いつのまにやら令和2年

 自分は昭和の子であると自認しているせいか、平成という年号になじめないなと思っているうちに、いつの間にやら令和2年ということらしい。それで、平成19年などといわれても今から何年前かピンとこなくて、いちいち西暦に換算して確かめる始末である。早く、年号は西暦に統一してもらいたいと思う。
 昭和という時代にははっきりとしたイメージがある。昭和の前半期は天谷直弘氏のいう「坂の下の沼」の時代で、明治期に西洋を謙虚に憧憬して世界に乗り出したが、いつからか西洋の毒にあたって夜郎自大となり、ふたたび第二の鎖国というか、西洋のことは西洋でやってくれ、そのかわり東洋のことは日本にやらせてくれという自閉路線に走り、敗れて再び謙虚になって、「本当によく勉強しました。とにかく、一刻も早く先進国に追いつきたくて、努力は骨の髄からやりましたよ。・・何のかんの言ったって、ついこの間まで日本は後進国だったんだって、われわれはアメリカに学んでようやくここまで来たんだって。・・日本はあまり生意気なことを言っちゃいけない。・・・」というようなことをいうのだったが(「電子立国日本の自叙伝」)、いつのまにか(また60年安保あたりからか?)、変な自信をつけるようになり、「10年で所得を倍増します。わたくしは嘘は申しません。」などといっているうちに、高度成長となり、ジャパン・アズ・ナンバーワン、日本的経営などと浮かれているうちに、バブルは崩壊、失われた〇〇年といっているうちに、いつまでたっても失われたまま現在にいたる、というのがわたくしの頭のなかにある日本の昭和以降の歴史の略図である。
 平成元年は1989年だから、平成というのはただの失われた30年ではなかったかという気がする。あったのは天変地異だけ。もちろん原発事故はあった。しかし、それもまた天変地異の副産物である。
 それでは令和は? 地震といった予想不可能な天変地異から予想可能な転変地異の時代、すなわち地球温暖化の時代に、つまり真にグローバルな時代に?
 地球温暖化ということは以前からいわれていたが、わたくしは南極の氷が解けて海面が上昇して陸地が狭くなるといった、いたって静的なイメージを思い描いていた。台風の威力に関係するなどということは思ってもいなかった。
 何で読んだかわすれたが、地球温暖化は昆虫の生態にも途轍もない影響を与えるらしい。そして昆虫の生態のちょっとした変化も植物の生態に大きな影響をあたえるから、農業という営みにも計り知れない影響をもたらすらしい。
 海の温度の変化は魚の生態の変化を通じて漁業にもすでに大きな影響をあたえている。
 はじめての令和の年号下の正月ということで、早くも、オリンピックがどうこうと浮かれている。温暖化顕在化後はじめてのオリンピックなのだろうと思うが、次のオリンピック開催予定地のパリの夏の気温は摂氏40度にもなるそうである。そろそろオリンピックも止め時なのではないだろうか?

ノブレス・オブリージ―天谷直弘主要論文集

ノブレス・オブリージ―天谷直弘主要論文集

NHK 電子立国日本の自叙伝〈上〉

NHK 電子立国日本の自叙伝〈上〉