「お人好し時代のアメリカ」

 「お人好しの時代のアメリカ」というのは、ドラッカーの自伝?である「Adventures of A Bystander 」の最後の章のタイトルである。(本書の邦訳の題名は「ドラッカー わが軌跡」(上田惇生訳) 「傍観者の時代」(同じく上田氏訳) 「傍観者の時代 ―わが二〇世紀の光と影―」(風間禎三郎訳)といった様に様々なタイトルとなっているけれど、単純に直訳して「傍観者の冒険」とするのがいいのではないかと思う。冒険などするはずのない傍観者の冒険、というのが意表をつくし、傍観者、冒険と、Bの音が頭韻を踏むのもしゃれているし・・・。
 1938年にドラッカーが六週間のヨーロッパ取材旅行に際し提出した所得証明の書類を見て移民局の係官が、あなたの履歴ならもっと稼ぎがいい職があるよと親切に世話をしてくれそうになるエピソードからこの章は始まっている。その時代のアメリカは不況であったが、アメリカ人には特有の人の好さと行動力あったとドラッカーはいう。嫉妬や羨望とは無縁の社会で、誰かの成功は皆の成功だったのだ、と。そしてアメリカではまだコミュニティが健在だった、と。
 あるスウェーデン訛りのある年配の牧師がルーテル派教会の日曜礼拝でした説教をドラッカーは紹介している。
 「私たちは大変な時代に生きています。しかし、皆さんのご先祖は、ヨーロッパの絶え間ない戦争、憎しみ、虚栄から逃れて、この地にやってきました。国の名誉という不正と愚行、軍の栄光という政府の専横には与しない自由の人として生きるために、冬のみぞれと夏の砂嵐のなかで荒野を耕してこられました。皆さんのご先祖は、人に従うのではなく、法に従う新しい国をつくるためにこの国に来ました。私たちが、今日のこの苦しみを乗り越え、最後にして最良の希望の地であり続け、空しい帝国のリストの末席に加わることのないように、祈りましょう」
 ドラッカーはこの話に感動したが、しかし、よき意図だけでは、もはや間に合わないことも感じていた、という。国際主義者と孤立主義者の対立が、すでにアメリカの夢を引き裂いていたのだから。そして、この説教をきいてすぐに日本の真珠湾攻撃のニュースをきいた、と記す。それによりお人好しの時代は終わり、アメリカは大国になる道を選ばざるをえなくなったのだ、と。

 このドラッカーの「わが軌跡」は本当に面白い本で、あまり面白いので、ちょっと出来すぎではないかと感じるところも多々ある。事実、栗本慎一郎氏は「ブダペスト物語」の一章で「傍観者の時代」(「わが軌跡」)の第6章「ポランニー一家と「社会の時代」の終焉」を論じ、はなはだロマンティックなその記載について多くの修正の必要を指摘している。
 どうもドラッカーはサービス精神旺盛というか話を面白くしすぎる人のようである。とはいっても、ドラッカーも末席に参加していたある雑誌の編集会議で、カール・ポランニーが次の雑誌のテーマとして、1)張作霖などの中国軍閥間の内戦、2)世界市場での農作物価格の下落が世界恐慌の引き金になるかもしれないことについて、3)スターリン治下のソ連は独裁農奴制の復活であるという話、4)同時まだ無名であったのケインズという経済学者の書いた「平和の経済的帰結」について、の4本のテーマを提案したが、他の編集委員に反対され、それでドラッカーにでは何かほかにいいテーマはあるかときいたので、ドラッカーは、「では、ヒトラーの政権奪取というテーマはどうでしょう」と提案したが、選挙で大敗したばかりのヒトラーについて(ポランニーとポランニー以外の)編集委員はもはや再起不能と思っていて、そんな話題はとりあげる価値なしとして反対したことなどが書かれている部分だけをみても、素敵に面白い。世に具眼の士はいるものである。(もしもここが創作でなければ)やはりカール・ポランニーというのは大した人であるし、ドラッカーもまた。
 だから牧師さんの説教のすぐあとに真珠湾攻撃のニュースというのはいささか出来すぎで、潤色があるのではないかと思うのだが、日本の真珠湾攻撃アメリカに孤立主義を捨てさせる最後の一押しとなったことは確かである。
 今のアメリカの混乱の一つの要因が国際主義と孤立主義の対立にあるのかもしれないが(片方は、なにしろ国境に壁を作ろうというひとである)、「私はアメリカ合衆国の国旗、並びにその国旗が表すところの共和国、全ての民のために自由と正義を備え、神の下に唯一分割すべからざる一国家であるこの共和国に忠誠を誓います」という宣誓、これは、合衆国国旗に顔を向け、起立し、帽子を取り、右手を左胸に当てて暗唱しなくてはならないのだそうであるが、これはまだ今もおこなわれているのだろうか?
 今晩には、アメリカで投票がはじまるらしい。
 いずれにしても、「お人好しの時代のアメリカ」などというのが、はるか遠い昔のお伽噺としか思えなくなってきていることは確かである。ドラッカーが描いたのは80年ほど前のアメリカなのであるが・・。

ドラッカー わが軌跡

ドラッカー わが軌跡