M・リドレー「進化は万能である]

進化は万能である:人類・テクノロジー・宇宙の未来

進化は万能である:人類・テクノロジー・宇宙の未来

 リドレーの本は、以前に「やわらかな遺伝子」「繁栄」などを面白く読んだ記憶がある。
 ここで万能であるとされている進化とは、様々なものが将来どうなっていくのかは誰にもわからないといった方向の見方らしい。ポパーのいう「未来は開かれている」であるし、ハイエクの「社会を計画によって設計できるという見方への否定」にも通じるように思う。
 こういう本がでてくる背景には、西欧におけるキリスト教思考のいまだに根強い影響というということがあるのだろうと思う。
 たまたまページをくっていたら289ページにハーバード・スペンサーに関する注があって、社会ダーウィニストなどと呼ばれて歴史上最も不当な批判にさらされた人物である、などと書かれていた。弱肉強食とか適者生存などという方向の人では全然ないというのである。わたくしもスペンサーの著作は一冊も読んでいないにもかかわらず、そのようなイメージを持っていた。なぜそうなったのかと考えると、渡部昇一氏の「スペンサー・ショックと明治の知性」(「教養の伝統について」所収)などの影響が大きいのかなと思った。そこでスペンサーの大きな影響のもとにあったとして描かれる夏目漱石ラフカディオ・ハーンの像は大いに説得的であった。いまだにこの論は説得的であると思うが、やはり読まずに他人の説明を鵜のみにするのは問題であるということなのだろうか?
 本書の各章の巻頭にはルクレティウスの「物の本質について」からの引用がおかれている。「訳者あとがき」によれば、著者は60歳代になってはじめてその名を知って読んだらしく、そういうものを今まで自分に教えることのなかった自身が受けた教育への憤りを感じていると述べているのだそうである。自慢ではないが(自慢しているのだが)わたくしは相当以前からルクレティウスも「物の本質について」も知っていて、その岩波文庫版が本棚の奥底のどこかに隠れているはずである。というか、ストイックとかエピキュリアンとかについて少しでも関心をもつとすぐにルクレティウスの名前と「物の本質について」にいきあたるはずである。オックスフォードを主席で卒業した人でもそれを知らないということがあるのだろうか? 日本の教養体系のほうが英国よりもましなのだろうか? もちろんわたくしもルクレティウスを学校で教わったわけではないが。

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)

物の本質について (岩波文庫 青 605-1)