橋本治「ああでもなくこうでもなく3 「日本が変ってゆく」の論」

  マドラ出版2002年5月10日初版


 橋本治が「広告時評」に連載している時評集の第3巻。

 橋本は「村のはずれでちっぽけな自分の田畑を耕している自営農」であり、終わってしまった20世紀は「共に暮らしてはいたけれども、もう死んでしまった他人」であり「村の大部分を所有し、村の代表さえも勤めていた大地主」である。
 自分は今まで通りに生きていけばいい。しかし大地主が死んでおきる村の混乱に自分が巻き込まれないためには考えなくてはならない。
 かってその大地主には「大地主になる必然」「支配的な人間になる必然」があった。しかし、そういう必然が消失したら・・・。もはや大地主であることの必然や大地主は支配的になる必然が失われているのに、それに気づかず「今まで通り」でいこうとしているひとがいる。
 村を統率するには理念がいる。かつてそれをつくれるのは「大地主」くらいだった。しかし教育が普及するとそうではなくなってくる。みんなが自分でかんがえるようになれば、誰かに理念をかんがえてもらう必要もなくなる。しかし、教育をはじめたのが「大地主」であるとすると・・・。その教育からは「村を統率する理念を考える」という項目だけはぬけてしまう。なぜなら「大地主」は、それは自分の仕事だと考えているから。これは「村のこと」はわからなくて「自分のこと」だけはわかるという人間をつくりだすことである。それはただの「わがままなこども」をつくりだすということである。そういうわがままな子供たちだけでは村がほろびてしまう。そうすると外れの自営農も困ることになる。
 「村を統率する理念を体現する大地主」とは、たとえば<男社会>であるのかもしれない。
 たとえば、<結婚>が大きく変ろうとしている。それは「ひとがしていることをわたしもする」という思考法が無効になったことによる。「家」の力がなくなったことが<結婚>を変えようとしている。「家」の力がなくなり、男女のセックスがタブーでなくなると、結婚の必然性はなくなる。今あるのは「自分たちの結婚」だけである。そこには結婚ということが社会のなかで新しい単位として登場することであるという意識はない。しかし、それでいいのか? なぜなら人間はなんらか社会のなかで「他人との関係」を結ぶことで生きていく必要があるものなのだから。結婚という制度によらず、他人との間に自由な関係を取り結ぶということはとんでもなく難しい高等技術であって、ごく一部の人間にしかできないことである。だから普通のひとは結婚すべきなのである。結婚とは人間関係を学習するための一つのステップである。結婚とは他人との関係をまともに考えるために可能な選択肢の一つなのである。
 「党派性」とは「好き嫌いを抜きにした、人との間に成立する不思議に濃密な関係」である。
 その典型が自民党である。派閥争いをしていても分裂しないことを党是としている。日本では「家族」や「夫婦」も党派性なのであって、それを維持することが目的となる。しかし、そう思っているのは男だけというのが、最近の離婚の多発である。
 この党派性はかつて村社会と呼ばれていたものが社会に浸透した形態なのであり、日本の最大のガンとなっている。
 立派な箱ものや誰も使わない道路は「党派性の維持」の象徴的宗教的建造物のようなものである。したがって誰がそれを使うのかという問いは無効なのである。
 最近の大銀行の合併も「党派性の維持」のための箱もの作成なのである。なかで喧嘩しながらも、しかし、みんな、それを断固維持しようとしている。
 日本での自立とは「党派性」からの離脱なのである。
 2001年、自民党は野党からの内閣不信任案を3度否決したにもかかわらず、総裁選をおこなった。「党派性」の問題は、自分たちのことは自分たちで決めるということである。これはわかりにくり永田町の論理などといわれるが、日本人にはきわめてわかりやすいやり方なのである。
 日本の「党派」は思想ではない。「集団が生き延びるための箱舟」のようなものである。そこから出ることはすべての庇護を棄てることであり、とんでもないかわりものだけがすることなのである。
