上野千鶴子さん

 最近、上野さんがちょっとした話題になっているのだそうである。上野さんが実は結婚していたというのがその理由らしい。別にだれが結婚していようとしていまいとどうでもいいことで、余計なお世話としか思えないが、上野さんは最近「おひとり様の○○」というような本を書き、女性よ!結婚などすることはない。一人暮らしを恐れるな!」とさかんに煽っているように見えていたので、それで言っていることとやっていることが違うじゃないか?というような批判をうけているらしい。結婚しているからといって、別々に暮らしているかも知れず、そうであれば実質一人ぐらしで、おひとり様かもしれないし・・(上野さんの「おひとり様の老後」という本を読んだ記憶があるが見つからなかった)。
 わたしくしはフェミニズムが嫌いなのであるが、なぜかというとそれが偉そうだからである。惻隠の情?というものがない。「男性というのは困ったものだが、ある点可哀想なところもある」といった風がなく、男性というのは禄でもない存在の一点張りである。たとえば日本の家庭において財布の紐を握っているのは多くの場合細君ではないだろうか? 細君は名を捨てて実をとっているのではないかとも思うのだが、どうもそういう感じはないように感じられる。
 内田樹さんの「ためらいの倫理学」(冬弓社2001)のなかの「アンチ・フェミニズム宣言」で氏は「私は「正義の人」が嫌いである。」と言っている。同感である。さらに氏はいう。「私は知性というものを「自分が誤り得ること」についての査定能力に基づいて判断している。」またまた同感。さらにいう。「フェミニズムマルクスプロレタリアート概念を女性に適応」したものだと。今、別に論じている「社会生物学論争」の社会生物学批判派は自分達をマルクス主義生物学派を名乗っていたらしい。
 名を捨てて実をとる、という言葉がある。日本の家庭において妻は名を捨てて実を取っているのではないだろうか? 家庭の実権を握っているのは実は細君という家庭は決してすくなくないと思う。そうでなければ恐妻家などという言葉はできないだろう。会社帰り、一杯呑まないと素面では家に帰れない気の弱いお父さんはたくさんいるのである。
 というのは一般論で、男がのさばって偉そうな顔をしている超男性優位の学者社会で、東大教授になり、東大入学式で祝辞を述べるようになるまでに、氏がどれだけのストラグルをしなければならなかったかと思うとあまり悪口もいえないのかも知れない。
 でも偉くなると今度は若手のもっとラディカルに責められることにもなるわけで、最近の上野氏はフェミニズムの世界から逃げ出して?、介護制度の専門家になりつつあるようにもみえる。介護保険制度が出来た時に上野氏が「ようやくこの制度ができたのかと思うと感無量である。介護というものが家庭内での無賃の仕事ではなく、報酬をともなう「仕事」であるということがやっと認められた。」といっていたのを思い出す。
 わたくしにとって上野さんがかかわった本で圧倒的に面白かったのは小倉千加子さん富岡多恵子さんとの鼎談「男流文学論」(筑摩書房 1992 ちくま文庫1997)である。その中で富岡氏が「三島由紀夫が死んだのは結婚がいやだから死んだ」という説に上野さんは色をなして反対している。存外、純情な人なのかなと思う。わたくしはひょんな事情からある時期、三島の奥さんと接触する機会があったが、そのときは、完全にオカルトの世界の人のように思えた。ご主人がああいう死に方をすれば、そうなるのもわかるような気もしないでもないが・・。
 養老孟司長谷川真理子氏の「男学女学」(読売新聞社1995)という本がある。そこで養老さんが男女平等というなら男女の寿命が同じになるようにすればいい。そのためには男もすなるという仕事を女もさせるようにすればいい。そうすれば女性の寿命は縮んで男と同じになるであろう、といっている。現在でこそ女性の平均寿命は男性より長いが、これは電気洗濯機・掃除機・冷蔵庫といったものが女性の肉体労働を大幅に軽減したことによるらしい。
 同じ本で長谷川さんは、女性はなぜ化粧するのだろうと問うている。していないとかえって目立つから? ケンブリッジでは女性も誰も化粧していないのだそうである。そういうところでは化粧する方が目立つ。また長谷川氏は文系・理系の違いということを考察している。氏が生徒に問題をだすと、理系の生徒は図で説明し、文系は文章で説明するのだそうである。わたくしのことを考えると図で考えるなあと思う。自分では文系と思っているのだが。
 山口一男氏の「働き方の男女不平等 理論と実証分析」(日本経済新聞出版社 2017)によれば、日本女性の高い離職率は仕事への不満や行き詰まりが原因であって、出産育児はその結果であり原因ではないとされている。この本によれば、女性の管理職登用機会の大きい会社ほど生産性・競争力が高いのだそうであるが。
 上野さんから話がどんどんずれてきたが、上野さんの結婚が話題になること自体、日本のフェミニズムは、結婚という制度を相手にせざるを得ないという特殊な事情下にあるためなのではないかと思う。フランスのように生まれるこどもの半数以上が婚外子ということになれば事情は変わってくるはずなのだが・・。
 今回の上野氏の話は籍をいれたということなのであろう。それがわたくしには一番違和を感じる部分である。旧民法的家意識を感じるからである。
 いろいろ書いてきたが、ネット上の噂話を聞いただけで細部のことはまったく知らない。大きな誤解をしているかもしれない。そうであれば多謝である。