中井久夫「「昭和」を送る」の中の「「昭和」を送る」 

   みすず書房 2013年5月
 
 「ひととしての昭和天皇」と副題された「「昭和」を送る」は1989年に発表された文章であり、今回はじめて本に収載された。発表は「文化会議」という雑誌で、本書で35ページほどの文章。
 最初に昭和天皇の和歌が二首紹介される。昭和63年の7月と9月のもの。
 
 夏たけて堀のはちすの花みつつほとけのをしへおもふ朝かな
 あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ
 
 あとのものは絶筆とのこと。前者での「ほとけのをしへ」に「ほう」と思うと中井氏はいい、後者に「死の受容」をみるとする。凄いのはその後で、「この歌を知れば「陛下がさっさとそんな心境に達せられるのはずるい」と思う人も多いであろう」と書くのである。日本人のなかでは「よい陛下」と「悪い陛下」が分裂していて、たとえば「昭和天皇に対して「恨み骨髄です」と言いつつ、テレビに映る天皇を憎悪できない人は多い」という。
 その後で、仮想の米国人歴史家との対話というのがでてくる。敗戦後に帝王が生き残ったことは米国を利したであろう。もしも天皇制を廃していたら殉教者が生まれ、国論は二分され右翼に有利となったであろう。
 日本人のイメージするアメリカ:純真無垢、多少子供っぽいが、それは歴史が浅いせい。清潔さ、すなわちピューリタニズム。ワシントンやフランクリンは聖人のように思われていた。内村鑑三は米国にわたるまでキリスト教の教えのままに生きている国と思っていた。いってかっがりした。昔、明や清の時代の中国に渡って聖人君子の国でないと落胆した日本人と同じ。そのアメリカにないものを補うのが英国で、それは伝統と気品と老獪な現実主義の国で、これまた実状とは別。
 左翼は西欧からの輸入思想。それなら右翼は? それは中国の特殊な時代の思想を受け継いだもの。「忠」を「孝」よりも上においた中国では例外的な思想で、「尊皇攘夷」もそこに由来する。国土の神聖化もまた同じ。「神州」というのも南宋の人の発明。すでに失った領土と根こぎへの恨み。寄生的な支配階級は傀儡的な皇帝を求める。しかし危機の時代においては英邁でもあったほしい。これは矛盾である。その解決のために生まれたのが「忠」と「大義」。
 江戸時代の武士は、城下町集中によってデラシネとなって俸禄に依存していた。宋と同じである。「武」は建前で、うっかり刀も抜けない。しかし抜くべき時には抜かねばならない。その時のために鍛錬しなくてはならないが、その時はこないかもしれない。しかも本当に評価されるのは実は武道の腕ではなく実務能力である。俸禄を離れたら、農業を禁じられているので、浪人として生きるしかない。矛盾の中で生きている。管理層は官僚化してきて、殿様は「よきにはからえ」である。これは安定を生むが、やがて腐敗してくる。そこから「君側の奸」コンプレックスがでてくる。君主は英明だが悪賢い奴が周囲にいて操作しているという幻想である。2・26事件の皇道派も同じ(「天皇陛下、何たる御失政でありますか」(浅田主計の痛切な叫び))。これは日本人が気づいていないコンプレックスで、今も学会でも、ジャーナリズムでも働いている。と同時に日本の政治はこれによって救われてもいる。これは日本の独自なものでもなく、スターリン粛正のときに、「君側の奸」のためにスターリンにまで真相が届いていないのだと嘆き自分を納得させて銃殺されていったオールド・ボリシェヴィキがいた。これは精神医学的には父親に対する尊敬と軽蔑の二重の感情にもとづく。
 中国の思想がどのようにして日本の国粋思想になりえたか?
 1)徳川幕府朱子学を採用した。李氏朝鮮の政治思想が朱子学で統一されていたのに学んだのであろう。日露戦争の最悪の結果は、闘った相手のロシアの膨張主義が伝染してしまったこと。日清戦争のわずか10年後の清が日本に肩入れしてくれたというのに、日露戦争の利権を絶対に手放さなかった。民衆も日比谷焼き討ちを行うし、ジャーナリズムもまた煽った。民衆とジャーナリズムが政府に先行した。それ以来、政府はジャーナリズムと民衆を信じきれなくなる。太平洋戦争は日露戦争の戦勝処理のまずさによっておきた。
 2)徳川幕府成立からほどなく明が滅んで北方の騎馬民族清朝を建てた。日本に多くの思想家や禅僧が亡命した。そもそも「中国概念」は文化概念であって、地理的・政治的なものではない。蛮族の支配下にはいった中国よりも自分のほうが正統という考えがでてくる(乾隆帝康熙帝の清はまだ後のこと)。水戸学は亡命中国人によって作られた。
 3)日本人の中国崇拝は今日でもある。外国人が日本語を話してもだれも関心しないが、漢文を読めたりすると俄然尊敬される。日本人が英語やフランス語を話しても欧米人からとくに感心もされないが、ラテン語ギリシャ語を片言でも口走ると、西欧人は顔色を変えるのと同じ。