 党派は脆弱で未成熟な個人を守ってくれるものなのである。オウム真理教はその陰画である。それは「みんなと同じ=普通」ということであり、みんなと同じだから安心ということであり、みんなと違うと不安というということでもある。一億総中流思想はそこに成立する。
 日本人にとって、党派性は社会の別名であり、日本人の思考の別名でもある。自立というのはそこからでることで、自分の頭でものを考えることである。
 さてそこに小泉純一郎が登場する。誰も小泉が勝つとは思っていなかった。自民党の論理からは、また党派性の論理からは、彼が勝つはずはないのである。日本では改革を志向するのは現状認識ができないからなのである。日本では知的であればあるほど、たやすく「あきらめ」てしまう傾向がある。「多数派支配は変らない」という。変えるという意思の出番はないみたいである。
 かれの功績は日本の政治を変えたという点にあり、あるいはただそれだけかもしれない。小泉純一郎源義経かもしれない。頼朝になれるかどうかはわからない。
 しかしとにかくも、国民の大多数が既得権益を守ることに汲々としている自民党多数派ではだめだと思ったのである。しかしかってバブルの道を選んだ国民が小泉とともに貧乏の道を選ぶだろうか? 
 小泉人気田中真紀子人気も自分の言葉で語るひとへの人気である。
 しかし、森喜朗も自分の言葉でしゃべっていたのである。しかし森の場合は、それをささえるのはおれは何をいっても大丈夫という党派性なのである。かれは身内にむけて、いいたいことをいっている。
 田中真紀子と外務省の喧嘩は、女の格好をした男が、女のような男と、互いに「あれでも男か」「あれでも女か」といいあっているのである。そういうのをみている人間が男性性を顕示したくなると、タカ派的言動をしたくなるのかもしれない。小泉の靖国問題への態度、あるいは一般に二世議員タカ派的になりやすいのはそういう背景があるのではないだろうか? 日本の派閥政治の中で生きるのは、高等教育をうけた人間にはたえがたいことであるのではないだろうか? そこで男らしくしようとするとタカ派になるのである。
 党派性の論理が続けば、小泉自民党は割れないのであるが、はたしてどうなるか?
 自民党は<貧乏からの脱出>を基調としてきた。日本が<豊か>になったとき自民党の位置はあやしくなる。不景気の深刻化はある意味で再び自民党への支持を増やす可能性はある。しかし、その間、日本人は<空虚な豊かさへの失望>も知ってしまったのである。
 イチローも新庄も小泉も「絶対多数の主流からはずれた個」なのである。
 小泉が示したことは、「人は戦うということを忘れると、”闘い”という選択肢の存在が見えなくなってしまう」ということである。しかし、世はすでに乱世なのである。
 日本は中枢はそのままにしておいて、外にでて批判するということでは対処できなくなっている。
 日本の構造改革が難しいのは、日本が唯一、経済戦争に勝ったからである。
 サラリーマンの本質は、所属することにある。賃金は労働によらない。その所属する会社による。
 右肩上がりの経済成長の時代に、資本家と労働者はともに会社をまもるべきものという立場で一体化してしまった。そこに表れた消費者運動は、<女>の運動であった。
 ここに、会社にいてものを作る<男> 対 家にいて消費する<女>という構図ができた。
 これが社会党が労働者の党から土井たか子の党へかわっていった原点である。
 男=資本主義者 対 女=社会主義者 になったのである。
 議論は「男女の生き方に関する議論」に移行する。
 資本主義は消費者がいなければ存続できない最終段階に達していて、その最終の消費者が<女>であることで、女の強さが決定的になった。
 しかし、消費者は王様であるというが本当だろうか? 仕事とは他人の需要に応えることであり、消費のためにいやいやすることではない。日本の多くの男が定年になると虚脱するのは、他人との関係が失われるからである。
 えひめ丸の衝突事件は、軍隊の存在理由が薄れたということが背景にある。軍隊は消費だけするものである。したがって軍隊の維持にはとんでもない金がかかる。軍事支出の増大で破産したソ連は、ブランドものを買いあさってカード破産した女と同じなのである。

