「自選 大岡信詩集」

自選 大岡信詩集 (岩波文庫)

自選 大岡信詩集 (岩波文庫)

 わたくしにとって大岡信という人は、まず第一に吉田健一に「ヨオロツパの世紀末」を書かせた人である。清水康雄氏が「ユリイカ」復刊に際し、吉田氏に何か連載を書いてもらうことは決まったが、どういうテーマで頼んだらいいか決めあぐね、大岡氏に相談したら、大岡氏が「それはヨーロッパの世紀末しかないでしょう」と即答したことから、この連載が決まったという話である。
 しかしその大岡氏だって「ヨオロツパの世紀末」という本がまさかヨーロッパ18世紀論になるとは思ってもいなかったはずで、おそらく若き日に読んだ吉田健一訳のラフォルグ「最後の詩」や「伝説的な道徳劇」などの周辺をめぐる論を期待していたのではないかと思う。そして吉田氏自身も最初はそんな方向に話が展開すると考えなかったわけで、アール・ヌーヴォーとかビアズレイとかを調べたと後記に書いている。だが、できあがったものにはどこにもアール・ヌーヴォーもビアズレイもでてこない。
 「ヨオロツパの世紀末」が書かれなければ、その後展開した後期あるいは晩年の吉田氏の諸作も書かれることはなかったはずで、とすればわれわれが知っている吉田健一を作ったのは大岡氏のこの一言だったかもしれないのである。
 そして吉田健一は文学の最高位に詩を置き、小説などはほとんど文学と認めなかった人であるが、日本の明治以降の詩人としては三好達治中原中也、中村稔、大岡信くらいしか認めていないようなのである。大岡氏は吉田氏から詩人と認められた数少ない現代の詩人の一人なのである。萩原朔太郎西脇順三郎田村隆一谷川俊太郎もお眼鏡に適わないらしい。
 この岩波文庫の新刊は、大岡氏の詩を一望できるもので、わたくしの好きな「あかつき葉っぱが生きている」も「悲しむとき」も収められている。
 最後に略年譜があるが、昨年84歳と書かれている。今年85歳である。何かとても若い瑞々しいイメージの人なのだが・・。
 昭和6年生まれで、敗戦時14歳である。戦後の人というイメージは修正が必要なのかもしれない。