後期高齢者

 わたくしは現在76歳なので、昨年から後期高齢者の仲間入りである。
 小学校の同級で今もその学区内に住み続けている数名で懇親の会?のようなものがありわたくしが幹事をさせられていて、毎年1回くらい会をもっているが、今年の会については、例年の参加者のうちの半数から病気のため参加できない旨連絡がったため、延期となった。今後また会が開けるか様子見である。
 わたくしが大腸がんにくわえ最近、非ケトン性高浸透圧性昏睡で入院したし、肺がん・肺梗塞・大腿骨頭骨折などで入院中・自宅療養中で参加不能との連絡がきた。わたくしを除いては昨年にはそのようなことはなかったので、この1年の罹患が多いわけである。
 75歳で後期高齢者という規定はどこかで線引きをしなければいけないから、たまたまそこで線をひいたというだけのことと思っていたが、どうもそればかりではないようである。現在では75歳を越えると老人になるということではないかと思う。後期高齢者というのは《老人》の婉曲表現なのではないかと思う。
 四十、五十洟垂れ小僧 六十、七十は働き盛り 九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ というのは誰か政治家の言葉かと思っていたら渋沢栄一の言葉らしい。因みに渋沢は91歳まで生きた。このころの人間としては例外的な長命であろう。
 渋沢の時代には女性のほうが短命であった。そのころの女性の最大の仕事は水汲みと洗濯であったらしい。これは非常な重労働で、そのための短命であったのだという。水道が普及し、電気洗濯機が普及した結果、女性はそれらから解放され、それにより長命化が実現したといわれている。
 重兼芳子氏は「洗濯機は神サマだった」という文で「機械ががたがた廻りながら私の代わりに洗濯してくれるのを、手を合わせて拝みたくなった。」と言っているのだそうである。(吉川洋「高度成長」(読売新聞社 1997 のち中公文庫 2012) この高度成長には何枚か写真がのっていて、それも面白い。七輪を団扇でぱたぱた扇いでいる写真、紙芝居、・・・。そのころの寿命は今よりずっと短かったはずである。