ロシアあるいはスラブ2

 前稿で、『おそらく西洋思想の核心は啓蒙思想であり、啓蒙思想の根は「何が正しいかをわれわれは知ることは出来ない」というものである。われわれになにが正しいかをしることができないがゆえに、われわれは互いに許し合わなくてはならない。』というようなことを書いた。

 しかし、われわれに何が正しいかをしることができる分野があると、今では考えられるようになってきている。それが科学の領域であり、中でも自然科学の分野である。(人文科学の分野では、何が正しいか、真であるかを知ることが出来るとするものは多くはないだろうと思う。)自然科学でも真理に達することはできないとする立場もあって、例えばポパーである。ポパーは自然科学で真とされているものも現在までは反論されていない仮説に過ぎないとする。ニュートンからアインシュタインへ。わたくしはポパーの信者だけれども、この説は自然科学の分野よりも人文学の分野でより有効だろうと考えている。ポパーがそこで意識しているのはマルクス主義フロイト精神分析だろうと思う。マルクス主義は科学的を僭称することで多くのひとを惑わせてきたし、人文方面の論を読んでいて面食らうのはフロイトの説をフロイトの発見した真理と思っているかたが少なからずいることである。 

 自然科学はモノをあつかう。一方人文科学はココロをあつかう。しかし、自分達こそココロをあつかうと自称するもう一つの分野があり、それが宗教である。かつて宗教は森羅万象すべてを、モノもココロも説明するものであったが、自然科学の発達により、宗教による自然の説明は急速に説得力を欠くようになってしまった。しかし幸福とは?というような議論は自然科学には手が出せない領域であり、そここそ宗教の領域の出番であるとする宗教者はいまだに多いかもしれない。

 さらにやっかいなのは、宗教はかつては民族のものでもあったが、それが次第に個人のものへと収斂していったことである。おそらく西欧においては、いまでは宗教は個人の内面を担当するものとされている筈である。
しかし、ロシアはどうなのだろう? そこではまだ宗教が国家の動向を左右するほどの力を残しているのだろうか? あるいは宗教というより《スラブ》とでもいうほかない何かがいまでもロシアの根っこを動かしているのだろうか?

 わたくしにわからないのが、ロシアは長い間マルクス主義を標榜する党による独裁の下で運営されていたはずで、マルクス主義によれば、宗教は阿片なのであるから、ロシア正教が厚遇されたなどということがあるとは思えない。
 レーニンは宗教を弾圧したようだが、スターリンは今次世界大戦を乗り切るために正教を利用したらしい。ということはマルクス主義を党是としたソヴィエトにおいてもロシア正教は多くの国民の間では依然として信仰の対象であり続けていたのであろう。それがスラブとでもいうほかないものとどう結びついているのだろう。

 福田恆存がこんなことを書いている。
 チェーホフは自己の内部に、本来的にかれ自身の属するものと、そうでないものを発見した。さらにスラブの魂とヨーロッパからの借物とを識別した。そして生まれながらかれ自身に属さぬもの、西欧に帰すべきもの、それをひっくるめておのれの敵とみなしたのである。(福田恆存 「チェーホフ福田恆存評論集 2 1966年 新潮社 歴史的仮名遣いを新仮名にあらためた。)
 ここでは、スラブは魂であり、当然ヨーロッパは魂以外の何かである。

 福田はまたいう。
 いうまでもなく、トルストイドストエフスキーとの偉大はその原罪意識にささえられている。チェーホフにはそれがない。――かれは生まれながらにして無我の善人であり、生まれながらにして教養人であり、生まれながらにして野性を欠いていた。ということは歴史と伝統をもたなかったということである。階級のそとにあったということにほかならぬーなぜなら歴史と階級とは悪と罪との堆積であり、その凝固点であり収斂点であるからだ。(同上)

 スラブは歴史と伝統を超越した何かなのだろうか?

 さらに福田はいう。
 原罪の悪を仮説としなければ偉大と栄誉とを獲得しえないヒューマニズムとはなにものであるか。稚児のごとき無我の純粋な人間が天才や偉人や善人や賢人よりも尊ばれぬ世界、・・それが存続するかぎり、芸術も科学もよくなりはしない。

 やはり、スラブという問題も、個々人にとってのスラブと、民族あるいは国家にとってのスラブに分裂するのだろうか?