 なぜ江戸の将軍や殿様では忠誠の対象として不足なのか? かれらのお里が知れているから。応仁の乱でいちど文化のほとんどが途絶しているから、それ以前からあるものは悠久ということになる。徳川や諸侯では成り上がりで生臭く、純粋で無垢な崇拝の対象にはならない。その結果、忠の原理を導入した徳川幕府は自縄自縛に陥る。武士階級には無理に徳川に押さえ込まれてという意識があり、より高いものへの忠を志向するようになる。徳川はだんだんと「君側の奸」となってゆく。この思想は明治以後も受け継がれる。藩閥政府、重臣、軍部(特に陸軍)が次々に「君側の奸」とみなされていく。ジャーナリズムはずっとこれを利用してきた。犠牲の羊なのだろうか? しかし「君側の奸」を攻撃したものが、次に「君側の奸」とみなされるようになるのである。根本は権力に対する憎悪と憧憬である。知識人も武士の精神的子孫だから、当然にこれを持つ。それが「近代的自我」への憧れとなる。日本の知識人には、近代化なしの自分の存在は考えられないが、これが強制されたものだという悔しさが当時にある。要するに、「われわれは本物ではない」という悩みである。だから、太平洋戦争開戦時の東大仏文科教授辰野隆の言葉「ようするに"ざまあみろ”ということであります」がでてくる。
 日本における米国と英国のイメージを加算すると、「純真無垢で、清潔で、幼児のごとく天真爛漫で、気品があって、伝統の権化で、あるしたたかさがある」というものになる。これは矛盾しているが、天皇が日本人にあたえているものでもある。知識人の英米への思いと天皇への思いは相通じるものがある。戦後の「君側の奸」思想は、矮小化して官僚攻撃程度となっているのは慶賀すべきことである。
 日本人はなぜ勤勉か? 勤勉は元来、農民や商人の道徳である。その勤勉は「甘えの禁欲」の上に成り立つ。二宮尊徳はその規範である。彼は自然、すなわち天道は自然法則であって、畜生道であり、善悪を知らない、とした。人間は弱く、天道のもとでは生きられない。そこで「人道」を立てる。田をつくり家を建て、道をつくり、橋を架ける。天道からみれば荒れ地のほうが理にかなっている。しかし「それでは人道は立ち申さず」であり、壊れた橋を座視するものは、人道の大悪人である。これは予定救霊説とは正反対であり、天道を究極のものとする儒教とも対立する。ある韓国知識人は「天道は畜生道なり」に衝撃を受けていた。日本で進化論があっさりと受容されたのは、天道は畜生道なり、があったからかもしれない。「人道」に奉仕する応用科学が日本では伸びる。
 だが日本人の勤勉はただの勤勉ではない。勤勉+工夫である。工夫とは既存のものをあまり変えないで、些細な変更の積み重ねで重大な障害を迂回して、精力を浪費せずに中程度の目標を達することをいう。これはサルマネではない。どこか改良をする。日本が明治維新以来の近代化を生き延びられたのはこれによる。日本では有名な人は大したことがない。無名の人が偉い。しかし問題はある。勤勉と工夫の人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手である。そもそも大問題が見えない。そして勤勉と工夫ですむ問題が解決してしまうと、残るのは大問題だけとなる。勤勉の方向は大変動に弱い。
 甘えの禁欲には無理があるから、解放への願望も生じる。それが「世直し」待望となる。
 江戸期以後の日本人は、いざという時に頼れるのは自分しかいないことを知っていた。だから「努めざれば三代にして滅ぶ」ということが強調された。
 変身能力(つまり転向する、日和る能力)も必要とされる。関ヶ原でも明治維新でも、途中でみなどんどんと転向する。「易幟」という中国語があるから日本だけの現象ではないが。転向するためには、自分を説得し、周囲を説得する論理がいる。論理といっても、実際には契機、口実であるのだが・・。1945年夏には、それが天皇であった。
 「あてにする」とは土居健郎のいうとおり甘えの堕落形態である。あてがはずれると逆恨みがおきる。
 日露戦争の真実を知っているものがいなくなった時に、戦争がはじまった。対米開戦時に海軍で日露戦争従軍経験があったのは山本五十六ひとりである。終戦工作の鈴木貫太郎日清戦争を経験した2・26事件の生き残りであった。
 そこまでで、仮想米国人との対話は終わり。
 明治以降の天皇制がうまくいくのは、天皇と皇太子が連動が機能している時である。昭和天皇の執務室にはリンカーンダーウィンの像が置いてあった。「自然は飛躍しない」と側近につぶやいたのだそうである。
 結尾の文が、「われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。問題は常にわれわれに帰る。」というものである。
 
