ラフォルグ「ハムレット異聞」吉田健一訳

  角川書店 1950年
  
 「文藝春秋 Special」 2009年春号「日本人は本が好き」を買ってきたぱらぱらと見てみたがあまり惹かれる記事はなかった。そのなかで、青柳いづみこ氏の「ラフォルグ抄」が面白かった。氏が引用している詩の一節がわたしの好みとどんぴしゃりだったので嬉しくなった。
 
 要するに、私は、「貴方を愛してゐます。」と言はうとして、
 私自身といふものが私にはよく解つてゐないことに
 気付いたのは悲しいことだつた。
 
 青柳氏は小澤書店の「ラフォルグ抄」を自分の読んだ本としてあげている。1975年刊である。わたくしのもっているのは皮表紙の素敵な本で、「限定1200部刊行 本書はその290番」となっているが、のちに普及版も刊行されたらしい。「最後の詩」と「伝説的な道徳劇」を収めている。上の引用は「最後の詩」のなかの「日曜日」の冒頭部分。
 わたしがこの詩を最初に知ったのは、垂水書房版の「葡萄酒の色」(1964刊)によってであった。吉田ファンになったのは、吉田氏はまだブレークする前だったので、神保町の古本屋さんにいくと、垂水書房版の著作集が山のように積まれて叩き売りされていた。よほど売れなかったのであろう。「感想A」とか「感想B」なんて無愛想な題名もあり、もともと売る気もなかったのかもしれないが。
 わたくしが吉田氏の本を読み出したのは、1968年ごろに刊行された原書房版の「吉田健一全集」によってであったが、それには訳詩集である「葡萄酒の色」は収められていなかったので、垂水書房の「葡萄酒の色」を買い求めたのであろう。
 それでラフォルグの「最後の詩」にいかれた。原書房版全集に収められたラフォルグ論などで「伝説的な道徳劇」のことも知っていたのかもしれない。「ハムレット異聞」を偶然神保町の古本屋でみつけた時は胸がときめいた。買おうかどうかは散々迷った。なにしろ1300円もするのに、雨にうたれたのではないかと思われるひどい状態だった。定価は90円である。大学生の頃の1300円だから、今なら7〜8千円であろうか? すねかじりの身としては相当考えた。
 「ハムレット」と「サロメ」と「パンとシリンクス」の3編と吉田健一自身の「ラフォルグ論」を収めたという変な構成の本である。「ハムレット」と「パンとシリンクス」は耽読した。
 「ラフォルグ論」は「文學界」昭和十四年一月号に掲載されたとあるが、それがひどい日本語なのである。健一二十七歳。ちょっと引いてみる。「さらに具体的にいへば、文化の発達は過去の文化の消滅することをゆるさず、それらを保存し、あらたに発見し、普及せしめ、現実化し、現在本来の素朴な、日常的な現実はさういふ過去の氾濫、それらの夥しい即知事実の侵入を処理し得ずして現実を退位し、それらの過去は、その区々の姿をして現実と化する。」 なにを言っているのかさっぱりわからない。
 こういう日本語を書くひとが、なんで「ハムレット」の素晴らしい翻訳をできたのかがわからない。約10年後のものであるとしても。「鉛の格子で菱形に区切られゐる黄色い硝子がはめてあつて、あけると軋つて微かな音をたてるお気に入りの窓から、奇妙な人物に違ひないハムレットは気がむいた時に水の上をあちこちと眺め廻すことが出来た。それは水の上でも空でもどちらでも通用することで、彼の瞑想や錯乱はさういふ場所を出発点としたのだつた。」
 「ラフォルグ抄」では、「伝説的な道徳劇」として、「ハムレット」「薔薇の奇跡」「パルシファルの子、ロオエングリン」「サロメ」「パンとシリンクス」「ペルセウスアンドロメダ」の6篇が収められている。「ハムレット異聞」はその内の3篇だけであるし、それに吉田健一自身の若書きのラフォルグ論をおさめるものなので、吉田健一の著作目録とか年譜をみても独立した著書としてはあつかわれていないようである。(「伝説的な道徳劇」の翻訳は「ラフォルグ全集」の一部としてすでに刊行されていたらしい。) しかし大岡信氏など何人かの人が「ハムレット異聞」についての思い出を語っているのを読んだことがある。一部のひとのあいだでは伝説的な本であったらしい。わたくしがこれをみつけたのは偶然であるが、吉田健一のイメージの中に、この汚れた古い本は大きな位置を占めている。この当時公開されたローレンス・オリビエか誰かが主役を演じた映画「ハムレット」に当て込んだ際物の本だったのかもしれないが。
 ところで、青柳氏はラフォルグがドビュッシーに通じるというのだがそうだろうか? デーリアスなどに近いというようなことは?
 

ラフォルグ抄 (1977年)

ラフォルグ抄 (1977年)