勇気凛凛ルリの色

 浅田次郎氏に「勇気凛凛ルリの色」というエッセイ集がある。その中に「タイトルについて」という「勇気凛凛ルリの色」という題を説明した文がある。それにこの「勇気凛凛ルリの色」という言葉を38歳以上は知っていて、37歳以下は知らないとある。これは1994年に「週刊現代」に連載されたものということだから、これは1994年の時点で、ということである。1994年にわたくしは47~8歳であるので当然知っている。
 浅田氏は、これは昭和30年代半ばの超人気テレビドラマ「少年探偵団」のテーマソングの一節なのだとしている。しかしわたくしはラジオドラマであったような気がするのが、記憶違いだろうか? 他に覚えているラジオドラマとしては、「鐘が鳴る丘」「新諸国物語」・・。
 いづれにしても、子供を相手にした番組であったことは間違いないが、それの主題歌に「勇気凛々」などという難しい言葉が用いられていたのは少し驚きである。
 「鐘が鳴る丘」の主題歌は菊田一夫作詞、古関雄二作曲。「緑の丘の赤い屋根 尖がり帽子の時計台 鐘が鳴りますチンコンカン メイメイ子山羊も鳴いてます・・」うろ覚えだが敗戦後10年位の日本とは思えない牧歌的な歌詞である。
 「新諸国物語」では「笛吹童子」とか・・。尺八を吹いていたのは福田蘭堂というひと。この名前は蘭堂氏の父が「尺八なんぞ下らんぞ!」というので「不・下らんぞ」という意味でつけた名前ということを聞いたことがあるよう思う。
 黎明期のテレビでは「パパは何でも知っている」。原題はFather knows best  それを「パパは何でも知っている」と訳すのはうまいなあ、と中学生心に感嘆した。しかしそれ以上にアメリ中産階級の生活に驚嘆した。障子とふすま、炬燵に蚊帳という生活とのなんという違いと絶望的になった。
 大学に入ったころは学生運動の嵐が吹き荒れていて、マイクを握った学生達が「米帝国主義は明日にも崩壊する!」と叫んでいたが、それが何か空疎に聞こえたのは、中学時を代にみたアメリカのテレビ映画の影響も少しあったような気がする。