与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(6) 第4章 砕けゆく帝国 1995

 最初に三島由紀夫の「太陽と鉄」からの美文の引用、次に「新世紀エヴァンゲリオン」への言及。
 「太陽と鉄」は昭和43年(1968年)講談社刊。裏表紙には篠山紀信氏の撮った、褌一つで鉢巻きをし、日本刀を半ば抜刀してこちらを睨んでいる三島氏の写真。エピローグとして「、F104」という自衛隊機搭乗記。エピローグの最後に〈イカロス〉という詩のようなものが付されている。
 いまから思うとこれは明らかに三島氏の遺書であると思うが、その当時は縦の会も映画の「憂国」もこの「太陽と鉄」も、みんな一種の三島美学の表明ではあっても、世間をからかう氏の優雅な遊び、道楽だと思っていた。
 わたくしが何か変だと思い出したのは1970年4月に「新潮」に連載が開始された「豊穣の海」最終巻の書き出しを見た時である。もっとも後から見ればすでに第3巻の「暁の寺」からおかしくなっていたのだが、いずれ完結したら読もうと思って読んでいなかった。最終巻は当初「月蝕」という題が予告されていたが「天人五衰」という変な題に変わっており、しかも安永透という安っぽい、作者の愛情が微塵も感じられない名前がつけられた人物がいきなり主人公として登場してくる。ああ、三島さん小説書くのがいやになってしまったのだな、とその時思った。三島氏は1970年の日本が左右勢力の激突で大混乱となることを予想しており、第4巻はその騒乱をリアルタイムに取り入れながら書いていき、そして騒乱が頂点に達した時点で盾の会のメンバーともども切り込んで死ぬ、それで、小説は未完で終わるということを想定しており、にもかかわらず70年には何も起こらなかったことに絶望した結果があの行動だったのだと思う。死の少し前に「デーパートで家具を買っている人をみると吐き気がする」というようなことを言っていた。それでは小説など書けるわけがない。

 与那覇氏は2007年に大学教員になって日本文化史を講じるためにはじめて「エヴァ」を読んだのだそうであるが、大学教員ではないわたくしは読む義務など当然ないわけだし、これからも読むことはないだろうと思う。(息子は高校生のころ「エヴァ」にはまっていたようなので、父親に対して複雑な感情を抱いていたのだろうと思うが、今頃そんなことがわかっても、あとの祭りである。
 本章の最初の副題が、「エヴァ、戦後のむこうに」であり、そこに「「団塊親」としての碇ゲンドウ」が続くのであるが、なにしろ碇ゲンドウなんていわれても何もわからない。仕方がないので、この辺りはスキップして、106ページ、江藤淳が出てくる辺りに飛ぶことにする。
 しかし「特務機関ネルフと国家ごっこ」といわれても・・。ネルフって何?

