科学的

 日本共産党が党首を公選すべきと主張した党員が共産党から除名されたという記事がでていた。共産党は衰退の一途をたどっているわけでいずれ消滅していくのであろうから、このこと自体はどうでもいいのだが(党首を公選にしても党勢が回復するとは思えない)、「科学的社会主義」という言葉につき少し考えてみたい。
 一時期マルクス主義が多くのひとを魅了した原因(の一つ?)はそれが「科学的」であると主張したことにあるのではないかと思う。つまりこれはマルクスという人間が考えた思想ではなく、マルクスという人間が発見した真理なのであるという主張である。
 歴史を顧みると生産力は時代とともに増大してくる。マルクスの時代は資本主義であったが、それはその時代の生産力に見合った体制であったからである。しかし生産力がさらに増大すると資本主義体制とは適合しなくなり、共産主義に移行していく・・・。いくらなんでもこんな単純な話ではないが、原理的には「思想」(誰かの考え)ではなく、生産力という「モノが社会を変えていく法則」をマルクスが発見したという主張である。科学的社会主義の「科学」とはそのことを指す。
 日本共産党はその真理のもとに行動している。とすればその政党のトップの交代を主張するというのは、その党の主張が「絶対的な真理」ではなく相対的なものである可能衛を容認するようなものである、というのが党首交代の要求に共産党が拒否反応を示す理由なのではないだろうか? 志位さんを指名したのは不破哲三さんで、実際的には不破さんこそが真理を知るひとということになるのかもしれないが、誰かが真理を知っていて他の者はそれに従うというのは、そんなものは宗教ではないかと思うひとも少ななからずいるであろう。
 しかし一番の問題は科学的な議論は「真理」をもたらすのかということで、それに異を唱えたのがポパーで、かれによれば、科学的議論で正しいとされているものは、その時点で一番無矛盾であるとされている仮説であるに過ぎない(例 ニュートンアインシュタイン)。
 ポパーの説は自然科学に従事するもののほぼ全員から受容されていると思うが、人文科学の分野では必ずしもそうではなく、今も、自分の説は真であり「科学的」なのである、としているひとがすくなからずいる。プーチン大統領習近平氏がそうなのかはわからないが、旧共産主義圏にその傾向があるのは確かであるように思う。
もしも日本共産党が政権をとったら(未来永劫そういうことはおきないだろうが)、志位氏の言葉がすべて「真」なのであり、それに異を唱えるものは排除追放されるようになるのだろうか?