 民族あるいは国家にとっての宗教のおぞましさを端的に示すものとして「ヨハネ黙示録」がある。わたくしは 聖書もろくに読んだことのない人間で、当然「ヨハネ黙示録」も読んでいない。
日本でクリスチャンを自称するひとだって「右の頬を打たれたら・・」というようなところは読んでいても、「黙示録」はどうなのだろう? これは信仰を持たず、快楽にふける人たちが神の裁きをうける話で、不信心者は神の業火に焼かれる。

 黙示録についてのわたくしの知識はもっぱらD・H・ロレンスの黙示録論(福田恆存訳「現代人は愛しうるか -アポカリプス論―」 筑摩叢書 47 1965年)と、福田による「ロレンス論」(福田恆存評論集 2 1966年)による。そしてこれを読む限り、9・11の事件はまさに「黙示録」の再現を目指したものであることがよく理解される。

 集団にとっての宗教はとにかくおそろしい結果を生むことがある。

 ウクライナの戦争が始まった時、ロシアからマクドナルドなどが撤退し、それを惜しんで、ロシアの人々がそこに多く参集している映像が流れた。それを見て西側の人々は、そして日本人も一種の優越感を感じたのではないだろうか? われわれは物質においてロシアを凌駕したとでもいったような。
 実際、多くのロシアの人が世俗化したのであろう。しかし、それを苦々しい目でみていたひともいるはずである。お前らはスラブの魂を西側に売ったのかとでもいったような・・・。プーチン大統領もそういう目で見ていた者のひとりなのだろうか?

 ブルマらの「反西洋思想」で最初に取り上げられているのは、1942年に日本でおこなわれた座談会「近代の超克」である。この座談会に出席した知識人たちは、西洋が気に食わない点では一致していたが、何が気に食わないのかよくわかっていなかったのだ、とブルマらはいう。そうであっても、とにかく西洋の物質文明がいけないのだという点では一致した。「日本の血」対「西洋の知」。日本は明治開国以来、ひたすら西洋文明を追いかけて来た。それによって日露戦争に勝利した(実際には、勝利でなく、辛うじて引き分けに持ち込めたということだったのかもしれないが・・)
 トルストイ日露戦争を「日本の勝利は、ロシアのアジア的魂が、西洋の物質主義に屈した結果」だと評しているのだそうである。アジア的魂とはスラブのこと? 
 「反西洋思想」では、この「近代の超克」座談会で取り上げられた問題が、そのまま一部の勢力による西洋嫌悪に連続していることがいわれている。「大和心」対「漢心」? とすれば、スラブとは「大和心」のことであり、西洋とは「漢心」のことなのだろうか?
 われわれは(少なくともわたくしは)、多民族国家であるはずのロシアをなんとなく白人の国であるように思っている。そしてロシア正教キリスト教の一つの派である以上、広い意味でのキリスト教をその根幹とするヨーロッパ(西欧)の流れに属するもののように思っている。ではロシア正教とは西側の教会+スラブ?
宗教は阿片であるとするマルクス主義の下でロシア正教がそれでも生き残ってきたのは、ロシアの一番根っこにあるものがスラブだからなのだろうか?

 おそらく、今回、ロシアがはじめた戦争は80年近く前に日本がはじめた戦争の繰り返しという側面をどこかで持っていると思う。

 しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花

 スラブとは日本語に翻訳すれば大和心(ロシア心?)

 そんなことを考えていたら、小林秀雄の「本居宣長」を思い出した。「本居宣長」は宣長の遺書と墓の話からはじまり、それが延々と続く変な本で、おそらくここで小林は大和心というものと苦闘していたのである。小林秀雄が昭和33年から38年まで「新潮」に連載し、未完のまま放棄したベルグソン論の「感想」は小林が上梓を厳禁する旨を述べていたにもかかわらず、新潮社が様々な理由をつけて平成十七年刊行したので、現在ではわれわれはそれを読むことができる。
 そこでは小林がハイゼンベルクやボーアの量子論にまで苦心惨憺取り組んでいるさまも書かれていて何だか痛々しい。これが未完としておわらざるをえなかった理由がよくわかるわけだけれど、東洋に対するものとしての西洋を追求していくとこうなってしまうのだろうか? なんだか「らっきょうの皮むき」という言葉を思い出す。そんな無理をしなくてもいいのに。

「 和める心には一挙にわかる」というのは中原中也だっただろうか?

 中野重治の「豪傑」では、豪傑は「恥しい心が生じると腹を切り」「生きのびたものはみな白髪に」なるのだが、これもまた大和心なのだろうか?
 わたくしはとても豪傑にはなれないけれど、せめて「武士は食はねど高楊枝」くらいのこころがけはもっていきたいと思っている。この諺?が昔から好きなのである。
 スラブからどんどん離れてくるみたいだけれども、まったく無関係ではないような気が自分ではしているので、もう少し続ける。