小林善彦「「知」の革命家ヴォルテール」
つげ書房新社2008年11月
著者の小林氏によれば、名のみ有名な(あるいは名前もそれほどは有名ではないかもしれない)ヴォルテールについて、その全体像を示すような研究が日本にはまったくないのだそうである。翻訳に限ってもエイヤーというひとの「ヴォルテール」があるくらいとのことであり、「それならば私がやろう」というのが本書執筆の動機となったということである。(なお、R・ポーターの「啓蒙主義」(岩波書店 2004年)での、訳者見市雅俊氏による「日本語文献案内」では、高橋安光氏の「ヴォルテールの世界」が翻訳ではないほとんど唯一の日本でのヴォルテール案内とされている。)
そのように、日本ではいたって人気のないヴォルテールに、わたくしがたまたま興味をもつようになったのは、大分昔にポパーの次のような「寛容と知的責任」という文を読んだのがきっかけであった。
「啓蒙とは何か」とヴォルテールは問い、そして次のように答えています。
寛容は、われわれとは誤りを犯す人間であり、誤りを犯すことは人間的であるし、わわわれすべては終始誤りを犯しているという洞察から必然的に導かれてくる。としたら、われわれは相互に誤りを許しあおうではないか。これが自然法の基礎である。(「よりよき世界を求めて」所収 未来社 1995年)
これを読んだときはびっくりした。啓蒙というのは、既に何かを知ったひとが、まだ何も知らない無知蒙昧な人を教え導くことと思っていたので、啓蒙思想家のイメージはいってみれば進歩的文化人であった。進歩的文化人など大嫌いであったので、啓蒙思想家というのは碌でもない奴らであろうと思っていた。こういう謙虚な啓蒙思想家像というのはみたことがなくて面食らった。
ポパーが自由訳としているこのヴォルテールの言葉の出典は、ひょっとすると、「哲学事典」の「寛容(1)」の冒頭、「寛容とは何であるか。それは人類の持ち分である。われわれはすべて弱さと過ちからつくりあげられているのだ。われわれの愚行をたがいに許しあおう。これが自然の第一の掟である。」(中公クラシック 2005年 高橋安光訳))なのかなと思うが、ポパーの書き方には微妙なトリックがある。ヴォルテールは寛容とは何か問うているのであり、啓蒙とは何かではない。ポパーの書き方では「啓蒙」=「寛容」となってしまう。あるいはそれは西欧の人間には自明なことであるのかもしれないが、わたくしはこのポパーの文ではじめて啓蒙=寛容という見方を教えられ、その主張者としてのヴォルテールという構図を知った。
次は、篠沢秀夫氏の「篠沢スランス文学講義?」(大修館書店 1979年)だったかもしれない。氏は、「サルトルという人は、この人は非常にまじめな人ではありますが、アジテーターという素質を持っていますね。これは十八世紀のヴォルテールとよく似ています。ヴォルテールとサルトルというのは、非常に似た性質を持っていて、したがって、スローガンとか、あおりたてるということに関しては非常にうまいですね。」といっていた。今度は寛容のひとではない、戦闘のひととしてのヴォルテールを知ったわけである。中公クラシック「ヴォルテール 哲学書簡・哲学辞典」の解説は増田真氏が書いているが、そのタイトルは『「アンガージマン」の先駆者』である。氏は、ヴォルテールを哲学者や思想家というよりもジャーナリストあるいは評論家といったほうがいいといっている。篠沢氏も「スランス文学案内」(朝日出版社 1980年)で、ヴォルテールを「史上最大のジャーナリスト」といっている。1962年のアルジェリア独立戦争の際、サルトルが逮捕されなかったのは、ド・ゴール大統領が「ヴォルテールを逮捕しない」といったからなのだそうである。
とはいっても、サルトルとヴォルテールはまったく違った人間である。吉田健一「文学の楽み」のなかで、氏は「サルトルが余り不景気なことばかり言ふので、それならば何故生きてゐるのだと新聞記者に聞かれた時、自分でも解らないと答へたのは今日の日本でと違つて余りに奇抜なことに思はれたので新聞種になつた」と書いている。一方のヴォルテールはといえば、「わたしは奢侈、そして柔弱さえも好む。すべての快楽、あらゆる種類の芸術。清潔と、趣味と、装飾を好む。おそよ立派な人なら、そのような意見なのだ。・・なにもかも、奢侈とこの快楽に役立つ。ああよき時代かな、鉄の世紀は!」と書くひとなのである。悲観のひとと楽観のひとであり、暗いひとと明るいひとである。
