吉田健一訳詩集「葡萄酒の色」「ラフォルグ抄」

 わたくしが持っている吉田健一の訳詩集「葡萄酒の色」は昭和53年(1978年)刊の小澤書店(発行者長谷川郁夫)刊のものと、2013年刊行の岩波文庫の二冊である。
長谷川郁夫氏の「吉田健一」(新潮社2014)によれば、昭和50年に刊行された「ラフォルグ抄」は吉田氏によるラフォルグ訳をすべて収めたもので、限定千二百部の天金の美装本とある。(たまたまわたくしは290番を持っている。確かに綺麗な本である。本というのはみんなこんなだといいなと思う。)
 それで、その中の「パンとシリンクス」でパンが歌う歌。
その美しい魂に私の肉体は焦がれてゐる。
その肉体に私の美しい魂は焦れてゐる。
それを私は毎晩嘆いてゐるのに
まだ誰も来てくれる様子はない。
その肉体が私にとつて凡てなのではなく、
彼女にとつて私は偉大なパンであるだけではないことだらう。
何も難しい話をしてゐるのではないのだ! ただ仲よく物語の主役として
羽目を外そうといふことだけなのだ!
 「ただ仲よく物語の主役として 羽目を外そうといふことだけなのだ!」というところがとても素敵である。
 一方「葡萄酒の色」は昭和53年(1978年)に小澤書店から刊行されているので、吉田氏死後の刊行のようである。後の岩波文庫版(2013年刊)には、吉田氏の令嬢曉子氏による「父と母の『葡萄酒の色』」と、富士川義之氏によるかなり長い「解説」(30ページほど)が付されている。
 この曉子氏と富士川氏の文はまだ読んでいなかったので、今度あらためて読んでみた。曉子氏によると、「葡萄酒の色」は昭和39年に限定五百部の美装本として刊行されているのだそうである。この年にはわたくしはまだ高校生で吉田健一の名前も知らなかったので、当然それは持っていない。岩波文庫版には9ページに「葡萄酒の色」という墨書の題字があるが、これは昭和39年の限定版に使われた健一夫人の手によるものらしい。
 「葡萄酒の色」の巻頭に掲げてあるギリシャ語はわたくしにはちんぷんかんぷんであるがホメロスオデッセイア」からの引用のようで、「葡萄酒の色」という題名はこれに由来するという。わたくしは迂闊にもヴァレリーの「失はれし酒」からとられたものと思い込んでいた。
 この訳書の中で、「失はれし酒」とボードレールの「秋の歌」の二編だけは文語体で訳されている。なぜなのだろうか?
 シェイクスピアソネット第十八番はとても有名らしいが、わたくしは大学の教養学部の英語の授業で知った。先生が「君らも将来、英国人と接することになるだろうが、そうだとするとこの詩くらいは暗唱しておいたほうがいいよといって、これを教えてくれた。恥ずかしながら、その時にはシェイクスピアソネットを書いていたことさえ知らず、もっぱら「ハムレット」とか「リア王」とかの戯曲を書いたひととばかり思っていた。
英語のもう一人の先生の授業の教材はウッドハウスジーブスものだった。これには閉口した。英語が難しいわりに話はまったくたわいのないどたばた話で、何でこんな本を読まねばならないのだと思った。
 美智子妃がまだまだ読むべきジーブスものがたくさん残っているといったあたりから一時日本でもジーブスものが流行ったが、そもそも召使とか執事という身分が日本人にはぴんとこないものなのだから、ジーブスものの面白さというのはごく一部の英国通以外にはわからないのではないかと思う。(だからカズオ・イシグロ日の名残り」も) 因みに健一さんは長く英国で暮らしたひとだから、ウッドハウスを愛読していたそうである。今から思うと教養学部の英語の先生方は英語を教えるなどいう気はさらさらなくて、英国とその文化を教えようとしていたのだろうと思う。
 ソネット第十八番「君を夏の一日に喩へようか。/君は更に美しくて、更に優しい。・・」の「夏の一日」も、また「夏の世の夢」の夏も英国の夏というのは日本の夏とはまったく異なるのだということを吉田健一が「英国の文学」で言っていたと記憶する。

Shall I compare thee to a summer's day?
Thou art more lovely and more temperate:
Rough winds do shake the darling buds of May,
And summer's lease hath all too short a date:
・・・
 DayとMay、temperateとdateが韻を踏んでいるわけで、いくら名訳でも詩は原語で読まないといけないのかもしれない。
 さらにはシェイクスピアの詩は(そして戯曲も)原則「弱強5歩格」というリズムで書かれているのだそうで、劇の台詞もほとんどがこのリズムで書かれているのだそうである。当然ハムレットの「生きるべきか、死ぬべきか」も。(To be or not to be, that is the question.) だからそもそも詩を翻訳で読むということ自体が無理なのかもしれない。
 「英国の文学」で吉田氏は、M・アーノルドの「ドオヴァアの海岸」のAh,love,let us be true/ To one another! を「君よ、我々は互に/慰め合わなくてはならない。」と訳している。Loveが君で、be true が慰め合う、どんな辞書だってこんな訳語は出てこない。だから翻訳はほとんど創作にもなるのだろう。
 「葡萄酒の色」の最後にあるのが、ディラン・トマスの「ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶」である。
 この第三連の「一人の女の子が焼け死にした荘厳を私は悼まない。/私はその死に見られる人間を/何か真実を語ることで殺したり、/これからも無垢と若さを歌つて、息をする毎に設けられた祈祷所を/冒瀆したりすることをしないでゐる。」という部分は今日本で行われている薄っぺらな言論の全否定のようにも思える。そして最後の「最初に死んだものの後に、又といふことはない。」After the first death,there is no other は殆ど翻訳不能なのかもしれない。そうであれば殆ど逐語訳のような吉田氏の訳になるしかないのだろうと思う。
 この「葡萄酒の色」ではイエイツの「墓碑銘」もいい。その墓碑銘。
生きてゐることにも、死にも/冷い眼を向けて、/馬で通るものは馬を走らせて去れ。
 トマスの「ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶」にもどこか通じるところがあるように思う。感傷の排除。