 「靖国問題」は「立場の違い」である。したがって論争は不毛になる。
 なぜ賛成派は靖国神社に参拝するのか? その理由のかなり大きなものは「反対派に抵抗するため」である。だから反対が強くなればなるほど、依怙地になって参拝する。「反対する奴が気にくわないからいく」というのが大きな理由であれば、反対派がいなくなれば、参拝しなくなるかもしれない。
 靖国参拝の反対派は、靖国神社は日本軍国主義を祀るものと考えている。現在日本にただ一ヶ所残っている大日本帝国靖国神社なのである。しかし靖国神社が祀っているものは大日本帝国ではなく、「戦死した兵士達の霊」である。
 問題は大日本帝国から日本国にかわったとき、「戦死した霊をどう祀るか」について引継ぎがおこなわれなかったことにある。なぜなら日本国は軍隊をもたないことになっており、日本国では「戦死した兵士」の存在はありえないことになっていたからである。
 実は靖国神社明治維新にいたる過程での戦死者を祀るために、明治2年につくられた招魂社に由来する。招魂社は全国につくられたが、のちに九段の招魂社だけが靖国神社と名前を変え、日清・日露の戦死者をまつることになった。九段以外の招魂社は護国神社という名前になった。護国神社には軍国主義が匂うが、もともと招魂社は護国でなく鎮魂のためのものであり、戦死者の祟りをのぞこうとするものであった。
 鎮魂とは、死んだあとになっておきる<人の命を大切にしよう>であり、<死んだひとの胸のうちを理解しよう>なのである。<第二次世界大戦で非業の死をとげたひとの鎮魂>をどうするかというのが靖国問題の最大の問題のはずなのである。それは本来国家がすべきことなのである。それを無宗教でおこなう道をさぐらなくてはいけない。8月15日の全国戦没者慰霊祭では、慰霊の対象に兵士が含まれているのかどうかがはっきりしない。その問題を国がひきうけることは、本当に大日本帝国を葬ることでもあるのである。
 
 20世紀においては好況が当たり前であり、不況はそれが一時的にとぎれたものにすぎなかった。しかし発展し続け、好況が続くのが当然という考えのほうが、長い歴史のなかでは異常なのである。20世紀的思考では、どうやってこの不況を終わらせるかということになるが、21世紀は、この不況が当たり前という前提で生きていかなくてはいけないのである。
 ウサマ・ビンラディンイスラムにおける麻原彰晃である。
 独裁者をもたない国は負ける可能性のある戦争をできなくなった時代にわれわれは生きている。だから、もう戦争はおきず、おきるのはテロだけなのである。
 多くの国が、そういう意味で戦争には関係しないがテロには襲われる可能性をもっている。多くの国が唱える「テロ反対」は一般論ではなく、自分の問題でもある。しかし、日本はテロに襲われる可能性をもっている国ではない。9・11は日本とは関係ないのである。関係ないもののみが、仲介の役割を果たせるのである。それなのになぜ、アメリカと一緒の立場ということにしたがるのであろうか?
 日本人はもう「自分がひとを殺す、ひとに殺される」を前提にしなくなってなっている。その前提がないところで軍備について議論するのは不毛である。自爆テロは、「自分がひとを殺す、ひとに殺される」を前提にしている人間の行動である。それに対する報復もまた、「自分がひとを殺す、ひとに殺される」を前提にしている人間の発想である。
 イスラム圏の問題は国境線が植民地時代に勝手に引かれたもので、自前の戦争で引いた国境線ではないという点にある。第二次世界大戦はヨーロッパの姿を確定した。イスラム圏がよくわからないのは、まだ姿が確定していないからである。

