中井久夫さん (続)

 中井久夫さんが亡くなられて、追悼の記事をみると、氏の業績として神戸の震災時の罹災した方々への精神的ケアを挙げているものが多い。たしかにPTSD(Post Traumatic Stress Disorder)という言葉はそのころから一般化したように思う。というかそれとは異なる状況にも過剰に使われるようになった。もともとはベトナム帰還兵に対して使われた診断名だと思うのだが。

 神戸の震災をあつかった「災害がほんとうに襲った時」「復興の道なかばで」(共にみすず書房 2011)で覚えているのは、震災への対応でなにがしかをなしえた人は自ら動いたひとである。指示待ち人間はついに何事もなしえなかった、いった指摘。
 また、救助者のケアの必要性。一日だけなら水だけで持つ。三日まではカップラーメンでも何とかなる。しかし、その後はおいしいものを食べさせないと続かないそうである。
 本物の戦争での戦闘でも40日が限界だそうである。とにかくロジスティックスが重要である、と。今のウクライナでも大変な数の戦争による精神障害がでているはずである。

 震災のような時の見舞いには花がいいそうである。通常、病院の見舞いには花は禁忌である。しかし、震災のような場合にはそうではないそうである。但し、震災の現場では、花の入手は困難である。もし花が入手できる少し離れた場所からの見舞いであれば、大変ではあるが、たくさんの花を抱えていくと、大いに喜ばれると。

 中井氏は医療者を対象とした本も残している。
 「看護のための精神医学」(医学書院 2001年)は看護師さんを対象にかかれた名著である。
 「看護という職業は、医師よりもはるかに古く、はるかにしっかりした基盤の上に立っている。医師が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。
 病気の診断がつく患者も、思うほど多くはない。診断がつかないとき、医師は困る。あせる。あせらないほうがいいと思うが、やはり、あせる。しかし看護は、診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」――看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際、医師の治療行為はよく遅れるが、看護は病院に患者が足を踏み入れた、そのときからもう始まっている。」
 本当にそうだと思うのだが、どうもこういう見方は看護師さんにはあまり歓迎されないようである。自己の専門性の否定のように、また看護というのが誰でもできること、お母さんが子供にむかって、どこかを触って、「ちちんぷいぷい、痛いの痛いのとんでけ!」といっているのとあまり変わらないように思われるらしい。
 それで「看護診断」といったわたくしから見れば不毛なほうに走る。「褥瘡」を「皮膚統合性の低下」と言い換えたとして、何か意味があるのだろうか?
 梶田昭氏は「医学の歴史」(講談社学術文庫 2003)でオスラーの「技術として、職業としての看護は近代のものだ。しかし、行いとしての看護は、穴居家族の母親が、小川の水で病気の子供の頭を冷やしたり、あるいは戦争で置き去りにされた負傷者のわきに一握りの食べ物を置いた、はるか遠い過去に起源がある。」という言葉を紹介している。

 中井氏の医師・看護師双方を対象とした本としては、「こんなとき私はどうしてきたか」(医学書院 2007)がある。どちらかというと看護師を主たる対象としたシリーズの中の一冊本であるが、この本は2005~2006年にかけて兵庫県の有馬病院でおこなわれた「医師・看護師合同研修会」の記録であるから、医師・看護師を対象にしている。
 どうも看護論というのは頭でっかちになる傾向があると思うが、これはまさに実践の本である。なにしろ第2章は「治療的「暴力」抑制論」で患者さんが暴れたときの「腕を押さえる方法」などが超具体的に写真入りで書かれている。
 これを読んでわたくしが心底驚いたのは、「暴力」抑制などを医師として学ぶ必要があると感じたことは一度もなかったからである。唯一の経験は、ある高齢の男性に入院を勧めていた時に、突然殴られそうになったことである。なにしろ、こちらはまだ若かったし、相手は高齢であったのでなんということはなかったが、先輩にきいたら、「男が高齢になり、インポテンツになると、奥さんが浮気をしているという妄想を持つのが時々出てくるんだね。だから自分が入院なんかしていたら、奥さんはやりたい放題になると思って、「お前も女房の浮気に加担している!」と怒るのがいる」と教えられた。何事も勉強である。

 この本の第一章は「こんなときわたしはどう言うか」。症例は精神科診療の場合であるが。
 まず入院した時。患者さんがもっとも知りたいのは、「これから私はどうなるのですか?」 これへの中井氏の答えは「あなたは一生に何度かしかない、とても重要なときにいると判断する。」
 そして希望を処方する。「医療と家族とあなたとの三者の呼吸が合うかどうかによってこれからどうなるかは大いに変わる」
 「診断とは、治療のための仮説です。最後まで仮説です。「宣言」ではない。」
 「私は「証拠にもとづいた医学」とともに、「ダメでもともと医学」というのがあってもいいと思う。」
 「いちばん大事なのは、患者さんの士気を維持すること。」
・・・。
 まだまだあるが、ここまでとする。
 名医などという言葉はあまり使わないほうがいい言葉かもしれないが、「すぐれた医師」あるいは「すぐれた臨床家」を失ったのだと思う。