岡田暁生「恋愛哲学者モーツァルト」
- 作者: 岡田暁生
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/03
- メディア: 単行本
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先日入手した「ポストモダンを超えて」で、三浦雅士氏がこの本を絶賛していたので読んでみようかと思った。新潮選書2008年刊の本書は既に絶版らしく、古書店から入手したのだが、初版本であるところを見ると、あまり売れなかったのだろうなと思う。
わたくしも刊行当時、題名を見て、モツアルトについてわざと奇をてらったことを書いた本なのだろうなと思い、手にとることもしなかった。題名がうまくないのではないだろうか? 「モーツアルトの恋愛歌劇」とでもすればまだしも売れたということはないだろうか?
それで例によって「あとがき」から読んでいるのだが、そこに驚くべきことが書いてある。著者がこれを執筆したのは氏が47・8歳の頃だろうと思うのだが、「コテコテの一九世紀ロマン派音楽研究から出発した」氏は、「つい数年前まで十八世紀については、『アンシャン・レジームの哀しくも雅なベルばら世界』」程度の認識しかな」く、「啓蒙主義などと聞いても、『どうせ無知蒙昧な大衆を教え諭し覚醒させようとする、傲慢な哲学者の企てだろう」と勝手に思い込んで、根拠もなく反発していた』というのである。氏のような学者さんでもそうなのだろうか? さらに「十八世紀というものが、二一世紀の我々が直面しているありとあらゆる難問をいちはやく、そして一九世紀以降の近代市民社会などより余程潔く、冷徹に、一分の感傷をも混入させることなく見つめていた時代だったということ、そしてこれを理解することこそ、モーツアルト理解のアルファでありオメガだということ」に気づけたのは、18世紀思想について研究している京都大学人文科学研究所に勤めることになったことによるのだという。ふーん、そんなものなのかなあと思う。吉田健一の「ヨオロツパの世紀末」など、学者さんはあまり読まないのだろうか?
「あとがき」には、クンデラの「感傷とは野蛮の上部構造である」という言葉も紹介されている。一九世紀的な「甘ったるくロマンチックな野蛮」と対立するものとしてのモーツアルト。
「一八世紀がどれだけはちゃめちゃで、ぶっ壊れていて、大胆で、エッチで、絶望的で、でも優美で、比類のないバランス感覚と人間愛に溢れていて、少し哀しげだけれど微笑みを忘れず、しかし途方もなくラディカルで、人間洞察においてぞっとする程冷徹かつ徹底的で、そしてどれだけ現代的であるか」などというのは、エッチ方面を除いたら「ヨオロツパの世紀末」に書かれていることそのものだと思う。(吉田氏はエッチ方面は苦手な人)。
ということで、本書はモツアルトの歌劇を題材に一八世紀人モツアルトを論じようとするもののようである。
日本では(世界でも?)人気のある歌劇というのは「甘ったるくロマンチック」の方面のほうであるようである。ヴェルディ・プッチーニ・・。でもこれはベートーベン的な深刻と論理的構成の音楽への反発という側面もあるのかもしれない。何しろ歌劇は曲の途中で拍手してもいい例外的なクラシック音楽なのである。
しかし、一番の問題は、日本でのオペラ公演のチケットがあまりに高いということなのではないかと思う。岡田氏の本を読んで、そうかではモツアルトの歌劇を見てみようかと思っても、それはわれわれの生活の延長線上にはほとんど存在していないのである。