ジュール・ラフォルグ「聖母なる月のまねび」

 ジュール・ラフォルグは19世紀後半のフランスの象徴派の詩人で、27歳で死んでいる。T・S・エリオットなどに影響を与えたといわれ、日本でも、中原中也梶井基次郎などが愛読したのだそうである。作品としては、「嘆き節」「聖母なる月のまねび」などがあるようであるが、わたくしは、吉田健一訳の「伝説的な道徳劇」と「最後の詩」しか知らなかった。
 ラフォルグというと、わたくしがまず思い出すのが、吉田健一訳の「ハムレット異聞」という本である。これは1950年に角川書店から刊行されたものであるが、1947年生まれのわたくしが三歳で読むわけはない。二十歳くらいの時、神田の古本屋で見つけたものである。後に「ラフォルグ抄」として小澤書店から刊行され、さらに講談社文芸文庫にも収載された。
 この「ハムレット異聞」は、ラフォルグの書いた散文である「伝説的な道徳劇」から吉田氏が訳した「ハムレット」「サロメ」「パンとシリンクス」の三編と、吉田氏自身が書いた「ラフォルグ論」を収めたものである。
「ラフォルグ論」は、当時、日本語より英語やフランス語のほうが上手だった健一さん文章なので、とんでもない日本語である。「すなはち理想論的に言へば、因果関係によつて、また近代以前までは恐らく事實であつたことに従へば、過去は或る一時代に於て歴史的なものであり、それを歴史的に統一できる材料に於て貧困であり、之に反して現在は充實してゐて、その無碍の現實感は過去を現在の見地より観照し、未來を現在の発展として想見することを許すものなのである。・・」というほとんど文意不明、解読不能の悪文で書かれている。
 しかし翻訳の方は、例えば「ハムレット」から引用すれば、「鉛の格子で菱形に区切られゐる黄色い硝子がはめてあつて、あけると軋つて微かな音をたてるお気に入りの窓から、奇妙な人物に違ひないハムレットは気がむいた時に水の上をあちらこちらと眺め廻すことが出来た・・」と明晰な文になっている。
「葡萄酒の色」に収められた詩もまたきわめて明晰である。

そしてその女の体が私にとつて凡てなのではなくて、
その女にとつて私は偉大な心の持主であるだけだといふ訳でもない。
ただ二人でどこかに行つて、
一緒に仲よく羽目を外そうと思ふばかりなのだ。
魂と体、体と魂、それは、女に対して少しでも男として振舞ふといふ、
エデンの園の誇りに満ちた精神なのだ。・・

 ということで、ラフォルグについては吉田氏の翻訳しか知らず、この本のことも知らなかった。
 たまたまアマゾンでこの「聖母なる月のまねび」(平凡社ライブラリー 1994)が出版されているのを知り、とりよせた。「最後の詩」「聖母なる月のまねび」「地球のすすりなき」の三つの詩集を収めている。「最後の詩」は吉田健一訳、他は中江俊夫氏らの訳。
 問題はこの本が現代仮名遣いになっていることである。
 それで、「冬が来る」の第二連は、
公園のベンチは濡れていて、もう腰掛けることが出来ない。
もう来年まで何もかもおしまいで、
ベンチは濡れているし、木の葉の色は変り、
角笛はもう吹かれるだけ吹かれているのだ。・・・
 であるが、一方吉田氏訳の「ラフォルグ抄」では、
公園のベンチは濡れてゐて、もう腰掛けることが出来ない。
もう来年まで何もかもおしまひで、
ベンチは濡れてゐるし、木の葉の色は変り、
角笛はもう吹けるだけ吹かれてゐるのだ。・・・
 である。
 丸谷才一さん亡きあと、歴史的仮名遣いで書く作家はもういないだろうが、わたくしなど、どうも同じ吉田健一訳でも歴史的仮名使いのほうがぴったりくる。歳をとるというのも困ったものである。
 因みに、手許にある昭和27年刊のボウェンの「日ざかり」(吉田健一訳)も歴史的仮名遣いだった。「その日曜は六時からウィンナ音楽を演奏してゐた・・」
 日本の本はいつ位から現代仮名遣いになったのだろうか?

 さて肝腎の「聖母なる月のまねび」は、どうもぴんとこなかった。やはり健一さん訳の「最後の詩」のほうがすっきりしている。

ハレルヤ、陸でなしの地球奴。
芸術家達は、「もう遅い、」と既に言つた。
地球が滅びるのを
早めてならない理由はない。

市民達よ、武器を取れ。「理性」がこの世から失われたのだ。・・

この「市民達よ、武器を取れ。Aux armes, citoyens !」というのはフランス国歌の一節だったと思う。
 この詩はその先、次のように続く。
彼の風邪が重つたのは先週のことだ。
猟が終るまで角笛の音に聞き惚れてゐたのは
先週の或る美しい夕暮れのことだつた。
彼は角笛の音に、又秋の為に、
「恋死に」するものもあることを我々に示したのだ。
人はもう彼が祭日に、
戸を閉めて「歴史」に耽るのを見ないだろう。
この世に来るのが早すぎた彼は、騒ぎ出さずに去つたのだ。
それだけのことなのだから、人よ、私の廻りにゐる人達よ、銘々お家に帰りなさい。

 吉田健一の葬儀で河上徹太郎がこの部分を弔辞で読んだのだと記憶している。