「哲学書簡」は、ほとんどがイギリスの紹介に終始しているのだが、最後に唐突にパスカルの「パンセ」批判がおかれている。それはパスカルがあまりに不景気なことばかりをいっているからなのであろう。(パスカルは)「われわれすべてを悪者として、不幸な存在として描こうとやっきになっている」とヴォルテールはいう。
実は、はじめて上記の「文学の楽み」の部分を読んだとき、「今日の日本」に住んでいた人間のひとりとして、わたくしは大変驚いた。深く考えるひとはものの見方が不景気になるのは当然で、楽観的な見方ができるひとは浅薄で能天気なひとであるという「今日の日本」の見方に冒されていたのである。
同じ吉田氏の「英国の文学」に以下の部分がある。「春から秋にかけての英国の自然が、我々東洋人には直ぐには信じられない位、美しいならば、英国の冬はこれに匹敵して醜悪である。そして冬が十月に来る国では、この二つの期間はその長さに掛けて先ず同じであつて、英国人はかういふ春や夏があるから冬に堪へられるのでなしに、このような冬にも堪へられる神経の持主なので春や夏の、我々ならば圧倒され兼ねない美しさが楽めるのである。」 吉田氏は英国人を散文的、フランス人を論理的という言っている。散文的の対語はロマン的であろう。ヴォルテールはフランス人でありながら、ルソーのようにロマン的ではなく、散文的な人間であったわけである。ヴォルテールの最大の敵はカトリックであった。それはカトリックが現世否定的で生を暗くし抑圧するものであったからなのだと思う。パスカルはその代表として槍玉にあげられている。
この小林氏の本の特徴は、ヴォルテールを、同時代のやはり啓蒙思想家に分類されるルソーと対比させて論じていることにある(小林氏はルソーの専門家らしい)。しかし同じ啓蒙思想家といっても二人は随分と肌合いが違う。ルソーは暗い啓蒙家であり、ヴォルテールは明るい啓蒙家である。あるいはルソーは熱狂のひと、ヴォルテールは戦闘的はあっても冷めたひとである。
日本でヴォルテールよりもルソーにが圧倒的に人気があるのは、ルソーの方が深い思想家にみえるからなのであろう。明るいひとはなんだかおめでたくて深みのないひとにみえる。ルソーの言葉は更にもっと深い奥行きがあるように思えるのに対し、ヴォルテールの言っていることは本当にただそれだけで、その先がないように感じられる。過激な言説のほうが深淵に思われ、高く評価される。
若い時、「ヨオロツパの世紀末」でヨーロッパの神髄は18世紀にあり、われわれが明治期に受容した19世紀ヨーロッパは非文明の野蛮なヨーロッパだったのだ、という吉田健一説を知って以来、そのことについてずっと考えてきた。この吉田説は一部の西欧知識人にとっては常識ともいうべき見方なのであって吉田氏の独創なのではないということも段々わかってきたし、ヨーロッパ18世紀というのが啓蒙思想の時代なのであることもわかってきた。西欧18世紀は別名ヴォルテールの世紀などと呼ばれることもあるらしいことも知った。
しかし啓蒙思想がフランス革命を用意したとされることが問題である。ヴォルテールはフランス革命には絶対に反対したであろう。フランス革命は理性的でなく熱狂的であり、なによりも非寛容であったから。フランス革命に向かわない18世紀ヨーロッパ、そこにヨーロッパの精髄があるというのが吉田氏のいうところであるのだろうと思うようになった。
次がフォースターである。「ヴォルテールとフリードリッヒ大王」(「フォースター評論集」 岩波文庫 1996年)でこんなことを書いている。
ヴォルテールは、欠点だらけではあっても自由人でした。フリードリッヒには魅力も知力もありました。しかし―専制君主だったのです。・・もし自由と多義性と寛容と同情を大切に考えているなら、全体主義国家の空気は吸えないということを、彼はベルリンで学んだのです。・・何かが欠けているのです。人間の精神がないのです。
フォースターにとって、ヴィクトリア朝の雰囲気(つまりはヨーロッパ19世紀)というのは、一種の専制であり、自由がなく多義性がなく寛容がなく同情もない世界であった。ここで「人間の精神」といわれているものの正体が何かである。啓蒙とは「自分で考えること」「自分が自分の主人となること」であるといわれる。それに必要なのは「自由に息が吸えること」であり、自分の吸う空気が汚染されていないことである。自分の周りの空気の清浄に敏感であるひとが増えること、それが啓蒙なのではないだろうか?
