮戦争があって生き延びられたのかも知れない。
 中華人民共和国の成立が昭和24年である。27年には日米安保条約が発効しているが、血のメーデーも昭和27年である。
 とにかく大変な時代であり貧しい時代であったのだろうが、父が小児科医で米軍供出のミルクなどが手に入ったためか、幸いにもひもじい思いをした記憶はない。覚えているのは炬燵と蚊帳である。蚊帳をつっていたのはいつ位までだったのだろうか? 炭というのもいつまで使っていたか?
 入手した「年表 昭和・平成史 新版 1926―2019」の最後は平成31年である。記述の最後が4月30日の明仁天皇退位。わたくしは昭和の戦後と平成の子であったわけである。どうも令和というのはいまだにピンとこない。(平成もそうなのだけれど)
 昭和の終わりはよく覚えている。その日はゴルフの予定で、行きの車でラジオをつけたら、「崩御されました。」と言っている。「今日ゴルフはまずいですかね? とにかくむこうに着いたら相談しましょう」ということでゴルフ場についたら、支配人のようなひとが、今日はこれを着けておまわり下さい、といって喪章を差し出した。用意の良さにびっくりした。昭和の終わりの鮮やかな記憶である。