奥村康「「不良」長寿のすすめ」(3)

   宝島社新書 2009年1月
   
 《フィンランド症候群》
 1974年から15年をかけてフィンランドで健康管理の有用性にかんする大規模な対照試験がおこなわれた。
 設計:生活環境の似ている富裕な実業家で、健康ではあるが循環器にやや問題がある1200人の男性をえらび、無作為で「介入群」と「非介入群」にわけた。
 介入群:最初の5年は4ヶ月ごとに健康診断をおこない、血圧、血清脂質を測定し、目標値より高いひとには投薬。食事や運動のアドバイスをし、喫煙、アルコール、砂糖と塩分などを丁寧に指導。その結果、検査の数字はすばらしく改善した。そのあと10年は自主性にまかせる。
 対照群:5年間は基本的に放置。定期的に健康調査表に記入するだけ。酒は飲み放題、タバコはすいたい放題、食べたいだけ食べ、医者にはかからず。そのあと10年は自主性にまかせることは介入群と同じ。
 
 結果:癌その他の病気による死亡、自殺、心臓血管系の病気、すべて対照群のほうが介入群より少なかった。
 著者の解釈:介入群に自殺があったが対照群にはなかったのは、コレステロールを下げたせいでうつになったからではないか? 無理に頑張るのはかえっていけない。長年続けてきたことを急にやめるのはかえってストレスとなる。「摂生しない方が健康にいい」というのは言いすぎかもしれないが、健康管理もやりすぎないでちんたらとしたほうがいい。しかし、この結果を素直にみれば、摂生しない方が健康にいい、のではないだろうか?
 
 《メタボと長寿》
 日本人の平均寿命は、平均体重が増えるのと比例するように延びてきた、と著者はいう。アメリカでは1980年以降、成人の肥満は2倍、子供の肥満は3倍に増えた。しかし、心臓病や脳血管疾患は減っている。平均寿命も延びている。(ダイエット関連企業から資金提供を受けている学者が、肥満の非科学的な定義を勝手につくっているという批判もあるのだとか。)
 
