ロシアあるいはスラブ

 2年前から、大腸がんステージ4で化学療法を継続していたが、その効果が頭打ちになったため、1月11日から本日まで、別の化学療法の副作用チェックのため入院していた。
 前回入院時は急な入院で本をもちこまなかったので、スマホキンドルで読むあまり読書には適さない状態だったが、今回は予定の入院だったので、たった三日の予定だったが、たまたま目についたI.ブルマ&A・マルガリ―トの「反西洋思想」(新潮新書 2006)を持ち込んでみた。
 この本は以前にもとりあげたことがあるが、今回はロシア正教(スラブ)ということを考えるうえで何かの参考になればというようなことを考えて読んでみた。
 日本人ほどロシア文学を愛するものはいないのだそうである。トルストイドストエフスキーチェーホフ・・。そこには確かにスラブと呼ぶしかない何かがあるように感じられる。そしてそれはヨーロッパと対抗するものである。
 吉田健一の「ヨオロツパの世紀末」はヨーロッパといいながら、論じられるのはほとんどフランスとイギリスである。ドイツはほとんど言及されない。(ゲーテの詩がわずかにとりあげられていた?) 吉田健一にとってのヨーロッパにはドイツは含まれないのである。というか浪漫主義はドイツが生んだもので、その浪漫主義を氏は嫌悪する。
 そしてI.ブルマ&A・マルガリ―トによれば、ドイツ生まれの浪漫主義はロシアに輸出された。
 キリスト教においては、西欧は神学論争に走り、ロシアは儀式の様式に固執した。西欧は「頭」であり、ロシアは「心」であり、「魂」である。
 このブルマらの本は9・11の後に書かれており、「反西洋思想」として意識されているのは主としてイスラムの思想である。西欧は堕落している! そして今ロシアがその思想をひきついでいるのかも知れない。
 おそらく西洋思想の核心は啓蒙思想である。啓蒙思想の根は「何が正しいかをわれわれは知ることは出来ない」というものである。だからわれわれは互いに許し合わなくてはならない。
 しかし、何が正しいかのかを自分は知っていると考えるものもまたある。とすれば正しいものは邪悪なものを滅ぼさねばならない。そしてまさにそのことを鮮明に描いているのが聖書の「黙示録」なのである。
 話がどんどん拡散してくるので、稿をあらためる。