三島由紀夫 没後50年

 最近、書店にゆくと三島由紀夫関係の本が目立つなと思っていたら、今年は没後50年ということらしい。
 もっとも多いといってもやや目立つ程度であるから、三島もかなり忘れられた作家になりつつあるということでもあるのかもしれない。
 没後50年に敬意を表して「中央公論特別編集 彼女たちの三島由紀夫」という本(雑誌?)を買ってきた。「執筆者 対談相手は女性に限る(除く中村勘三郎)。三島の発言も「婦人公論」から採録」、という方針で作られたものである。まだパラパラと見ただけであるが、湯浅あつ子氏(「鏡子の家」の鏡子のモデルとされる方であるらしい)の「三島由紀夫の青春時代」という文章が哀切であった。
 三島が死んだ日のことはよく覚えている。医学部1年生で、例によって午前の講義はさぼって、午後からの実習にでるために昼頃、学食に入ったら、そこのテレビに「「盾の会」隊員自衛隊に乱入。三島由紀夫自殺」というテロップが流れていた。最初に思ったのは、自衛隊に乱入したのは「盾の会」の一部会員で、三島はその報をきいて、自宅で自殺したのだろうというようなことであった。しかしテレビをみていると、どうも「自衛隊に乱入した人間の中に三島もいるようである。それで思ったのが、三島が世間をからかう遊びとして作った「盾の会」の隊員が「先生、立ちましょう!」などと真顔で蜂起をせまってくる。「どうも、困ったものだ。しかし、自分が作った以上、責任がある」ということでつきあったというようなことであった。
 わたくしが三島を読んでいることを知っていた同じクラスの民青の活動家が「キミ、三島の気持ちわかる?」などときいてきた。「どうも、命と暮らしを守る、などといっている人間には、人が責任をとって死を選ぶ場合もあるということがわからないのかな?」などといささか優越した気分になった。
 いずれにしても、わたくしも三島が本気で死んだとはまったく思っていないわけである。おそらくその当時のひとのほとんどがそう思っていただろうように、わたくしも「知性の人三島由紀夫が、反=知性の極北のような「天皇陛下万歳」などということを真剣に信じている」とはいささかも思ってはいなかったわけである。(今でも、そう思うところが残っていないわけではない。)
 しかし、家にかえって夕刊を見てみるとどうも変である。事件の当日朝、新潮社のひとに「新潮」に連載していた「豊穣の海」最終巻の「天人五衰」の結尾の原稿を渡していたと書いてある。「女々しいじゃないか! 三島は最後まで文学を捨てられなかったのだ!」そう思った。それに「天人五衰」はその年の4月から「新潮」に連載がはじまったばかりである。半年で結末にいたるというのも信じがたい。
 実は「天人五衰」の連載がはじまったその年の4月の「新潮」を本屋で立ち読みして、「何か変だな?」とは思っていた。まず題名が予告されていた「月蝕」とは違っていた。また最終巻は「豊穣の海」の狂言回しである本多繁邦が4人目の転生者を探す話であったはずなのに、いきなり転生者とおぼしき人間が出てくる。しかもそれが何とも安っぽい人間で、安永透というなんとも作者の愛情が感じられない名前になっている。変だ、変だ、とは思ったが、作者が構想を変えるというのはよくあることなので、それ以上は深く考えなかった。(「豊穣の海」は第三巻「暁の寺」から変調をきたしていて、転生者で主人公であるはずの「月光姫」にはほとんど存在感がなく、狂言回しであるはずの本多繁邦が主人公になってしまい、その本多さんは覗きなどをはじめ、観察者への嫌悪、行動しない人間への軽蔑という主題が前面にでてきて「春の雪」「奔馬」とのバランスを大きく欠くことになっていた。)
 後から考えると、70年安保がほとんど何事もなく、平穏に終わってしまったことが、すべてを狂わせてしまったのであろう。1970年の東京が大騒乱になり、左翼勢力から天皇制(といっても日本国憲法に規定された天皇制ではなく(などてすめろぎはひととなりたまひし)、日本の文化の精髄を体現する存在としての天皇)を守るために「盾の会」を率いて斬り死にする、という計画が崩れ、死に場所がなくなってしまった。それであのようなわざとらしい大袈裟な舞台装置をしつらえるしかなくなった、ということなのだと思っている。晩年の三島は文学にすっかり愛想をつかして、「実」への志向に急傾斜していったのであろう。
 そうなってしまったのは、三島が東大法学部を出たのがいけない、というのがわたくしの抱いている仮説である。文学部を出ればああいうことにはならなかったと思う。東大法学部卒業生は日本の官僚制度の中心にいて日本を動かしている(三島も短期間、大蔵省勤務)。しかし自分は東大法学部を出ているのに結局、文学などという「虚業」に携わっているという劣等感にずっとさいなまれていたのではないかと思う。
 それと、有田八郎との「宴のあと」裁判に負けたというのも大きいのではないだろうか? 東大法学部を出ているのに三島は裁判に負けたといって世間は自分を笑っているのではないかといういわれのない思いからも逃れられなかったのではないだろうか?
