与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(1) 序 蒼々たる霧のなかで

 この本は昨年入手したのだけど、読まずに置いてあった。今度、池田信夫氏との共著「長い江戸時代のおわり」を読んで、この本を思い出した。「平成史」というタイトルではあるが、平成の通史を述べるとともに、それに対して知識人がどのように反応したかの記述の方に重点が置かれている。
 知識人などという言葉は現在ではもう死語になっているのかもしれないが、与那覇氏はその存在と意義を信じている方で、例えミネルヴァの梟であったとしても、世の中の動きをその表層ではなく、深部から根底から見定めることこそ、その役割であると信じている方である。

序 蒼々たる霧のなかで
 昭和については、(悲惨な戦争、復興、公害、学生運動マネーゲーム、ディスコ・・、といったものが共通の記憶としてある。しかし、平成にはそういうものはない。
 平成の時代に最も信用を失ったのが「学者」と「知識人」である。彼らは何一つ達成できず、反知性主義の風潮のなかで嘲笑される存在へと転落した。
 しかし、この風潮は日本だけの現象ではない。世界で、少なくとも西欧ではどこでもおきたことである。それはなぜか?

 「序に」につぐ「第一部」の第1章「崩壊というはじまり」の最初のページに、ツヴァイクの「昨日の世界」(みすずライブラリー 1999)への言及がある。本書のタイトル「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」が、このツヴァイクの「昨日の世界」を意識したものであることは明らかだと思う。「昨日の世界」は、ナチス台頭により崩壊しつつあった「古きよきヨーロッパ」への郷愁をつづった回想録であると与那覇氏は紹介する。ナチスという「野蛮」によって蹂躙されようとしている古き良きヨーロッパの「文明」・・・。
 ツヴァイクの遺書。「・・友人のみんなに挨拶を送ります! 友人たちが、長い夜の後になお曙光を目にすることができますように! 私は、この性急すぎる男は、お先にまいります。」 
 ナチスに追われ、疲れはてて亡命先のブラジルで妻とともに服毒自殺したこの偉大な文人の残した「昨日の世界」は実に美しい本で、「私が育った第一次大戦以前の時代を言い表わすべき手ごろな公式を見つけようとするならば、それを安定の黄金時代であったと呼べば、おそらくいちばん的確ではあるまいか。」とその第一章は始まる。ある意味ではヨーロッパの最良の時期であった第一次大戦以前の文明を知るのにもっともふさわしい本ではないかと思う。

 与那覇氏は、日本の「昨日の世界」がヨーロッパでの世界大戦とは違い、20世紀から21世紀では静かに変わっていったとする。
 氏はこの変化に知識人がうまく対応できなかったという見方をしており、どこかにインテリの力が凋落し、本来インテリが果たすべき役割を果たせなかったという意識があるのだと思う。
 しかし、われわれが「これからも世界の主人公でいることを望むならば」知識人の役割は少しも減ずることはないという信念を与那覇氏は持っていて、その氏から見ると、平成の時代はインテリの堕落と劣化の時代に見える。それが本書執筆の動機となったのだと思う。
 ということで、わたくしから見ると、風車に突撃するドン・キホーテ的なところもいささかあるようにも思える本であるが、これから少しずつ読んでいきたい。

 それで、わたくしにとっての昭和から平成とへの移行と20世紀から21世紀の移行についてのきわめて私的な経験を以下に記して本稿は終わりとしたい。

 昭和から平成へ;実はこの日、勤務する病院のゴルフコンペが予定されていて、数名の同僚と車でゴルフ場に向かっていた。なにしろ昭和天皇の病が篤いことは連日報道されていたので、そしてまだ携帯などない時代だったので、誰かが「車のラジオでニュースをきこう」といいだした。それでつけてみたら「崩御」のニュースが流れていた。で、「やっぱり、今日ゴルフはまずいですかね?」などといっていたが、現地集合の他の組もいるので、とりあえずゴルフ場にむかった。ゴルフ場につくと、そこの方が厳かに?「今日はこれをつけてプレーをお願いします」と喪章を差し出した・・・。

 20世紀から21世紀へ:この日は病院に泊まり込んでいた。当時「2000年問題」というのがいわれていて、コンピュータは日付をⅩⅩYYZZという6桁で認識していて、1980年であれば19を省いて80。とすると2000年は00となり、コンピュータはそれを1900年と認識してしまい。暴走をはじめる可能性があることが懸念されていた。当時わたくしは院長であったので、病院にいても何の役にもたたないが、責任者として現場にいたわけである。時計が進み、20世紀から21世紀になっても何事もおきなかった。朝までまっても何事もおきないので帰宅した。