昭和22年に生まれて

 わたくしは現在76歳で、昭和22年生まれ、敗戦後2年である。もちろん、わたくし自身は覚えているはずもないが、日本がまだ極度に貧しかった時代で、わたくしはかなりの未熟児として生まれたのであったのだそうである。小児科医であった父が病院からくすねてきた(おそらく米軍供出の)ミルクで生き延びたらしい。
 自分の記憶は小学校入学の前あたりからで、朝鮮戦争はとっくに終わっていたのだから、記憶にある戦争はベトナム戦争くらいかも知れない。(もちろん中東での戦争はあったわけだが、東南アジアと西欧圏以外は視野に入っていなかった)
 むしろ記憶にある戦争??は大学紛争(闘争)かも知れない。しかし、これは棍棒ゲバ棒といった)と投石による模擬戦争であるから、弥生時代以前の形態かもしれない。
 以上のように、本当の戦争を身近に感じることなしに生きてきた。
 1991年ソ連があっけなく崩壊した時には心底驚いたが、これは西側の価値観に東側が敗れたので、これからは西側の価値観が世界を覆っていくのだろうと呑気なことを考えていた。わたくしの視野にはアメリカ・ヨーロッパ・東南アジアしか入っていなかったわけである。
 西側の価値観とは何か? クンデラのいうところの「ミニスカートを履く自由である。仮にミニスカートを苦々しく思うひとがいても強権的にミニスカートをやめさせることは出来ないということである。(これについてわたくしが不思議に思うのは、昨今、芸能人が愛人を作ったといったといったことが大々的に報道されることである。法にふれることではないのだから誰もそれを咎めることはできないはずなのに。そもそも、取材している人間のがわはみな聖人君子なのだろうか? 遺伝子検査をすると、生まれてくる子供の父の三分の一は法律上の配偶者ではないのだそうである。
 話がそれたが、どうもロシアには個人>集団という価値観は根付いていなかったらしい。わからないのがウクライナで西欧(NATO)への接近を目指していた国民が(報道でみるかぎり)愛国心から?あるいは個人という価値をまもるため?ロシアという大国と対等に?(もちろんNATOの強力な支援を得てではあるが)戦っている。そしてNATOの側も武器は提供するが兵士は出さない。それをすれば(本当の?)戦争になってしまう。
 いずれにしても西欧を支配してきた啓蒙の時代が危機をむかえていることは間違いないと思う。わたくしは今日までの76年間、歴史の中では例外的な啓蒙の時代(その象徴が日本国憲法?)を生きてきたのだと思う。それでは、われわれの子供の時代はどうなるのだろうか? われわれが生きてきた時代よりよくなると思うひとは多くないような気がする。
 「愛国心はならず者の最後の砦」ではなかったのだろうか? それともこの言葉もまた啓蒙の時代のたわごとに過ぎないのだろうか?