今日入手した本

橋本治「いつまでも若いと思うなよ」

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

 治さんが「新潮45」に連載していたものらしい。連載のときは「年を取る」というタイトルだったようである。1948年生まれだから、わたくしより一つ下でほとんど同い年である。
 治さんが難病にかかっているということはきいていたが、本書を読むとなかなかきびしそうな状況である。その闘病記というか入院記の部分だけ先に読んだのだけど、読ませる。
 などといっているが、われわれの世代がみな80・90まで生きたら悲惨なことになるのは誰でもわかっていて、でも、みな大きな声ではいわない。治さんは、日本は「超高齢大国」などといわれるが「超高齢窮国」なのではないのといっている。
 それで、ここからは本書を離れるが、健診センタの先生が「健診受診者が急に増えて困った」といっていた。収支上はもちろん好ましいのだが、どうも、芸能人が病気になったり死んだりすると受診者が増えるらしい。それで80歳をすぎた老人が区の受診券をもってやってくる。指定の胃の検査はバリウムである。足許もおぼつかない高齢者がバリウムの検査をするのは危険である。しかし本人は「胃がんがないか心配で!」などといっている。わたくしの外来にも「何とかさんが病気になったのをみて急に心配になって」などといってくるひとが明かに増えている。どうも80歳でも90歳でも早期発見に意欲的である。病気というのは早期発見できるはずで、早期発見すればみな治ると思っているようである。現代医学への過信としか思えないが、一つには一人暮らしの高齢者が増えて、病気になったら誰も面倒をみてくれるひとがいないから困る。だから病気の芽を早めに摘んでおきたいということもあるらしい。そうすると自分の未来というのをどのようなものとして思い描いているのだろう。病院に来ていれば大きな病気にかからずに済んで、ずっと生きているということになるのだろうか?
 高齢者が健診を受けたら異常がみつかるに決まっている。しかし本人は真剣で、健診結果にしっかりと赤線を引いたりして、「先生!、ここのC判定は抛っておいていいでしょうか?」ときいてくる。85歳の女性がLDLコレステロールが160だからといってどうだというのだと思うけれど、本人の「先生! 病気になったら困ります!」オーラに気圧されてしまう。
 何か日本はおかしなことになってきているのではないだろうか?
 健診受診年齢の上限を定めるなどといったら一斉砲火を浴びることになるだろう。本書にもあるように「後期高齢者」といっただけで大問題になったわけである。治さんはいう「やっぱり百歳と七十歳じゃ、同じ高齢者でも違うでしょう」 わたくしの母はもうすぐ94歳で、なんとか一人でまだやっているが、大の薬信者で、何か症状があるとすぐに「今度は何を飲んだらいい?」ときいてくる。薬信者だから薬が効くのだけれど、二日のんでも症状がとれないとほとんどパニックである。「大変な病気かしら?」 「年齢からいって、大変な病気になっても不思議ではないじゃない」とこちらは思うのだが。元気な時は「この年だから、もういつ死んでもいい」といっていても、何か症状がでると、そうではなくなってしまう。高齢者の気持ちというのはその年齢になってみないとわからないものなのだろうか? などと書いているこちらももちろん高齢者なのだけれど、「やっぱり百歳と七十歳じゃ、同じ高齢者でも違うでしょう」というのは67歳・68歳の人間だからいっているので、万一、80歳、90歳まで生きたら、前言撤回になるのだろうか?