塩原俊彦「ウクライナ戦争をどうみるか」(2)

 BBCが2014年春のウクライナを報道した「ニュースナイト:新しいウクライナにおけるネオナチの脅威」という番組がある。これをみれば少なくとも2014年の段階において「ネオナチ」といわれるようなものがウクライナに存在していたことがわかる。プーチンウクライナのネオナチを成敗することを今回のウクライナ侵略の理由のひとつにあげているのだが、それがまったくのデタラメとはいえないことが理解されるはずである。
 冷戦下でのアメリカの対ソ連戦略は、ソ連を構成する複数の共和国でナショナリズムを煽りソ連邦の内部からソ連を揺さぶろうとするものだった。これは1991年のソ連崩壊の原因の一つになる。ソ連を後継したロシア連邦独立国家共同体を作ったが、アメリカはグルジアウクライナで親米勢力を結集させて、ロシアから離反させようとする。その結果2003年の「バラ革命」でグルジアには親米政権ができる。
 さらに2004年には「オレンジ革命」がおき同年の選挙でヤヌコヴィッチが当選するが、対立するユシチェンコ陣営が選挙に不正があったとして抗議行動にでたため、12月に再選挙となり、ユシチェンコが当選した。その後ろには「米国民主主義基金」という非政府組織があった。米国ではブッシュ大統領のもとで重用された「ネオコン」と呼ばれる人たちが民主党政権下でも生き残っており、「独裁的国家」「権威主義的国家」を転覆させるための活動を続けていた。「アラブの春」の動きであり、ウクライナでも同様の活動を続けていた。
 しかし、グルジアでもウクライナでも親米政権はすぐに頓挫した。(塩原氏によれば)民主主義を定着させる国内構造(例えば多数の中間層の存在)がないままの民主化は、内政の腐敗などですぐに民心の支持を失ってしまう。ウクライナではヤヌコヴィッチが選挙で選ばれる。
 「アラブの春」のその後の悲惨はよく知られている。シリア、リビアチュニジア・・。
米国政府による民主主義の輸出は大失敗したにも関わらず、米国のネオコンはいまだに民主主義の輸出を続けている。ある有名な学者は2022年に「ウクライナは最新のネオコン災害である」という論文を発表している。
 さて2013年の段階でヤヌコヴィッチ大統領がかかえていた問題は経済の立て直しである。2011年にガス価格を引き上げるという対外公約を反古にしたため、IMFが融資の一部を凍結したからである。そこにプーチンが助け舟を出した。それでヤヌコヴィッチはソ連に接近した。その結果、米国(特にヌーランド国務次官捕を筆頭にするネオコン派)後押しされた反ヤヌコヴィッチ政権派が政権打倒に動く。(なお、「ワシントン・ポスト」とか「ニューヨーク・タイムズ」はユダヤ系マスメディアなのだそうで、それゆえにこのあたりのヌーランドらの動きはほとんど報道されなかったのだそうである。それゆえこの2014年にウクライナでおきたことを知らないのだと塩原氏はいう。)
 ウクライナではネオコンの扇動により、ロシア系住民への暴力事件がおきる。その結果、ロシア系住民が多数を占めるクリミア半島の人々がロシアへの併合を望むようになる。3月16日の住民投票で96.77%がロシアへの併合に賛成した。(もちろん、その裏にはロシアの周到な準備があったのだが。ロシアは軍港セヴァストポリだけは死守せねばならなかったので。)これはヌーランドらネオコンには大きな痛手となった。さらに親米暫定政権への反発からドンバスとドネツク州も親ロシア派の地域となった。
 以上が2014年のウクライナ
 ここからは2014以降のウクライナ
 ヤヌコヴィッチを追放したことで、事実上ウクライナは米国の支配下におかれることとなる。
 2014年15年の二回の「ミンスク合意」・・ドンバスの和平問題についての合意。これはウクライナが強くなるための時間稼ぎであったとドイツのメルケル首相が引退後に述べている。プーチンは合意による和平を信じていたのに。
 当時アメリカの大統領はオバマで、ウクライナを担当していたのはバイデン副大統領である。
 ネオコンは彼らが親ロシア派と見なしたヤヌコヴィッチを政権から追い出すことには成功したが、ウクライナナショナリストによるロシア系住民への暴力をも生むことになり、」それがプーチンの干渉を引き起こすことになり、クリミア併合という予想外の展開を生むことになる。
 ここまでは本書第2章の「2014年春にはじまった? ウクライナ戦争」のp61~p90までの記述のわたくしなりの抜粋である。
 p90で塩原氏は「複数の悪に気づけ」と言っている。プーチンの悪はあまりにも明らかだが、だからと言って侵略をうけたウクライナや米国が善ということには決してならない、と。ウクライナ・米国の側の悪の一つがネオコンなのであり、バイデン政権の中枢はネオコンで占められているのだ、と。
 ある学者はリベラル派を「生存主義的リベラリズム」と「進歩主義リベラリズム」に区分しているのだ、という。
 生存主義的リベラリズム;権利の概念を個人の自由・・言論の自由報道の自由、財産権などに限定するもの。
 進歩主義リベラリズム:個人の自由以外に、機会均等などの政府によって推進される権利にもコミットするもの。・・この立場に生存主義的リベラリズムは反対する。
 米国政府はこの進歩主義リベラリズムにコミットしており、それゆえ国際問題に介入しつづけてきた。塩原氏はこの進歩主義リベラリズムという悪に私たちは立ち向かわなくてはならないという。
 ひとはどう思うかわからないけれど、自分では自分のことを「生存主義的リベラリズム」の側の人間と思っている。要するに「抛っておいてくれ! その代わりあなたのことにも口は出さないから!」 もちろん政治の側がそれを許してくれず、こちらに介入してくることもおこりうるだろうと思う。そうなればわたくしは潔く負けを認める。誰かがそうならないように奮闘してくれていて、その成果にわたくしがただ乗りしている、おいしいところだけを享受しているという見方もあるだろうし、それを否定はしない。
 小室直樹氏の「危機の構造」(中公文庫 1991)に「中立の権利の尊重」という言葉がでてくる。ナチスの時代においてもナチスは自分たちに抵抗するものは徹底的に弾圧したが、自分達に関係のないものは許容したのだと。わたくしもその伝で抛っておいてもらいたい。もちろん、勝手な言い分であることは承知しているが。