随分と回り道をしたが、それで小林氏の「「知」の革命家 ヴォルテール」である。
前にも述べたように、ここではルソーとヴォルテールが対比される。ヴォルテールは、「都会人」「陽気」「ブルジョア」であるのに対し、ルソーは「田舎のひと」「深刻」「貧乏」である。
ヴォルテールは、人間は愚かであるかもしれないが(パスカルのように)悲惨であるとは考えない。また(ライプニッツのような)予定調和の最善説もとらない。「世の中はあるがままでしかないし、人生は非常によくもなければ、非常に悪くもなく、ただ我慢できる程度のものである」とする。世の中が根本的に改められることを信じず、それがほんの少しだけよくなっていくことしか期待しない。文明の進歩を信じる良識の立場であり、理性を信じる合理主義の立場であり、だからこそ教会を激しく批判したが、それにもかかわらず社会基盤そのものの変革には向かわなかった。
一方、ルソーは理念的であり、人間の情念を重視し、情念の高揚こそが人生において価値あるものであるとした。人間が理性のみで幸福になれるとはしないロマン主義者でもあり、だから、そのいうところは抽象的であった。
それならば、著者はルソーとヴォルテールのどちらに肩入れしているのか、実はそれが読んでいても、よくわからなかった。ヴォルテールの主張は、18世紀においては急進的であったが、現代においてはもはや民主主義の常識となっているという。そうではあるが、日本は太平洋戦争後、民主主義の国となったにもかかわらず、最近の風潮をみるかぎり、逆コースをたどっているようにみえる。そうであるならば現代においてふたたびヴォルテールが必要となってきているというようなことを書いている。これがよくわからないところである。日本の戦後民主主義はどう考えてもルソー由来であって、ヴォルテールとは縁もゆかりもないと思う。そうであるからこそ、日本ではルソーに人気があり、ヴォルテールは見向きもされなかったのであろう。
小林氏はヴォルテールを「歴史上、文学者がこれほど金儲けに巧みであった例はなかった」と書いている。投機をし投資をして蓄財に邁進する彼は完全な資本家であった、という。小林氏は、それを若いときに貴族から受けた侮辱により、貴族に寄生して生きるのではなく、それと対等の立場に立つためには金持ちにならねばならないとしたことに求めている。しかし重要なことはヴォルテールが私有財産を肯定しており、資産を築くことに何ら後ろめたさを感じていないことである。戦後民主主義が私有財産とか資産形成といったものに肯定的であったかはきわめて疑問であるように思う。
それで思い出すのが、同時代のスコットランド啓蒙の雄ヒュームである。渡部昇一氏の「不確実性の哲学−デイヴィッド・ヒューム再評価−」(「新常識主義のすすめ」 文藝春秋社 1979年)で知ったのだが、ヒュームは死の直前に簡潔な「自伝」を書いていて、それに自分の資産形成のことを細々と記しているのだそうである。「徹底して節約した生活をして、何とか独立してやっていきたい」と思った時代から、「独立したと言える資産」を形成し、やがて「富裕になり」、「ありあまる財産」をもつようになり、「極めて富裕」になる過程が記されているらしい。この「独立」 independent であること、つまり「働かないでも喰えるだけの不労所得がある」ことがヒュームの目指したものであり、それでこそ自己の言論の自由が確保できることに関して、ヒュームはなんら幻想を抱かなかったと渡部氏はいう。
このようなヴォルテールやヒュームの感覚ほど戦後民主主義に反するものはないのではないかと思う。金があろうとなかろうと、地位があるもであろうとそうでないものであろうと、すべての人間に言論の自由は保障されるべきである。それが基本的人権であるといった理念と抽象論だけがまかり通ってきたように思う。それはどこかからあたえられるものではあっても、一歩づつ地道に獲得していくものではなかった。だからヴォルテールとは何の関係もなかった。そうであるなら、戦後民主主義がなぜ地に足がついたものとならなかったのかについて反省をせまるものとして、ヴォルテールはいるのではないかと思う。しかし、そういう視点は小林氏にはないように思った。
