今週の「週刊新潮」の片山杜秀氏のコラム
今週号の「週刊新潮」の片山杜秀氏の「夏裘冬扇」というコラムに中曽根康弘を論じた文があって、海軍の主計少佐であったことが、その後の中曽根氏を決定したということがいわれているのだが、そこに「帝国陸軍はけっこう社会主義的だった」という文があって虚をつかれた。
わたくしはとにかく日本陸軍的なものが一から十まですべて嫌いで、戦中の陸軍について書かれたものを読むたびに、ああこの時代に生まれなくてよかったと思うことを繰り返してきた。
とにかくファナティックなもの、空虚な精神論のようなものが大嫌いで、それに比べれば海軍について書かれたものにはそのような嫌悪感を抱くことはなかった。「戦艦大和ノ最期」のようなものは、陸軍からは生まれようもないものである。
陸軍のなかで例外的に合理性を要求される部隊である砲兵隊に属した山本七平氏や戦車隊であった司馬遼太郎氏は、その軍隊生活のなかで様々な日本の病理を身をもって体験したはずである。丸山眞男氏が陸軍で徹底的にいじめられたことは、その後の氏の思想に様々に影響しているということはないだろうか?
だから日本の知識人には圧倒的に陸軍嫌い海軍好きが多いと思っていて、同時に日本の知識人の多くは社会主義にシンパシーを感じるひとが多い(多かった?)わけであるから、それで「帝国陸軍はけっこう社会主義的だった」という文に躓いたわけである。
ここで片山氏がいっているのは陸軍の原理は「平等横並び」で、海軍は「エリート主義」というようなことである。知識人は自分はエリートだと思っているが、人はみな平等でなければならないと思っているのだから、「帝国陸軍はけっこう社会主義的だった」という文は別におかしくないことになるのだろうか?
われわれの多くは、海軍のほうにずっと合理主義的精神を感じ、陸軍にはそうではない。何しろそこは「私的制裁」の跋扈する世界なのであるから。
社会主義というのは自然発生的なものではなく、合理主義精神が生み出したものでる。一方、日本陸軍は村落共同体組織の延長という要素が多分にあるから、「帝国陸軍はけっこう社会主義的だった」といわれると躓く。
もう一つ、ベルリンの壁の崩壊直後に日本のバブル経済が崩壊したということも指摘されている。東西冷戦の最期のときに米のレーガン政権は宇宙戦争などといって人工衛星にミサイルを積んで、そこからいつでも敵国を攻撃できるようにするなどというSF的な構想を打ち出し、それに対抗して無理をしたことがソ連の崩壊の一因になったというような話をきいたことがある。中曽根氏はレーガン政権に大いに肩入れした。
今日、ピンカーの「21世紀の啓蒙」という本を買ってきた。まだほとんど何も読んではいないが、進化心理学者として「心の仕組み」とか「人間の本性を考える」といった本を書いていたひとが、「暴力の人類史」を書き、ついには啓蒙思想の擁護の本を書くようになるわけである。「利己的な遺伝子」のドーキンスが「宗教は妄想である」を書くようになった変化ほどではないにしろ、西欧世界の知識人が追い込まれている窮地のようなものを感じる。ドーキンスの場合、敵はキリスト教原理主義であったが、ピンカーの場合はもっと広く反知性主義であろう。ドーキンスの場合、今一つ教養に欠けるところがあるので、イーグルトンに「宗教とは何か」でいいように揶揄われていたが、ピンカーが敵とするひとが、こんな厚い本を読むとも思えない。
海軍はエリート主義であったかもしれないが、同時に(陸軍に較べれば)合理主義的でもあったであろう。計算で合わないところはすべて精神力で補うなどということはしなかったはずである。
《スランス革命前後からの西欧啓蒙思想がいずれ世界を席巻するであろう》という西欧が抱き続けてきた信念が、少し前はイスラムの側からの攻撃によって、最近では西欧の内側からの反撃ののろしで大きくゆらいできている。多分、反=西欧啓蒙思想の象徴がトランプ大統領である。トランプ大統領は青白いインテリは大嫌いであろう。日本陸軍はなにがしか反=インテリであり、海軍はなにがしか親=インテリであろう。
わたくしなども、二十歳ごろからもっぱら西欧啓蒙思想の信者としてやってきた。それが人生の最後のほうになって旗色が悪くなってきているのは甚だ困るのであるが、もともと啓蒙派というのはいつの時代であっても多数派であったことはなかったはずである。
片山氏はいう。陸軍は大部隊で大人数であるからこそそれを統制するためには平等横並びで社会主義的方向を志向せざるをえず、一方、海軍は少数であるがゆえにエリート主義と自由主義となる、と。
ある時期、啓蒙派が多数意見の側にいるように見えたことが何かの間違いであって、最近の状況こそが常態にもどってきているということなのかもしれない。
- 作者:スティーブン ピンカー
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- 発売日: 2019/12/18
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- 作者:リチャード・ドーキンス
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