 さて、2014年以降のウクライナに戻る。
 アメリカはいつの日かクリミア半島をロシアから奪還し、ドンバスを平定し、さらにウクライナNATO加盟にまでもっていきたいと考えた。プーチンは2015年ミンクス合意を信じたが、アメリカとNAT Oにとってはそれは単なる時間稼ぎに市過ぎなかった(という見方もある)。

 ここまでの塩原氏の見解であり、あくまでも氏個人の見解であって、それがすべて正しいということではもちろんない。
そもそも投票という制度は「何が正しいかはわれわれには判らない」ことを前提とした制度のはずである。一方、例えばマルクス主義というのは何が正しいかを賢者は知るということを前提にしている。だからこその「前衛」であり「科学的」社会主義なのである。愚かな後衛は自分達のいうことを聞いて黙ってついてくればいいということになる。
 そのリベラリズムには政治的リベラリズムの側面があり、その核心は個人主義にあり、それを不可侵の権利とみなす。その立場をとる人間は、これは地球上すべての人間に共有されるはずであると考えている。
リベラリズムは寛容を重視し、意見が異なるものがいても、互いに尊重しあうことを規範としている。しかし、リベラル派も「生存主義的リベラリズム」と「進歩主義リベラリズム」に二分される(と塩原氏はいう)。
 「生存主義的リベラリズム」は個人の自由の立場である。言論の自由報道の自由、財産を持つ権利を尊重し、国家はできるだけ社会に関与すべきではないと考える。
 一方「進歩主義リベラリズム」は個人の自由を尊重するが、国家の関与を容認し、それにより、将来の世界はもっと良くなっていくと考えている。
 米国は「進歩主義リベラリズム」の立場をとり、介入主義で世界に関与してきた。その典型がウクライナでの2014年の出来事なのであり、それが結果として2022年のウクライナ戦争を誘発した(という見方がある。)
 塩原氏はこの「進歩主義リベラリズム」を悪であるとして、私たちはそれにたちむかわなければならないとしている。
 カプランという人は「国内では合法的政府が武力の行使を独占しているが、世界全体はまだ自然状態で、ホッブスリヴァイアサンは存在していない」としているのだそうである。
 つまり、小室直樹氏がいう「中立の権利の尊重」は世界レベルでみればまったく実現していない。
わたくしはもっぱら「生存主義的リベラリズム」にのみ関心を持ち「進歩主義リベラリズム」には関心なしできた。ということは政治には関心を持たない(持てない)ということである。
 わたくしはいわゆる全共闘世代で、二十歳頃に大学紛争?闘争?に遭遇している。その時も傍観者であった。
 ドラッカーに邦訳の題名が「わが軌跡」となっている自伝がある(ダイヤモンド社 2006年)。原題は「Adventures of A Bystander」「傍観者の冒険」である。そこの「新版への序文」でドラッカーは「神は多様性を愛でる」としている。しかしこの50年、世は、集権、順応を求めた、と。全体主義はもちろんのこと、民主主義でも、と。最終章は「お人好しの時代のアメリカ」と題されている。そして真珠湾への攻撃で「お人好しの時代のアメリカ」は終わったのだ、と。
 そうであれば、もう傍観者の時代は終わったのであり、政治の季節が到来した。そういう中で「生存主義的リベラリズム」などというのは時代遅れの感傷に過ぎないのかも知れない。しかし、「わが軌跡」でもいわれている「人と群れないこと」、というのはやはりとても大事なことではないかと感じている。