大岡信さんを送る会

 
 本日、明治大学で行われた「大岡信さんを送る会」に参列してきた。妹の中高から親しくしている同級生が大岡さんの娘さんの御主人ということで妹が誘われ、それをきいて全然大岡信の詩を読んでいない妹に、これくらいは読んでおいたらと何冊かの詩集を見せたら、それなら来いと引っ張りだされた。
 それで自分と大岡さんの詩のかかわりを考えてみると、やはり吉田健一との関係であると思う。
 大岡さんのものを最初に読んだのがいつかは覚えていないけれど、おそらく吉田健一朝日新聞の「文芸時評」で、大岡さんの「透視図法」をとりあげて、明治以降、中原中也三好達治、中村稔に続いて四人目の詩人が出現したといったことを書いていたのをみて、それで読んでみる気になったのではないかと思う。この時評が昭和47年であるから、わたくしが25歳のときである。
 もう一つ、吉田健一大岡信の関係ということでいえば、これは後から知ったことであるが(長谷川郁夫「吉田健一」など)、昭和45年に復刊された「ユリイカ」に執筆がきまってはいたがテーマがきまっていなかった吉田健一の連載のテーマにつき、「ユリイカ」を再興した清水康雄氏に、それなら「ヨーロッパの世紀末」しかないでしょう、という示唆をあたえたのが大岡信氏であったのだという。晩年の吉田健一の輝きは「ヨオロツパの世紀末」執筆なしにはありえなかったであろうから、わたくしのような健一ファンにとっては大岡氏は大変な恩人ということになる。
 またこれは無理に因縁話にする必要はないことであるが、吉田健一の最後の連載となり、その死により中断された「読む領分」の最終が大岡氏の「悲歌と祝祷」である。
 今日の会で「大岡信の詩16」という小冊子が配られたが、その最初の二編の初期の詩、「夏のおもひに」と「水底吹笛」は、中村稔氏の初期の絶唱「海女」の影響が色濃くあるように感じた。