 「よい陛下」と「悪い陛下」
 中井氏は1934年の生まれであるから、終戦の時に11歳くらい。わたくしは1947年の生まれだから戦後の生まれ、父は大学の医学部を出るとすぐに軍医となって南の島国に送られ、飢餓死と自決の寸前で終戦となり辛うじて生きて帰った。中井氏は父とわたくしの中間の世代である。父は戦争の体験を子供に語ることは一切語ることはなかったが、わたくしに子供ができて、名前について、いくつかの候補を考え父に見せたところ、その内の一つの靖というのに、血相を変えて「靖国神社の靖だから絶対に駄目だ」と反対されたことだけは、よく覚えている。晩年の父はすでにそのころ斜陽になっていた社会党の党員になっていたのではないかと思う。父が小児科を専門として選んだのも戦争体験と無縁ではなかったはずである。「子供たちをふたたび戦場に送るな!」ということが最大の政治の眼目であった最後の世代なのだろう。
 昭和を20年を境に前後に分けて考えてみる。前半の陛下は「悪い陛下」で後半の陛下は「よい陛下」であったのだろうか? 戦前だって「よい陛下」であったのだが、軍部に利用されていただけという見方もあるであろう。「君側の奸」説である。今度の戦争が「悪い戦争」であり、そこに「善良な臣民」が駆り出されて、「天皇陛下万歳!」といって死んでいったのであれば、天皇制という制度そのものが「悪い」のであって、陛下が「よい陛下」であろうと「悪い陛下」であろうと、そのようなことは無関係に天皇制というものそのものが悪いという見方もあろう。
 わたくしによくわからないのが、憲法を守れ!といっているひとの憲法とはほとんど憲法第9条のことなのだが、そういう人たちは象徴天皇制もまた守るべきものであると思っているのだろうかということである。第9条さえ守れれば戦争に参加することもなく、天皇制も戦争のための装置として利用されることがないのだから、それでいいとしているのだろうか? 日本を太平洋戦争に導いたものの少なくとも一つは(この文でも指摘されているように)、日露戦争後のジャーナリズムの煽りである。昨今の新聞やテレビでの報道を見ていると、数日前のたかだか水泳競技の結果についてさえあの大騒ぎなのであるから、戦争に近い事態になり、その一方に加担することになれば、ジャーナリズムは「一億一心火の玉だ」「贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などと言い出すことは必定ではないかと思う。知識人だって、間違いなく「ようするに“ざまあみろ”ということであります」になるのではないだろうか? まさか、「天皇は神聖にして冒すべからず」などとは言い出さないと思うが・・。
 「純真無垢で、清潔で、幼児のごとく天真爛漫で、気品があって、伝統の権化で、あるしたたかさがある」というのが天皇が日本人にあたえている印象でもあるというのが中井氏の説であるが、この最初の「純真無垢」というのを見て、ドストエフスキーのいう「スラブ」を想起した。要するに、明治以降の近代化というのは≒西欧化であって、科学であり、資本主義であり、個人主義であり、民主主義であるが、それは同時に物質主義でもあって、浅薄で創造性を持たないもので、それは日本の生き残りのために必要ではあっても、必要悪なのでもあって、それは精神的なもの深いものは何も持たない。だから単なる西洋化だけでいけば、われわれは堕落するだけである。そうならないために、我々の根っこを失わなないようにしなくてはならない。その西欧が持たないもののを濃縮して結晶化したものが天皇なのである、ということになると、西欧への対抗意識がいつかどこかで爆発し、われわれには天皇がある、“ざまあみろ”であります、というような方向にいくことはないのだろうか?