 さて与那覇氏によれば、1960年の安保は「戦後民主主義を守れ」の運動だった。
 だが、1070年の安保は「戦後民主主義なんて糞くらえ」という運動だった。平和とか民主主義とか、そんな聞こえのいいことばかりを安全な教壇・論壇の中からお説教をたれている奴らはみな偽善者だ!
 その観点からは彼らは三島由紀夫にも共鳴した。しかし、無数の碇ゲンドウエヴァンゲリオンに出てくる主人公のお父さんらしい)は「父」になれるか?というのが、与那覇氏がここで提示する問題である、あるは与那覇氏がみた当時の一番根っこにあった問題である。
 江藤淳がこの問題に対して示した回答は「米国に従属するのではなく、安保を改定して米国と対等になること」であったが、与那覇氏は、戦前の満州に注目する。あまり勉強しているわけではないが戦前満州というのは実に興味深い場所で、岸信介らが、満州というミニ国家で自分のやりたいことを好きなように実験している感じである。
 江藤淳の「成熟と喪失 ―“母”の崩壊―」(河出書房1967)はいわゆる「第三の新人」論であるが、同時に“治者”をも論じたものでもあって、まず安岡章太郎を導入として、小島信夫の「抱擁家族」を主たるターゲットとし、遠藤周作吉行淳之介に寄り道して、最後、庄野潤三夕べの雲」にいたるという構成である。
 吉行にもっとも辛く、庄野への評価が高い。ここに論じられるのは表題通りの“母”の崩壊なのであるが、その論の前提として「父の不在」ということがある。明治大正の日本文学の大きな主題であった「父との対立」はどこかに消え去り、戦後には「家」の束縛などどこかに霧消してしまった。
 おそらく戦後日本では父の役割はアメリカになってしまった。だから「拝啓 マッカーサー元帥様 占領下の日本人の手紙」(袖井林三郎 岩波現代文庫 2002)ということになる。「米国代表マッカーサー閣下 謹啓誠に申兼ね候へ共日本之将来及ビ子孫の為め日本を米国の属国となし被下度御願申上候・・・」
 袖井氏はいう。「マッカーサーは占領下の日本人にとって父であり、男であり、告白聴聞僧であり、ついには神の座にあるとさえ思いかねない存在であった。」
 「エンタープライズ入港反対!」というのもアメリカという父への反抗期の子供の叫びであったのかも知れない。
 さてp109からは「慰安婦問題とフェミニズム」。そこで議論されるのが、上野千鶴子氏。また大澤真幸氏。大澤氏は「学生との不適切な関係」で2009年、京大教授の地位を追われたかたという以外には多くをしらないが、その当時は東浩紀氏や宮台真司氏らとともにニューアカデミズムの旗手といわれていたらしい。オウム事件などについても論じていたようである。
 細川政権は唐突な消費税の7%(3%から)への増税を提案して自壊した。増税の根拠をきかれて「腰だめで」などと言っていたことを覚えている。ブレーンから吹き込まれたことを口にしただけで、自分でもよくわかっていなかったのだと思う。なにしろお殿様だから、ワーワー批判されて、うるさいなあ、もう辞めるよ、ということになったのではないだろうか?
 これで94年、村山富市を首班とする自社連立政権が発足。このころ、社会党の人間をトップに据えるという自民党の策略を見て、なんて凄いと思った。社会党より何枚も上手。なにしろ村山氏は自衛隊の閲兵までさせられた。踏み絵である。95年すぐに、阪神淡路大震災。すぐの3月にオウムによる地下鉄サリン事件。ついでに同年11月には、Windows95発売。
 思想の世界ではこの年1月に加藤典洋氏の「敗戦後論」。しかし5月には野口悠紀雄氏の「1940年体制」も刊行された。
 社会党は1945年の結党当時から英語での党名は、Social Democratic Party of Japan 日本社会民主党!だった。しかしタテマエではマルクスレーニン主義を掲げ続けた。
 このあたり、小室哲哉さんとかは華原朋美さんとかいった名前がでてくるのだが、この方面にもまったく疎いので、よく理解できない。(大体、華原朋美って名前、全然聞いたことがない。有名な人?)
 ここでいきなりドゥルーズ(の自殺)の話が出てくる。自殺については病気を苦にしてなのであるから一私人の行動であり、はたからとやかくいうことではないと思うが、現在の管理社会、すべてがデータ化される世界のを予言したものとして、ある短い文が引用されている。
 時代は「自由な個人」の方向に向かっているのではなく、われわれが戴いていると思っている「西欧の思想」のその本家本元のヨーロッパでさえ、それへの信頼が崩れようとしていることを、その時の日本論壇の人達は捉え損ねた。それが、その後の反=知性主義~「知識人の凋落」に繋がると与那覇氏はしている。

 昭和48年にサンケイ新聞に連載された司馬遼太郎の「人間の集団について」というベトナム紀行(中公文庫 1974)に、氏の友人の元曹長が「まったく目に力のない若者がおおぜいで笑いさざめいているのを見て、十年前はこうではなかった」と慨嘆した話を紹介している。
 しかし司馬氏は、日本は昭和30年代の終わりになってやっと飯が食えるようになった。飢餓への恐怖をお伽噺としか思えない世代がやっと育った。国家的緊張はなく、社会が要求する倫理も厳格さを欠く。キリスト教国ではないから神からの緊張もない。そういう泰平の民がようやくできあがった。痩我慢を必要としない時代がやっと来たのだ、と。
 三島由紀夫は「目に力のない若者」など軽蔑し嫌悪しただろうと思う。(盾の会の若い会員たちは目に力があったのだろうか?)三島の死の直後、ああいうファナティシズムに巻き込まれるな!とかなり強い調子の文を司馬氏が書いていたのを思いだす。
 倫理というのは確かにどこかで「臥薪嘗胆」といったものと結びつくのだろうと思う。

 さて全く関係ない話であるが、本日の国葬における菅前首相の追悼の演説はなかなかのものであったように感じた。菅氏はとても口下手なひとだと思っていたのだが、「剛毅朴訥仁に近し」ということなのだろうか? 「剛毅」という印象はない人だが・・。政治家というのは皆「巧言令色 少なし仁」のひとばかりということでもないのだろうか?
 それにしても、最近の国葬についての議論をみていると、日本人がどんどんと子供っぽくなってきているように感じる。杞憂だろうか? それとも子供のままでも生きていけるいい時代になったということなのだろうか? 江藤氏が「成熟と喪失」で描いた時代がまだそのまま続いているのだろうか? 江藤氏もまたかなり子供っぽい人であったようにも思うのだけれど・・。

 さて、次は「第5章 失われた歴史 1996-1997」 丸山眞男の写真が出ている。