レヴィ=ストロースが100歳で死んだ時に書かれた「追悼レヴィ=ストロース」という文章について考えてみたい。内田氏はレヴィ=ストロースの死によってフランスの知性が世界に君臨していた時代が完全に終わったとしている。カミュもサルトルもボーボワールもメルロ=ポンティも、ブランショもバタイユもラカンもフーコーもバルトもアロンもレヴィナスもみな死んでしまった・・。占領下のフランスで、自分たちこそが、ナチス占領下のフランスに残された「最後の知性的・倫理的希望」であるということは彼らの共通した了解であった。日本には「エリート」がいないから(つまり完全な階層社会ではないから)、このような知性的・倫理的な被付託観というのがピンとこない。自己の知的卓越性を「世界を知性的・倫理的に領導する責務」として重く受け止めるというようなことは考えもしない。しかし20世紀フランスの知的エリートたちは「自分たちがフランスの知性の精髄」だという自覚を持っていた。
ボーボワールも、メルロ=ポンティもレヴィ=ストロースも哲学教授試験の同期である(サルトルは一回落ちて一年下)。しかしレヴィ=ストロースはパリ大学という二流大学出であって、高等師範学校出というエリートコースのボーボワール・、メルロ=ポンティ・サルトル組からは疎外されていた。このときの怨念が、後年レヴィ=ストロースが「野生の思考」においてサルトルの世界的覇権に引導をわたすことになる伏線なのである、というのがここで示されている内田氏の深読みというか考えすぎというかのとんでも説なのであるが、それは内田氏の読者サーヴィスのようなものでもあって、主眼は「自己史がそのまま哲学史であるような一種の幸福な自己肥大の中に生きた青年たち・・このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない」というところにある。
以下、その問題について少し考えてみたいのだが、その前に例によって本棚を覗いてみる。レヴィ=ストロースの本は4冊あった。「野生の思考」(1980年 第8刷 最初の20ページくらいだけ読んでいるみたいである。) 「悲しき熱帯」上下(1977年 初版 上巻の三分の二くらいまでは読んだ形跡があるが、まったく内容は覚えていない) 「構造人類学」(1984年の第15刷 読んだ形跡なし)
そのころ、文化人類学は重要な学問分野なのだろうなと思っていたことは記憶しているから、それでこれらの本を購入したのだろうし、レヴィ=ストロースのもの以外にもいくつか文化人類学関係の本が本棚にあるが、結局、この分野の知識は一般啓蒙書+山口昌男氏の本でとまってしまっている。
文化人類学は西欧を相対化してみる学問であるし、動物行動学は人間を相対化してみる学問である。30歳から35歳前後くらいまでそういう学問分野にとても惹かれたのである。しかし、そういう学問分野もまた西欧から発しているということは、文化人類学も動物行動学も、西欧がもつ『自己の知的卓越性を「世界を知性的・倫理的に領導する責務」として重く受け止める』という自意識過剰あるいはエリート意識の産物として生まれたのかもしれない。
この数日、本棚でただ肥やしとなっているだけの読んでいない本をたくさんみていやになっているのだが(しかも、これからも読まないままで終わる可能性が高そうである)、とにかく1980年前後、わたくしはそのころの書物の売り上げ向上にまことにささやかにではあっても寄与していたことは確かである。
最近本が売れなくなっていることが盛んにいわれるが、その原因のひとつがわたくしのように背伸びをしてわからない本でも買うとか、あるいはなんだかわからないがその本を持っていないとはずかしいような気がして見栄で買うとかいう人間が急激に減っていることにあるのではないだろうか? その昔、サルトルの本を小脇に抱えていることが女の子を口説く小道具になった時代があったのだそうである。これからそのような時代がくることはもはやないであろう。もう誰も見栄をはらなくなってしまった。