 アメリカが子供っぽい歴史の浅い国。対して英国は伝統と気品と老獪な現実主義の国というのには苦笑した。吉田健一信者のわたくしは、その「英国の文学」などにぞっこんであるから英国信者の米国嫌いで、しかもイギリスにはいったことがないわけで、実際に現実のイギリスを知っているひとからすると、現実のイギリスなんかそんなもんじゃないぜ、ということになる。それで思い出すのが中村光夫との対談(「人間と文学」)で三島由紀夫がいっている「吉田茂は最後のアングロマニアで、それをもってアメリカに対抗した。・・でも、あのハイカラさというのはひとつの信仰ですね。」 中村「それは吉田健一を見てもそう思うね。」 三島「信仰です。いいものはすべてイギリスにあるんです。イギリスが認めれば日本のなかのいいものもいいものである・・。吉田家など典型的なアングロマニアで、シナ趣味で、日本の古典にはまったく興味がない。だいたい日本の上層階級の教養には公家を除いて日本の古典は全然ない」の部分である。わたくしは上層階級では全然ないけれども、日本の古典にはほとんどまったく興味がない。米国は歴史がない国なのでイギリスにコンプレックスを持っているから、吉田茂はアングロ趣味でそれに対抗できたわけだけれども、アメリカほど単純でなくもうちょっと手強い相手には、ラテン語ギリシャ語が効くのであろう。
 「君側の奸」思想というのは、どこかに「悪に冒されていない純粋無垢なものがある」あるいは「あってほしい」という願望から生じる。1991年にソ連が崩壊し、実質的に社会主義国家体制が崩壊したあとも、あれは本当のマルクス主義による体制ではなかった。本当にマルクス主義というのは、ああいうものとはまったく別のものだというようなことを主張するひとも多いが、それも「君側の奸」思想の変奏なのだろうと思う。レーニンまではよかった。スターリンがいけなかったというのもまた同じであろう。わたくしにとっての「君側の奸」はアメリカで、それによって守ろうとしている幻像が「英国」なのかもしれない。
 神聖にして冒すべからずの天皇制の明治で同時にスペンサー思想がきわめて大きな影響を持ち、万世一系天皇制とダーウィン思想が両立した不思議について、ここでの中井氏は、二宮尊徳の天道はすなわち自然法則であったとする思想が日本では違和感なく受け入れたことに、その基礎があるとする。天皇陛下万歳と叫んで突撃してくる日本兵に手を焼いた米軍は、捕虜になった日本兵に進化論を教えて、そうすれば目が覚めるだろうと思ったところ、そんなものはとっくに知っていてびっくりしたというような話を山本七平氏の本で読んだことがある。それにしても昭和天皇の執務室にリンカーンダーウィンの像があったということは初めてしった。浅野主計はそのことを知っていたのだろうか? 知ったら憤死したのではないだろうか?
 日本が明治維新以来の近代化を生き延びられたのは、勤勉+工夫による。日本では有名な人は大したことがない。無名の人が偉い。戦争でも、敵から大将は無能、下士官は有能といわれていた。しかし、勤勉と工夫の人は、矛盾の解決と大問題の処理が苦手である。そもそも大問題が見えない。おそらく高度成長期の日本を支えたのは無名の勤勉と工夫のひとたちである。上は稟議制で下から上がってきた書類に判子だけついて、よきにはからえといってあとは下にまかせて小唄でも習いにいっていればよかった。しかし、時代がかわって、上が方針を間違えると、下がいくら創意工夫で頑張っても組織全体がつぶれてしまう時代になった。おそらく官僚も創意工夫の勤勉のひとである。しかし大問題には弱い。テリー伊藤の「お笑い 大蔵省極秘情報」でもキャリア官僚のトップが、俺たちが唯一苦手とするのが前例のないことなのだといっていた。前例のないことほど大問題なのであり、創意工夫などでは対応できない問題なのである。