20世紀は、
中心:資本主義対社会主義・・・キリスト教
その他:アラブ世界やイスラム
 という構造であった。 
 今回の問題は宗教の対立ではなく、(自由主義経済)と(その他)の対立なのである。
 社会主義圏の消滅によって、(自由主義経済)と(その他)の対立があらわになってきた。
 連続しているのは、対立があるということなのである。
 1978年のイラン革命は、「アメリカ的近代」をすてて「イスラム的前近代」を選んだ。
 サダム・フセインは「中東世界で一番になりたい田舎の親父」である。
 「アメリカ的近代」にNoというのはイランだけではない。人民寺院もまたそうである。アメリカ的豊かさへの異議はいたることろで唱えられている。
 資本主義と社会主義の対立は経済の問題であった。しかし、その後おきている対立は生き方をめぐる対立なのである。アメリカ的豊かさをもとめるものと、そういうものに価値を認めないものとの間の生き方の対立であり、思想的な対立なのである。
 それならば、日本人はどこにいるのか? 日本は自由主義経済圏にいて、キリスト教圏にはいない。<名誉白人>なのである。そして多くのアジアの国々が日本のあとを追って、<名誉白人>になりたがっている。それはとりもなおさず、自分たちの<その他>性を棄てることである。
 東アジアに宗教がないわけではないが、それは西欧が考える宗教とは異なる。それは何らか祖先崇拝にかかわるようなもので、民族対立も祖先を同じくするかという部分がある。
 対立が成立するためには、その対立がなりたつための土俵がいる。
 今の宗教対立は「一神教こそが宗教である」という前提の上で成立している。だからキリスト教イスラム教は対立するものになりうるが、アジアはその他になってしまう。
 イスラエルパレスチナ臨時政府の対立は、宗教対立なのか民族対立なのか? それはどちらでもなく、「持つもの」と「持たないもの」の対立である。かつてイスラエルは自分の土地をもたなかった。今イスラエルはそれをもち、変わりにパレスチナが土地をうしなった。
 そのもとは、ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害の歴史である。もともとあった宗教対立はヨーロッパにおけるキリスト教徒とユダヤ教徒の対立なのである。だからそれを解決に仲裁すべき人間は、ユダヤ人を追い出しひとたちなのである。
 
 日本は、古代→中世→近世→近代→現代と進んだ。こういう進展をした国はヨーロッパ以外には日本しかない。近代化とは<名誉白人化>ということである。どの国もそうなるべきか?といえば答えはない。
アフガニスタンは群雄割拠がおきる今だ部族社会の国である。
 アラブの国々は王政が多いが、第二次大戦後の独立時に部族の長が王様になったからである。そこはたまたま石油がでるので、平和でおさまっている。しかし秩序はあっても自由はない国の将来はどうなるのであろうか?
 中世→近世→近代という流れは宗教からの離脱の歴史である。しかし20世紀は宗教が復活したがった時代であった。それは力関係で劣勢になったところが「神道」「ファシズム」「マルクス主義」という形で力のある宗教をもとめたからである。それは「負けないぞ!」というスローガンであった。それを招来させたものは、勝ち組となった合理主義なのである。
 20世紀は、(合理主義)と(その他)の対決でもあった。
 (その他)であると認定されたものは、すでに負け組に分類されている。それを拒否するために「スローガンとなる宗教」が必要とされる。タリバンイスラム原理主義である。
 20世紀はスローガンを必要とした時代なのである。まだ自分の頭で冷静に考えることができず、みんな一緒に進もう!というスローガンを必要としたのである。
 しかし(その他)にとって、スローガンとしての宗教以外の道は<名誉白人>への方向なのである。
 そこで今<グローバリズム>対<反グローバリズム>の対立がおきてきている。

 自然状態に左右されることをいやがって、人間は人為による自然の克服をめざし、科学を、機械化を進めてきた。はじめはなんとか凶作にならないことが目標となった。しかしそのうち凶作はなくなり豊作貧乏という事態が生じてくる。今の日本の現状は豊作貧乏なのである。作っても売れない。そうであれば、目指すのは、経済の拡大でもなく、維持でもなく、縮小なのではないだろうか? 