「赤頭巾ちゃん気をつけて」で薫くんが言っていた。『ああいうキザでいやったらしい大芝居というのは、それを続けるにはそれこそ全員が意地を張って見栄を張って無理をして大騒ぎをしなければならないけれど、壊すだんになればそれこそ刃物はいらない。・・・芸術にしても民主主義にしても、それからごく日常的な挨拶とかエチケットといったものも、およそこういったずべての知的フィクションは、考えてみればみんななんとなくいやったらしい芝居じみたところがあって、実はごくごく危なっかしい手品のようなものの連続で辛うじて支えられているのかもしれない。』 それなのに、王様は裸だと誰かがいいだし、手品のネタもわれてしまったのである。出版社の多難はこれからもずっと続くのであろう。
それはさておき、いくつか考えたこと。
1)かつての「栄華の巷低く見て」意気高かった「五寮の健児」たち、一高東京帝大のエリートたちは、「知性的・倫理的な被付託観をもち」、自己の知的卓越性を「世界を知性的・倫理的に領導する責務」とまでは思わなかったにしても、「日本を知性的・倫理的に領導する責務」くらいには自負していたのだろうか? そうであるとすれば、そのころの日本は階層社会であったのであり、現在の日本はそれが崩れてきているということなのだろうか? 無階層社会になり、世界を領導するなどという意識はだれももたなくなり(つまりはノブレス・オブリージなどという言葉は死語となり、誰も自分が貴族であるなどとは思いもしなくなり)、みんなだらけきってしまって呆けているばかり日本人に絶望して三島由紀夫はあのような死に方を選んだのだろうか? 以前の大蔵官僚、現在の財務官僚はエリート意識を持ち、日本を領導する責務を感じているのだろうか?
2)福田和也氏が「奇妙な廃墟」で描いたナチス占領下のフランスで反=ナチスではなかったコラボラトゥールたち、バレスとかモーラスとかラ・ロシェルとかブラジヤックとかいった反近代主義に側にいたひとたち、かれらもまた自分たちを「フランスの知性の精髄」だと思っていたのだろうか? 『カミュもサルトルもボーボワールもメルロ=ポンティも、ブランショもバタイユもラカンもフーコーもバルトもアロンもレヴィナスも・・』ということで名前があがっているひとたちすべてが近代主義の側にいたとはいえないだろうが、福田氏が描いたコラボラトゥールたちのような露骨な反動ではなかった。そういう反動たちまでふくめて「フランスの精華」だったのだろうか?
3)栗本慎一郎氏が「ブダペスト物語」で描く、第一次世界大戦前のブダペスト − ポランニー兄弟やルカーチ、マンハイム、ノイマンなどなどが集う都市、P・ゲイが「ワイマール文化」で描くワールブルク研究所でのカッシラー、パノフスキー、E・H・ゴンブリッジ、クルティウスといった面々。さらにはドラッカーが「わが軌跡」(「傍観者の時代」)で示す第二次世界大戦前のウィーン、フロイトやまたしてもポランニー兄弟。
こういうのを見ると、ヨーロッパには狭いある地域のなかに同時代に優秀な知性が集中して輩出するという傾向があるのではないかと感じる。わたくしなどは、そこに西欧の卓越をどうしても感じてしまうのだが、それはわれわれがことさら西欧を重要視し過大に評価しているからそう感じるだけなのであって、実際には世界のどの地域においても、優秀な知性がいつも平等に出現しているのだが、われわれの問題意識は西欧起源のものが多いので、それにかかわらないことについてはいくら優秀な知性が優れた知見を示していたとしても、われわれのアンテナにはかかってこないということなのだろうか?
「自己史がそのまま哲学史であるような一種の幸福な自己肥大の中に生きた青年たち・・このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない」ということを内田氏が悲しんでいるのか良きこととしているのか、それが微妙である。何かを得れば何かを失うことになる、それがわれわれの定めなのであるが。
社会はエリートの存在を許容しない方向に進んでいく。しかし、思想はエリートのものである。とすれば、これからは思想というものが世の中からだんだんと消えていくことになるのだろうか?

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