芝伸太郎「うつを生きる」

  ちくま新書 2002年7月20日初版


 日本に多いとされている「メランコリー親和型うつ病」について論じた本。
 著者は、精神疾患は風土病の色彩をもつという。なぜなら、固有の文化・風土をぬきにした精神病理というのはありえないから。風土とは「人間の自己了解の仕方」そのもである(和辻哲郎)。
 「メランコリー親和型うつ病」は「メランコリー親和型性格」の上に生じるものであるが、この性格は平均的日本人の性格特徴である。すなわち、律儀、几帳面、清潔、誠実、真面目、権威と秩序の尊重、強い責任感、仕事熱心、その場の雰囲気を壊さないことに腐心する、何か問題がおきるとすぐに謝るなど、日本社会において肯定的にとらえらえる性格である。
 ベネディクトの「菊と刀」によれば、日本においては「人生におけるあらゆる接触が。必ず何かの『義理』を招来する」のであるが、「メランコリー親和型性格」の人間はこの義理にきわめて敏感である。日本人は人間関係を貸し−借りの関係をとらえる傾向が強い。『義理』があるとは、まだ借りっぱなしで返していない状況をいう。
 われわれの経験することは、かけがえのない一回限りのことと、他と交換可能なことがあり、金銭とはその交換可能なことのやりとりの手段である。つまり、日本人にとって義理は返せるものであるということは、とりもなおさず、何事も交換可能であり、あることと別のことが等価であるとすることでの交換可能性を信じているということである。その点、日本人はきわめて現世的なのであって、それは江戸時代に宗教が実質的に根こぎにされてしまったことが大きく影響しているのであろう。また日本人が「応報」ということを信じていることなのでもあろう。日本ではどういうことでも、ある出来事に対して相応の行為をしたならば、そのことは水に流さなければいけないのである。
 日本人はそういう「メランコリー親和型性格」を生きている人がいる人が多い。そういう性格はグローバル化とともに薄れていくかもしれないが、決してなくなることはないであろう。
 不況では、一般的にうつ的なひとは増えるであろうが、「メランコリー親和型うつ病」は減るはずである。なぜなら給料が減ることは自分の負い目が減ることでもあるし、昇進できないということは、新たな過剰な責任を負わなくてすむということでもあるのだから。

 うつ病論というより日本人論という色彩が強い(著者の前著は「日本人という鬱病」)。ある時期(戦後の復興期から高度成長期?)にはこの性格は日本人にプラスしたであろう。しかし現代では? この性格は明治期にはプラスで、昭和初期にはマイナスになった? あるいは昭和初期においても、第一線の兵士のがんばりの原因になった?? 
 厭でも応でも、これから個人の時代を生きなくてはいけなくなってくると、こういう性格の人はどのように生きていくことになるのであろうか?

 
2006年7月29日 HPより移植