福田和也「新・世界地図 直面する危機の正体」

 [光文社 2002年1月30日初版]


 2001年9月11日をもって世界は変わった、ここから本当の21世紀がはじまるというのは、多くのひとのもった感想であるかもしれない。
 わたくしもそう思うものであるけれども、わたくしなどは単に「20世紀の(あるいは19世紀以来の?)ああすればこうなるという、未来を制御できるものとみる見方がここで崩れて、未来が制御不能の未確定なものであるような世紀がわれわれの前にたちあらわれてきた」といったことを思うだけであるけれども、福田はスケールが大きくて、ヨーロッパにおいては、19世紀が第一次世界大戦をもって終焉した事実とこれを重ねあわせる。
 第一次世界大戦がはじまった時に、当事者たち、モルトケロイド・ジョージもクレマンソーも誰もこの戦争がこれほど長く続くとは予想していなかったという。せいぜい一二ヶ月で終わると考えていた。国家同士の総力戦という経験がそれまでなかったからである。この戦争で古いヨーロッパ、ヨーロッパのエレガンスは滅びた。
 ビンラディンは「80年来の屈辱の歴史を晴らす」といっているのだという。80年前に第一次世界大戦がおわり、イギリスのパレスチナ委任統治がはじまった。
 20世紀がはじまった時点での覇権国はイギリスであった。そのイギリスの覇権の矛盾が爆発したのが第一次世界大戦である。こんどのテロ事件はアメリカの覇権の矛盾の爆発のはじまりかもしれない。
 イギリスの覇権の終りの始まりはボーア戦争からであった。文明は野蛮と戦うことで自らも野蛮化するという法則がある。この戦争から一般市民も巻き込む形の戦争がはじまった。この戦争で弱体化したイギリスにドイツが挑んで第一次世界大戦がはじまった。
 今度のテロ事件は、アメリカをアフガニスタンをまきこむことによって、イギリスがボーアにかかわったことから衰弱していったように、アメリカの覇権の終りが始まることを告げるものなのかもしれない。
 この話にかぎらず、世界の「政治」についてきわめて面白い見方が多々提示されている。
 確かに面白い。しかし、それにもかかわず、この本を読んでなんとなく感じる違和感はなにに起因するのだろうか?
 問題は、この本を書いている福田氏の位置である。福田氏には日本の進むべき道、少なくとも日本の利益が確保される道がわかっている。本当に、そんなにわかるものなのだろうか?というのが第一点である。未来には何がおきるかわからないから、ごく大きな方向だけは見失わないようにして(それが日本にはまったくないと福田氏は言うのであるが・・・)、あとはその場でおきることに素手であたっていく、ということしかないのではないだろうか?
 福田氏は、自分が政治家であって日本を宰領しているのであれば、かくもするであろう、日本かくあるべしという姿勢で書いている。クルーグマンがわれもしグリーンスパンなりせば、という姿勢で書いているのと同じかもしれない。そうはいっても、クルーグマンは自分がグリーンスパンの後を襲うことはないことを知ってるし、グリーンスパンの地位はアメリカの政治力学から隔離されることを原理的には保証されている場である。
 一方、福田氏が日本の外交を宰領するようになることは100%ないし、そもそも、万々一、仮にそういう地位につくことがあったとしても、その場はさまざまな人間の利害・怨念・嫉妬が渦巻く現実政治の場である。自分が思ったことの十分の一も通せるかどうかもおぼつかない場である。そうすると、日本の現実の中で、福田氏は自分の言説にどういう力があると思っているのだろうか?というのが第二点である。
 つまり、福田氏は誰にむかって語りかけているのだろうかということである。
 現実政治での多数派工作を目指して書いているのだろうか? それとも一部の限られた本を読む人に語りかけることによって、現実に何かが生まれてくると考えているのだろうか?
 明らかにこれは自分のために書いている本ではない。自分には自明なことを他人にむかって書いている本、啓蒙書である。啓蒙をするということは、啓蒙される人間を信じることが前提である。しかし、福田氏が大衆というものを信じているとはとても思えない。他人を信じない啓蒙家というようなものがあるだろうか? 
 つまりここには、シニックなものがあって、そのため、この本は、きわめて重い主題をあつかっているにもかかわらず、奇妙に軽い印象をあたえるのである。


(2006年3月13日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • 福田和也というひとは不思議なひとである。どの本も読んでいるときは面白いのだが、不思議とあとに何も残らない。この本も読んだことさえほとんど忘れていた。橋本治氏の本と大違いである。橋本氏は本気である。福田氏は本気なのかどうかがほとんど見えてこないひとなのである。(2006年3月13日付記)

新・世界地図―直面する危機の正体

新・世界地図―直面する危機の正体