渡部昇一氏の本

 
 この前のエントリーで在野の知識人の一人として今年の四月になくなった渡部昇一氏にも言及して、そういえば氏の本もかなり読んでいるなあとあらためて思い出した。
 

知的生活の方法 (講談社現代新書)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

 氏の本で最初に読んだのは「知的生活の方法」であったことはまず間違いないように思う。わたくしが持っているのは昭和54年9月刊の第26刷であるから、読んだのは32歳ごろのはずである。刊行が昭和51年だから、刊行されて3年くらいは評判になっていたことを知っていたにもかかわらず読んでいかなったことになる。とにかく「知的生活」という言葉になんともいえない不愉快というか不潔というか、とにかく何かとてもいやなものと感じたのである。渡部氏も巻頭の「はじめに」を、「「知的生活」という言葉はあまり用いられないし、またキザに聞こえるかも知れない」という文ではじめている。あるいは日本でこの言葉が広まったのは渡部氏のこの本によってなのかもしれない。
 二十歳過ぎから吉田健一信者になっていたわたくしは、本を読むというのはそれ自体が目的であって何か知識をえるために読むなどというのは邪道であると頑なに信じていたので「知的生活」という言葉に生理的に反発したのであろうと思う。それでは何で読んでみる気になったのかもう思い出せないが、読んで非常にうたれたことははっきりと覚えている。何回も繰り返して読んだので本が分解しかかっているくらいである(それで最近、買いなおしたら84刷となっていた。大ロングセラーである)。氏の恩師であるという佐藤順太というひとの名前も記憶に残っているし、build up one's own library という言葉もよく覚えている(これは「続 知的生活の方法」にでてくる。昭和54年4月が初版で、わたくしのもっているのが5月刊の第3刷だから、昭和54年に「知的生活の方法」を読み面白くて「続 知的生活の方法」も買ったという経過だったのだろうと思う。とにかくこの本に扇動されて、本は図書館で借りたりせず、身銭を切って買うということはずっと続けてきている。そしてそういうことをするとすぐに困るのが本の置き場であるので、実は「知的生活の方法」で一番印象に残っているのが143ページから151ページあたりに示されている書斎の設計図(青木康という建築家によるもの)なのではないかと思う。本当に自分が持っている本をきちっと整理して一覧することができたら、なんと素晴らしいだろうというのは、ある程度の蔵書をもつひとが共通に抱く夢なのではないかと思う。
 最近刊行された「知的人生のための考え方」は以前に刊行された本を氏の逝去を期に改題して刊行されたもののようだが、巻末に著作リストが付されている。それを見ていて驚いたのだが、わたくしの読んでいる渡部氏の本は初期のもの1979年までのものに限られている。
 
 
 「日本史から見た日本人」は1973年刊である。(わたくしの持っているのは昭和54年刊の第23版) この本に出てくる「「和歌の前に平等」な日本人」という指摘は実に卓抜な表現としていまだに記憶に残っている。
 
文科の時代 (1974年)

文科の時代 (1974年)

 「文科の時代」が1974年刊(わたくしが持っているのは1978年刊 第5刷)。この本では「オカルトについて」が記憶に残っている。 「ドイツ参謀本部」も1974年刊。渡部氏の本としては異色の本。面白かった記憶はあるが、わたくしの関心領域の話ではなく、あまり記憶に残っているものがない。
腐敗の時代 (1975年)

腐敗の時代 (1975年)

 「腐敗の時代」が1975年で、この本では「戦後啓蒙のおわり・三島由紀夫」が鮮明な印象で残っている。「鏡子の家」を石坂洋次郎の「青い山脈」と対にして読むという卓抜な論であった。
 「知的生活の方法」はその後の1976年に刊行されている。
正義の時代 (PHP文庫)

正義の時代 (PHP文庫)

 「正義の時代」は1977年。あまり記憶に残っている論はない。

 「「人間らしさ」の構造」も1977年。この本も講談社学術文庫版でもっていたと思うのだが、今手許にみあたらない。

 「教養の伝統について」も1977年。これも「スペンサー・ショックと明治の知性」、「白雲郷と色相世界」など鮮明に記憶に残っている論が多い。明治の知識人にハーバート・スペンサーがあたえた強烈な影響、ラフカディオ・ハーンのような人間にもスペンサーは非常に大きな影響をあたえたこと、漱石へのスペンサーの影響など、本論から教えられたことは多い。

 「レトリックの時代」も1977年。これも持っていたはずだが見当たらない。

 「新常識主義のすすめ」は1979年。これは「新常識主義のすすめ」と「不確実性の哲学」。前者は大作家が匿名で書いた「彼」というポルノについて論じたもの。それが面白くて「彼」「彼女」という翻訳を読んだり、原書も見てみたりした。随分とやさしい英語で書かれているように思えたが、それでも最後のほうは話がこんがらかってよくわからなくなった。後者はヒュームとハイエクについて論じたもの。ヒュームについてたくさんのことを教えられた。一方「進化論の受容に関する一考察」などという論もあるのだが、どうもこういう方面になると議論が雑になって独断的になっていることを感じる。
 氏の著作ではないがF・フクヤマの「歴史の終わり」も渡部氏の翻訳ということになっている。1992年刊である。この本にも随分と教えられることろがあった。
 氏は1930年生まれであるから、40歳から50歳くらいのあいだに書いたものがわたくしには一番面白かったことになる。おそらく渡部氏が20歳ごろから40歳ごろまで蓄積したものが、ある年齢から花を開いたということなのであろう。開高健篠沢秀夫を評した言葉を使えば「底がはいっている」。
 晩年の氏は単なる保守おじさんという感じであったが、そこらへんの言説はとくに面白いものはなかった。しかし、ある時期の氏は、氏ではなくては述べることのできない「底のはいった」論を多くわれわれに提示してくれていたのだと思う。