 玄人にとって技術とは素人であることを消すものである。玄人にとって「自分」とは自分の技術を育てる土壌である。土壌自体は樹木ではない。
 玄人にとって自分とは技術に表れるものであるから、前近代においては、自己主張はおきない。そこでは自分とはなにかという問いは生まれない。それが生まれるのが近代である。
 前近代においては、自分とは何かと悩むのは、社会からの脱落者だけである。
 しかし現在ではあまりに素人が幅をきかせすぎているのではないだろうか? 政治家も銀行家もみな素人なのではないだろうか?

 野村沙知代は男達がだらしなくなったから、でてきたのである。男の社会なんてちょろいわよ!と思っているのである。真面目に生きているだけなんてつまらないと思っているのである。
 鈴木宗男で「影響力を行使する人間」が問題になっているが、本当の問題は、「影響力を行使し、行使される関係」なのである。それがなくならない限り、「影響力を行使する人間」は表れ続ける。
 鈴木宗男は「政府の方針に反対するひとが、何で政府の会議に出なきゃならないのか?」という。彼にとって、会議とははじめから結論の決まっているもの、それに賛成というためのものなのである。
 では、その結論は誰がきめるのか? 政治においてはそれは偉い政治家が出すことになっていて、偉い政治家は複数いて、その集合体が出すことになっている。
 参加させていただけるのがありがたいことなのである。参加する以上は賛成なはずなのである。挨拶にいくということは参加の意思表示であり、賛成の意思表示でもある。
 そして参加し続けることを「出世」というのである。
 しかしそこに参加する人間はあらかじめ決められた結論に賛成だけしているので、自分の意見というものをもたなくなる。しかし当人は、自分の意見はつねに正しいと思っている。外部の力に添っている限り、自分はつねに正しいということになる。だから<癒着>が大事ということになる。
 価値観の多様化ということは、社会がつねに正しいとされる結論を提供するのをやめてしまったということであるが、永田町には、価値観の多様が訪れていないのである。
 田中真紀子は男社会にいる人間なら誰でも当たり前と思っていることに異を唱えているのである。男社会なら当たり前というのは、組織の円滑な運営を第一に考えるということで、それを第一に考えると、外からみては変はことが中では変でなくなる。変なことを変と思わなくなるというのが、組織に一員になるということである。
 変だと思ったことに異をとなえると、協調性がないといわれる。
 鈴木宗男は「日本の男の論理」を代表する。田中真紀子は「日本の女の感情」を代表する。
 鈴木宗男の「感情のない論理」は「細部のつじつまあわせ」だけにこだわる。
 田中真紀子の「論理になろうとする感情」は、空疎に大きく広がり、また執拗に細部にこだわる。
 郵政の民営化しかいえない小泉純一郎は各論しかない男である。
 アフガニスタン問題でパキスタンにいかない田中真紀子は総論しかない女である。

