ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本」

  岩波書店 2001年5月30日初版


 占領時代の日本を論じた本。
 連合国との戦争は3年8ケ月であるが、占領期間は6年と8ケ月におよぶ。占領期間は戦争期間のほぼ倍であり、日本のその後に多大な影響をおよぼした。
 占領時代の前後のことを考えるためには、国体の問題、天皇の問題が決定的に重要な点であることが、多くの例によってしめされている。
 当時の支配者たちには、国体を護持すること、天皇制を維持すること、天皇裕仁自身を護ることが決定的に重大な問題であった。
 天皇自身は決して後に神話化されたような平和主義者、軍部に単に利用された人間ではなく、戦争の遂行に深くかかわっており、明確な戦争責任があった。
 それにもかかわらず、その責任を免責することを希求する当時の指導者層(と天皇自身)と、天皇制を占領政策遂行に利用しようとしたマッカーサーとの間に取引が成立し、それによって、本当の戦争責任の問題の所在が隠蔽されていく過程が詳細に示されている。
 「平和憲法」の成立さえ、天皇制を維持できるかにどうかに危機感を抱いたマッカーサーが、天皇制維持を新しい憲法のもとで既成事実化してしまうために、わずか一週間という時間で性急につくらせたものであることが例証されている。
 このときの問題は第9条ではなく、第1条であったのである。
 また占領政策遂行のために既存の官僚制度に徹底的に依存したことが、戦時体制がそのまま戦後に維持され、もっといえば戦前、戦中にくらべてさえ官僚制度が強大なものになることになった(いわゆる1940年体制)大きな原因であることも主張されている。
 そして、天皇を護る過程で、東條英樹がスケープ・ゴートにされていくのであるが、そこには2・26以来の皇道派と統制派の争いという、軍のなかでの争いが背景にあることなどが示されている。
 いまだに天皇制についてはタブー視が続いているなかで、こういう本がアメリカ人によって書かれた、あるいアメリカ人によってしか書かれなかったというのは、大いに考えさせられる点である。

 この占領政策は明白はパターナリズムである。マッカーサーによれば、当時の西欧やアメリカは45歳くらいの成熟した大人であるのに対して、日本は12歳くらいの子供であるとされていたのであるから、かれらにとってはパターナリズムの行使には何の疑問も生じなかったのであろう。
 「戦勝国アメリカが占領の初期に変革を強要したからではなく、アメリカ人が奏でる間奏曲を好機と捉えた多くの日本人が、自分自身の変革の筋立てをみずから前進させたからである。多くの理由から、日本人は、「敗北を抱きしめ」たのだ。」(日本の読者へ)というのはそのとおりであって、占領下でおこなわれたことの多くは、それ以前から日本人(の一部)がしたいと思っていたことであり、そのような下地があったからこそ、占領政策が機能したということはあると思われるが、敗戦と占領ということがなければ絶対に日本人自身の手だけでは実現できなかったことであるのも、また事実であるように思われる。
 外圧がないと自分の手では変革ができないというのは日本の伝統であり、占領は最大の外圧であったということなのであろうか?
 このパターナリズムが行われなかった場合の日本、あるいは少なくとも、占領軍という絶対権力が存在しなかった時の日本というのがどうなっていたのかということを大いに考えさせれた。
 たとえば、わたくしが今このように考えているということは絶対にないだろう、今とはまったく違う考えを抱くようになっていただろうことは間違いないことのように思われる。この占領時代にアメリカがもたらした価値観というのを基本的にわたくしは信じているように思えるからである。
 

2006年7月29日 HPより移植