 去年の春から特定健診(いわゆるメタボ健診)がはじまった。その根拠は、従来単なるエネルギー貯蔵細胞であると考えられてきた脂肪細胞からさまざまな活性をもった物質が分泌されることがわかってきたことにある。それらは血圧を上げ、血糖をあげ、脂質代謝を乱す。脂肪細胞の中でも皮下脂肪ではなく、内臓脂肪にその作用が強い。したがって、内臓脂肪の多い状態、すなわち肥満は昔の言い方での成人病、今の言い方での生活習慣病の最大の原因である。肥満の結果おきてきた高血圧、糖尿病、脂質異常症を個々に治すのではなく、肥満さえ改善すれば、それらはすべてよくなるのであるから、とにかく肥満を退治しようというという一大目標をかかげた健診がはじまったわけである。その目指すところは医療費の抑制で、高血圧や糖尿病、脂質異常症にかんする医療費は膨大なものがあるから、国民をやせさせることさえできれば、それが節約できることになる。
 そのように厚生労働省のひとが考えるのはよくわかる。わたくしは健康診断の結果判定もしているが、肥満のひとのデータというのは本当にひどいものである。血圧が高く、糖尿病傾向で、コレステロール中性脂肪も高く、肝臓には脂肪がたまり、そのため肝機能も悪い。それに較べれば、ダイエットに励んでいる若い女性のデータなどはみごとに正常値が並んでいる。
 わたくしが知っている限りは、健康診断を定期的におこなうことが寿命を延ばすという確実なデータはない。もちろん、健康診断をすることによって早期に疾患を発見できたという多数の個別のデータは存在する。しかし、その数があまり多くないため統計的な有意差がでないということなのだと思う。あるいは健康診断をおこなうことが寿命を縮めるので有効例を相殺してしまうということがあるかもしれない。
 健康診断が健康に有害であるというのは変にきこえるであろうが、健康診断が病人をつくるという側面は間違いなくある。たとえば高血圧はほとんどが症状がない。だから健康診断ではじめて指摘されるケースはきわめて多い。いま仮に140/90以上を高血圧と定義すると、150/100のひとは高血圧症ではあるが、自分の血圧を知らなければ高血圧患者ではない。ひとは知ることによって患者になる。
 自分の血圧が高い傾向にあると知ったひとが、それ以降、なにかというと自分におきたことをすべて血圧と結びつけてしまうようになることはとてもよくみられる。頭が痛ければ血圧が高いのではないか、ちょっとめまいがしても血圧のせいではないか、ということで朝に晩に一日何回も血圧を測ることになる。それに一喜一憂する。今日は朝、145/90だったから、一日なるべく何もしないでおこうというようなことになる。それでもそのように注意していくことがその人のためになるのであれば意味がある。しかし、140/90の血圧というのは、長期的にみるとそのような人のなから120/80のひとにくらべればほんのわずかに多く血圧にかんする合併症をていする人の頻度が増えてくるというだけなのであるから、そのひとに意味があるかどうかはなんともいえない。むしろ、それまで元気でいたひとが、血圧を気にして何もしないようになってしまったとすれば、マイナスであるかもしれない。そして血圧を気にすることがストレスであり(しかもそれによって血圧がまた上がるかもしれない)、奥村氏のいうようにストレスが寿命を縮めるのであれば、そのマイナスはさらに大きくなるかもしれない。
 多くの医者は健康診断をあまり好まない。本来の医者の仕事は何事かがおきたひとに対応することであって、何もないひとは自分の領域ではないという思いがあるからかもしれない(だから本当は症状のない高血圧、脂質異常症といったものでさえ、なんとなくピンとこないところがある)。しかしそれ以上に、健診で作られた患者さんをあまりにたくさんみていて、健診の功よりも罪が大きいと感じているためということが大きいのではないかと思う。
 だから健康診断をやる以上は、その結果を極力誤解のないように受診者に伝えていく作業が必須なのであるが、困ったことに年々、健診での判定基準はきびしくなる一方である。たとえば今、130〜139/85〜89のひとは「正常値高血圧」というなんとも奇妙な判定をされる。これは以前に140/90以上を高血圧としていたのが、特定健診以降、130/85以上も高血圧(予備軍?)とあつかうことになったからである。糖尿病はHbA1cの基準が従来の5.8以下から5.2以下になった。そして今、健診を受ける方で圧倒的に異常マークがつくのが脂質代謝のところである。日本人がそんなに脂質異常が多いのなら、ばたばたと心臓病で倒れるひとがでてきそうなものであるが、まったくそんなことはない。とにかく異常マースがやたらとつくから、それらの多くについては、そんなに心配しなくてもいいこと、しかしまったく心配しなくていいわけでもないことをうまく伝えなければならないのだが、それは至難の技である。真面目なひとというか心配性なひとは多くいて、ちょっとでも異常マースがつくと自分は健康でないと思い込んでしまう。だからこういう奥村氏の本も読んでバランスをとってもらいたいと切に思う。
 この本を厚生労働省の方が読むと非常に立腹するのではないかと思うが、しかしフィンランド症候群のこともある。フィンランド症候群の意味するところは高血圧や脂質異常症は治療しなくてもいいのだというに近いわけであるから、それが浸透すれば、日本の医療費は大幅に削減され、厚生労働省の願望と一致することになる。そうなれば内科外来患者の大部分はいなくなってしまうわけであるから、わたくしとしてはメシの食い上げであるが、しかし世に心配性の人の種は尽きないようであるから、そういうひとに安心してもらうという仕事はこれからも絶えることはないような気もする。
 

まじめは寿命を縮める 不良長寿のすすめ  (宝島社新書)

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