「カンディード」の最後の「ぼくたちの庭を耕さねばなりません」というのは、どのようにもとれる言葉であるが、「理屈をこねずに働こう。人生を耐えられるものにする手立ては、これしかありません」ということであるのだから、およそ革命といったものとは正反対の志向である。ヴォルテールは生を肯定した人間だったのであり、こんな世の中であるなら生きても仕方がないなどとは言わなかった人間であった。
本書のタイトルは『「知」の革命家 ヴォルテール』であり、副題が『卑劣なやつを叩きつぶせ』である。随分といさましいイメージである。『卑劣なやつを叩きつぶせ』というのは、カトリック側とたたかうときにヴォルテールが使用した有名なスローガンらしい。有能なアジテーター、史上最大のジャーナリストとしての面目躍如ということなのであろう。しかし同時にヴォルテールは「矛盾だらけの、神経過敏な人間で、真実を愛していながら、しじゅう嘘をつき、人間を愛していながら、よく意地悪をし、気前がいいのに金儲けに熱心で、生まれながらのいじめっ子で、品位もなく、見た目も悪く・・」(フォースター「ヴォルテールとフリードリッヒ大王」)という複雑な人間であった。なかなか颯爽とした自由の闘士一筋の人間というばかりではなかったわけである。
その一端は、L・ストレイチーの「てのひらの肖像画」(みすず書房 1999年)の「フレジダン・ド・フロス」に描かれている。わずか281フランの薪代をめぐってしつこくあらそうヴォルテール。「ヴォルテールのあふれるような活力と喧嘩好きな性格は小さなことでも精力的に活動し、ルソーをしつこくののしり、批評家フレロンをやっつけ、詩人で劇作家のル・フラン・ド・ポンピニョンを撃退した」というわけである。とんでもない人物ではある。しかし、そういうとんでもない人物であるからこそ、カトリックとの闘いもひるむことなく継続できた。小林氏のいうとおりに「ヴォルテールは誰かの家来になるには、まったく不適当な人間であった」のである。自由人というのはそういうものなのであろう。そしてこの自由人というものも戦後民主主義とはまったく異質なものである。
小林氏は、本書では細かい逸話にまで及べないのが残念であるとし、面白いはずのヴォルテールがそれほどでもなくなったことを怖れる、と書いている。神は細部にやどるのかもしれないので、「フレジダン・ド・フロス」で描かれたようなエピソードに、あるいはフォースターが紹介している「チョコレートを飲みすぎて、(フリードリッヒ)国王がその量を制限すると復讐に燭台の蝋燭を盗んで売り飛ばしました」などというみっともない話に自由人というものがよりよくあらわれているのかもしれない。なんだか本書でのヴォルテールはえらくまともなひとである。
著者の小林氏は1927年生まれとあるからわたくしよりも20歳ほど年上のかたである。長くルソーの研究をして日本の戦後民主主義を言祝いでいたら、それがどうもあらぬほうにいってしまい、あまつさえ共産圏も崩壊してしまった(マルクス主義はルソーの系譜の上にあると思う)。せめてヴォルテールの線で戦線を立て直せればということなのかもしれない。だから本書ではヴォルテールのいわば上品な面だけが紹介されていて、もっと人間的な面にはほとんどふれていない。紙幅の関係でやむをえないのかもしれないが(とはいっても後半の40ページほどは40年前にかかれた原稿の抄録であるが)、参考文献にでも、もっとこういう細部についての話題にかかわるものをあげてもらえれば、ヴォルテールという複雑なひとについて、もっと立体的な像をえることができるのではないかと思った。
「Indipendentな自由人」というのは、現代の日本においても決してよそ事ではない大事な問題のはずである。
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