 日本の政治は組織の形をわけて論じることができない。なぜなら、「組織のありかた」が日本の政治だからである。そうなると「政治」は「身内」しか問題にしない。日本は部族社会なのである。
 日本の政治は、
(一つの部族)+(異民族)である。それはつまるところ、
自民党)+(その他)である。これは
(与党)+(その他)であり、
(ある支配的な一族)+(その他)であって、ついには平安時代
藤原氏)+(その他)にまで遡る。
 藤原氏は人事権をもった。与党が強いというのは人事権をもったほうが強いということである。
 日本では政官癒着はきわめて自然なかたちであった。
 日本の貴族は官僚だが、ヨーロッパの貴族は領主である。
 日本の貴族が官僚であるのは早い時期に土地が国のものになってしまったからである。
 日本の最後の豪族、土地持ちの貴族は蘇我氏であった。それを倒した藤原氏によって律令制が作られ、藤原氏は官僚になる。
 貴族には身分があり、それは朝廷があたえた。
 貴族は身分に対して報酬があたえられた。また身分に対応して役職があたえられ、そこからもまた報酬がはいった。現在の官僚に残っているキャリアとノンキャリアの区別は、その名残である、身分が役職を決定する。
 身分である官位と、役職である官職はともに朝廷からあたえらえた。
 だから人事権が徹底的に大事になった。
 平安の終りに武士という領主がうまれた。しかし、それは地方にいて、官僚の身分としてはきわめて低かった。
 明治になって、重臣=元勲=元老がうまれた。しかし、武士という官僚は消滅してしまったので、東京大学を官僚養成のためにつくった。
 この重臣たちに反発して、自由民権運動がでてきた。それにより憲法ができ議会もできるが、総理大臣は議会から選ばれるのでなく、天皇が任命した。そして、天皇にそれを推薦するのが重臣なのであった。
 元勲が官僚をつくり、官僚は元勲に仕え、元勲の一派が総理大臣になる。そこでは政と官が一致している。しかし、その外側に議員として選ばれた政治家がいる。しかしその政治家にはなんにもできない構造になっていた。なぜなら政府は主権者である天皇を代表するものだから、それを批判することはできない構造になっていたから。
 元老は藤原氏の摂政関白と同じなのである。
 議員という政治家を除いたら、明治政府は藤原時代と変っていないのである。軍部は山県有朋がつくったのだが、山県死後、暴走をはじめる。
 元勲というものには補充がない。それが死んだあとにはどうやって総理大臣を決めていいかがわからなくなる。
 与党の実力者が話し合って、次の総理大臣を決めるというのは、元勲制度そのままである。
 日本の過去の歴史には、本当は政治家はいない。いるのは官僚だけである。日本の歴史において政官癒着は当たり前なのである。なぜなら政治家はおらず、官が政も兼ねていたから。
 日本には適度に距離をおいた有意味な関係というのがない。それは日本が部族社会で、(ある支配的な一族)+(その他)となっているからである。ある<支配的な一族>にはそうしようと思えばだれでも加われる。鈴木宗男がそうしたように。したがって強烈な権力が見えない。支配的な一族は<仲良くしている>ことを当然の前提としている。その仲が悪くなった事態は想定していない。仲良く以外に選択肢がなければ、癒着と無関係という二つしかなくなる。
 これから必要なことは<仲が悪くてもかまわない>という発想である。
 戦後の与党と野党は、仲が悪くてもかまわないではなく、存在自体が許せないであった。無関係という関係でしかなかった。
 議会は与党と野党の対立の場であると同時に、行政と立法の対立の場なのである。
 議会が必要になるのは、官僚=行政を牽制するためなのである。
 議会は行政と国民の対立の場なのである。日本にはその前提がまったくない。
 しかし野党は与党=行政府(ふくむ官僚)と思っている。しかし、それは今の野党だけでなく、明治の自由民権運動以来の発想なのである。
 議会政治をやるなら、元勲というような超法規的存在はゆるしてはならない、そういう発想がなかった。明治の自由民権運動家もそうは思っていなかった。そこにすべては発する。
 日本では、まだ政治家の歴史はほとんどないに等しいのである。
 戦後は、元勲でない人間でも元勲のような地位になれる道を開くという誤った道を歩んだのである。

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それだけ言って橋本治は具体的な提案は何もしない。
 何が間違っているかを指摘する、しかしどうしていいかは誰にもわからないのである。とにかく間違いを正していくしかない。そこから何がでてくるか、それは誰にもわからない。
 橋本治の発言は今の日本を平安時代の政治と比較したりするから、非常に根源的である。日本が平安時代以来の制度を変えようとするならば、大混乱が生じるのは当然である。その混乱の中からなにがでてくるか予想できるひとは誰もいない。
 しかし、そのような混乱を回避することはもはやできない時点にきていると橋本は指摘する。みんなそれは十分わかっていて、それでも問題の先送りの悪あがきをまだまだしていくのかもしれないが。


2006年7月29日 HPより移植