 数年前に民主党政権を誕生させたものは「世直し」願望だったのではないだろうか? なんだか行き詰まっているから、全部チャラにして一からやり直しとでもいったような。そしてやっぱり「世直し」などはできないのだと悟って、今度はまた工夫と勤勉路線に戻ったのではないだろうか? 飛躍などはない、地道にいくしかないとでもいった方向である。安倍首相自身も「世直し」願望をもっているにもかかわらず、「地道に着々」路線が支持されてとまどっているのではないだろうか?
 「あてにする」というのは甘えの堕落形態であると中井氏はいう。日本があてにしているのは一貫してアメリカである。「あてにして」「逆恨み」の繰り返しである。
 われわれはアジアに対して「昭和天皇」である。アジアにとって、「よい日本」と「悪い日本」がある。われわれはなんでいつまでも「悪い日本」のことばかりいわれるのだ、もうそろそろ許してくれよと思っている。しかし、日本のアイデンティテーは、いまだに被爆したことと戦争に負けたこと(それによって今の憲法ができたこと)なのである。そうであれば、アジアの国々のアイデンティティーがいまだに日本に侵略されたことであるのも当然なのではないかという気がする。あれだけの侵略をしていながら、いい子のように振る舞うのはずるいという感覚である。
 末尾に、中井氏がなぜながらくこの文を本に収載してこなかったかという理由が二つ挙げられている。1)「昭和天皇独白録」で、伊勢湾にアメリカ機動部隊が侵入した時、「三種の神器」を奪われてはいかんともしがたし」といった(神鏡は伊勢神宮にあるから)というのを読んだこと。2)「入江相政日記」にA級戦犯の判決が出たときに、死刑が一人を除き武官のみであることを知った入江がそれを喜んで宮中にぶどう酒持参ででかけ、その夜は宴会のようになったという記事を読んだこと、であるという。後者で、保元平治の時、公卿たちが北面の武士を虫けら同然に扱っていたのを想起したという。もしもこの宴に天皇も加わっていたとしたら、その夕の天皇を自分は許容できないだろうと中井氏はいう。
 これは実に大きな問題であると思う。伊沢元彦氏の日本史の本などを読んでいて感じるのだが、日本の歴史において、仮に武力の側が権力を持っているときであっても、武の側は一向に尊敬されないということが一貫してあるように思う。そしてこれは現代まで尾をひいていて、日本のおける非武装中立の主張ともどこかで関連してきているような気がしている。武というのを(あるいは血をいうものを)どことなく汚らわしいものと感じていて、そういうものは捨ててしまいたい、どこか見えないところにいってしまって欲しい、と思っているのではないかということである。
 

「昭和」を送る

「昭和」を送る

英国の文学 (岩波文庫)

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お笑い大蔵省極秘情報

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