アメリカ

 田村隆一に「リバーマン帰る」という詩がある(「新年の手紙」昭和48年刊所収)。「雨男のリバーマン、アメリカは中西部/ トーモロコシの空間に帰って行くよ。」と始まる。 「横浜の波止場から/ おお 船に乗って!」/ 二人の娘と、一人の息子を/ 両脇にかかえて、白熊のような奥さんに、/ Support されて、イリノイ大学へ帰って行くよ。/ 早く帰らないと、/ ウーマン・リブの女教師に、Professor の Position を/ とられてしまうぞ、・・・」 
 そのお別れパーティで「ぼく」は演説する。「原稿料が入ったから、雨男は料理屋へ行ったよ、/・・そこで、板前がたずねたものだ、「お客さん、ご職業は?」/ 雨男は、鼻をヒクヒクさせて、マイルドな日本語で答えたものさ、/ 「わたしは、シュジンです」/ 「へえ、主人?」/ 「シジンです」/ 「なーんだ、詩人ですかい」/ そこで、ぼくは演説したよ、ヒョロヒョロ、立ち上がって、演説したんだ、「日本じゃ、/ 大学の先生と、云ったほうがいいね、詩人といったら、乞食のことだ、中西部とはちがうんだ、あの燃える、/ 夕日がギラギラ落ちて行く、トーモロコシ畠のまん中で、/ ほんとうの詩人とは、腕ぷしの強い農夫のことさ、日本じゃ、進歩的なヘナチョコ百姓ばかり、アメリカといったら、ベトナム戦争と人種差別のオウム返しさ、・・・」
 今のアメリカについての報道をみていると、わたくしなどにはもうまったく理解できないことばかりである。それはおそらく「中西部の」「燃える夕日がギラギラ落ちて行くトーモロコシ畠」とそこにいる「腕ぷしの強い農夫」がわたくしのまったくの理解の外にあるからなのであろう。
 わたくしは二十歳からの人生を結局、吉田健一信者として過ごしてきたと思うけれど、その吉田健一について「鼎談書評」(昭和54年刊)で山崎正和氏がこんなことを言っている。「吉田健一のヨーロッパ的ものさしでは、日本酒こそ最高の位置に来る、その矛盾から出て来るのが「「反米」なんです。アメリカ文明というのは浅薄で、日本に何の影響も及ぼさなかったというところだけ、吉田さんに似合わず少し激してるんですよね。イギリスと日本という、どちらも何かトロトロと溶けたような、不可思議なとこで育った人が、一箇所明快にいえるのは、「アメリカ人はバカだなあ」ということなんだと思う。」 それに応えて、丸谷才一氏が、「吉田さんんが亡くなったあと、中村光夫さんと故人を偲ぶ話をしたんです。そうしらた中村さんが、「アメリカって国が存在することを、黙認してやるっていった調子だったねえ(笑)」 ぼくはとてもうまい表現だと思った。・・・」
 吉田健一は都会の人であった。「トーモロコシ畠」とか、そこにいる「腕ぷしの強い農夫」とかには縁もゆかりもないひとであった。
 そもそも文明というのは都会が生み出すものであるというのが吉田氏の信念であったはずである。そしてもう一つ氏にとって文明化というのはキリスト教の持つ野蛮の克服をも意味していた。(「我々にとつて重要なのはギボンにキリスト教といふものが一種の狂気にしか見えなかつたことである。・・古代に属する人間にとつてキリスト教は明らかに狂気の沙汰である他なかつたのであり、その狂気が十数世紀も続いたならばヨオロツパがヨオロツパであるには古代の理性が再び働いて均衡の回復を図らなければならなかつた。」(「ヨオロツパの世紀末」)
 リチャード・ドーキンスに「悪魔に使える牧師」とか「神は妄想である」とかいった変な本があって、わたくしの印象ではまずもって野蛮な本なのであるが、ドーキンスさん今のアメリカの状態をみていたら悲憤慷慨、ほとんど憤死しかねないのではないかと思う。そのドーキンスの論敵のS・J・グールドはその本を読むかぎり文明的ではあるのだが、その論旨を曇らせているのもキリスト教である。つくづくと宗教というのは困ったものだと思う。
 もう後数日でアメリカ大統領選挙である。トランプさんという人はわたくしにはほとんど理解の外のひとであるが、ではバイデンさんはいえば、これまた何だかなあなのである。どうも別種のアメリカ的野蛮の系列の人にしか思えない。
 吉田健一信者の一人として、わたくしもまた「アメリカ人はバカだなあ」と思っている。しかし、「トーモロコシ畠のまん中にいる、腕ぷしの強い農夫」から見れば、わたくしのごときひ弱な都会育ちなどは相手にするにも値しない口舌だけの徒ということになるのだろうと思う。
 ソヴィエトが崩壊し、東西冷戦が終結した時、われわれはもう少し別な未来を思い描いていたのではないかと思う。「ポスト・モダン論」という今から思えば明後日の方向の議論があったこともなつかしく思い出される。未来は誰にも予想できない、未来は開かれているのだとしても、わたくしが漠然と思い描いてきた啓蒙思想が普及して文明化していく未来というのはどうも期待薄なようで、少なくとも今しばらくは、力が前面にでる野蛮の方向に停滞するのではないかと思う。
 

鼎談書評 (1979年)

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神は妄想である―宗教との決別

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