 湯浅あつ子氏の文「三島由紀夫の青春時代」で、湯浅氏は三島のことを「運動神経皆無」と評している(そして、からっきし喧嘩ができない、とも)。同類であるわたくしとしては大変うれしいが、ボディビルなど無駄な抵抗をせずに、運命を甘受すればよかったのである。わたくしはスクワットなどを一所懸命にやっている老人をみると、「ケッツ」と思うのであるが、そんなことをいっているわたくしは万一もっと長生きしたら寝たきり老人になること必定である。
 三島はもしも長生きしたら、谷崎潤一郎ではなく永井荷風のようになることを非常におそれていたのだそうである。長生きした三島由紀夫という仮定で書かれた松浦寿輝の「不可能」という素敵に面白い小説がある(2011年講談社)。「三島由紀夫吉田健一になる」というのがこの本への三浦雅士氏の評であるが、三島はある時期まで藤原定家を主人公にした小説を書くというプランをもっていたそうである。「紅旗征戎吾事に非ず」という方向への傾斜もまたずっと持っていたのであろう。それを断念したころから、切死にという方向へ一直線に傾斜していったのであろう。
 上野千鶴子小倉千加子富岡多恵子の鼎談「男流文学論」では、三島もとりあげられている。そこで富岡多恵子が「三島は結婚がいやだから死んだ」という説を開陳している。「要するに、たかをくくっていたわけよ。結婚ぐらいできる、と。・・結婚はやっぱり、そんななめたものじゃない。彼はなめてかかっていたのとちがいますか。なめてかかった。ところがそれがなめてかかって済むことではなかった。かれにとってなかなかたいしたものだった。」 上野千鶴子は口をとがらせて反論しているが、これを見ると上野千鶴子は完全な女・三島由紀夫である。というか、完全に男である。人生を自分の知性で完全にコントロール下におけると思っている人である。
 橋本治の「「三島由紀夫」とは何ものだったのか」は、三島を「塔のなかの王子様」と評している。自分は塔のなかに閉じこもっているから安全であり、誰にも自分の内面に踏み込むことはさせない。自分は自分をわかっている。しかし他人が自分の内面に踏み込んでくることだけは絶対にさせない。橋本治は、これは日本の近代知識人のもつ共通の病弊であると思っていて、その典型を三島にみているわけである。自分は奥さんを完全に理解している。しかし、奥さんには自分の内面には絶対に立ち入らせない。三島はそれができると思って結婚した。しかしそうは問屋がおろさなかったというのが富岡説である。
 まったく偶然であるが、わたくしは三島夫人の瑤子さんと面識を持ったことある。たまたま父君の杉山寧氏を看取ることになったという縁による。杉山家のかたがたを見て、芸術一家というのもなかなか大変なものだと思った。(三島の死後もう20年以上たった時点で、受け持ち医として短期間かかわっただけの縁に過ぎないが、)少なくともその時の瑤子氏はオカルトのひとという印象であった。三島があのような死に方をしたことによって、そういう方向にいったのだろうか? 杉山氏は、生没が同一の日になっているが、これは死亡宣告をいつの時点とするかは医者の特権であることにもよる。杉山家、なかでも瑤子氏の希望によるものだったように記憶している。わずか数日の接触ではあったが、三島由紀夫もなかなか大変だったろうなあ、と思った。
 ということもあって、わたくしは富岡説に強く共感するのであろう。
 飯島耕一の「川と河」という詩に、「彼(三島由紀夫)は 正月の元旦のような気分が 一年中 ほしかったのだろう あわれな男。」という一節がある。  
 「彼女たちの三島由紀夫」にも収載されている倉橋由美子の「英雄の死」という文章に、「三島氏が楯の会の青年たちと風呂にはいっているときその他の、要するに文学以外のことをしているときの顔は、四十代の男の顔とは思えぬ晴朗さで輝いていて、曇りのない眼というような形容はこの三島氏の眼に使わなければならない」とあるのもこのことを言っているのであろう。
 三島氏が、時々、珠玉の短編を書くだけで生きていけるマイナー・ポエットの立ち位置でいられたら、あのような死はなかったであろう。しかし「鏡子の家」の不評の後、ふたたび文芸誌連載へと戻らなければいけなかった氏にはそれは叶わないことであったのだろう。
「永すぎた春」とか「美徳のよろめき」とか「美しい星」とかいった小説を書くことで生きていければよかったのに・・。
 小説の衰微がいわれて久しい。小説は小人の説であり、市井の渺たる個人にもその内面には神話の英雄にも比すべきドラマがあるという信念がそれを支えている。しかし、集団と集団が対立し、「あいつはアカだ!」というような粗雑な言葉がまかり通るようになれば、小説の命脈が断たれるのも時間の問題であるのかもしれない。あと20年もすれば三島由紀夫の名も忘れられ、小説という形式さえ過去のものということになっているかもしれない。
 

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