橘玲「(日本人)」(6)

 
 第2部「グローバル」の最後にある「ぼくたちの失敗・政治編」と「ぼくたちの失敗・経済編」をみていく。
 「日本をどうすべきか」には現在さまざまな見解があるが、「なぜこうなってしまったか」については大凡の合意が得られている、と橘氏はする。
 国家の統治機構は世界中でうまくいかなくなってきている。日本だけでなく、ユーロもアメリカも同じである。
 これを説明したのが、ブキャナンの「公共選択の理論」である。それによれば、政治家は次の選挙に勝つこと、官僚は自分が属する組織の権限を拡大することにより自分の立場を高めることをめざし、有権者も自分に経済的利益をもたらしてくれるかで候補者をえらぶ。とすれば、民主制国家は債務の膨張をおさえることはできないことが論理的に帰結される。事実、日本の債務は膨張を続けている。
 政治学者の飯尾潤は日本の権力関係を「官僚内閣制」「省庁代表制」「政府・与党二元体制」の3つにまとめた。日本では各省庁の大臣に実質的拒否権が与えられている。閣議が全員一致を原則としているためで、大臣は省庁の利害を代弁するから、それの反対のない案件しか通らない。したがって議員内閣制ではなく、官僚内閣制であり、その特徴は最終的意思決定の主体が不明確になることにある。国民ではなく官僚が国家を統治している。
 官僚はさまざまな業界団体などからの要望や陳情などを通じて社会に深く根をはっている。社会集団の要求を官僚が代弁するのが「省庁代表制」である。そうすると既得権に干渉することが不可能になる。したがって、官僚内閣制と省庁代表制では90年代以降の日本の危機にまったく対応できないことになった。
 日本の政治のもう一つの特徴は、政権党が与党として、政府から距離をおいている点にある。官僚は与党議員の協力がないと(あるいは野党議員の暗黙の了解がないと)政策を通せない。しかも大臣は年功序列の順送りであるので、実際には政策に精通したいわゆる族議員に権力が集中することになる。
 これを覆そうとしたのが民主党政権で、官僚主導から政治家主導へ、政府・与党の二元体制から、内閣で一元的に政策決定する体制へ、各省の縦割りから官邸主導へ、利権社会から絆の社会へ、中央集権から地方分権へ、をめざした。この方向はまちがっていない。けれども大失敗に終わった。なぜか?
 日本では内閣法制局の審議を通った法案しか国会に提出できない。したがって実際には国会は立法府としての権限をほとんどもてないことになる。また法律の解釈権も官僚にある。したがって司法権も実際には官僚にある。また予算の編成権も官僚がもつ。
 以上から日本は3権分立ではなく、省庁が行政権以外に立法権司法権ももっていることになる。それを民主党政権は切り崩せなかった。
 経済が拡大している局面では、官僚はその分配に長けていた。しかし縮小局面に入ると、省庁相互は足の引っ張り合いをくりかえすことになる。官僚組織は典型的な年功序列・終身雇用の世界である。これを切り崩して省庁間に横断的に人事を流動化させることをもくろんだが、そのためには官民をふくめて雇用の流動化が前提とされる。それなしで、アメリカ的な公務員制度を導入してもうまくいくはずはなかった。連合に支援された民主党が日本的雇用制度に手をつけられるはずもなかった。マニフェストは絵に描いた餅だった。
 バブル崩壊後の大手金融機関の破綻と高級官僚のスキャンダルの暴露は日本的なシステムには耐用年数がきていることを示していた。
 そのシステムがどこに由来するのかを示すものとして野口悠紀雄氏の「1940年体制」論がある。戦争遂行のための国家総動員体制でできた仕組みがそのまま戦後に残ったという見方である。そこから競争ではなく共生をめざす資本主義が生まれた。
 世界の歴史は、新興国のキャッチアップには自由競争よりも統制経済のほうが優れていることを示している。
 ある時期、日本は欧米型の資本主義に代わる新しい資本主義を創造したと絶賛された。しかし、あるアメリカの経済学者が奇妙なことに気づいた。日本とアメリカとイギリスでの生活必需品とサービスを比較したことろ、1993年ごろは、日本のほうがずっと高かったのである。それは競争力の劣る産業を保護したからで、通産省の、業界に秘密カルテルを結ばせ、その価格を消費者に転化するというしくみは、国内価格の上昇をまねき、企業は国内の高い原料では競争力をなくしてしまうために国外に進出し(産業の空洞化)、という悪循環が進行した。そのため通産省はついには「産業政策」を放棄せざるをえなくなった。その後のデフレと円高は、輸入規制とカルテルによって生じた内外価格差が解消されてくる過程でもある。
 1940年体制の最大の擁護者は企業経営者と労働組合である。高度成長期から後も、日本は外国人という「他者」の流入をきらってきた。
 しかし年功序列と終身雇用は、企業活動が無限に拡大していくということがなければ持続不可能である。それが崩壊するときには、労働市場に高い流動性があることが必須である。そのためには、定年制の廃止、同一労働同一賃金、雇用規制の緩和などが必要である。これは短期的には非常に大きな痛みをともなう。もしもこれをバブルの1980年代に実施していていたらなんとか可能だったかもしれないのだが!
 これからの日本はグローバルスタンダードでいくしかない。しかしそれはとてつもなく難しい。日本人が自分とは価値観の違う他人とともに共存していきることがとても苦手であるからである。
 グローバリズムの進行は歴史の必然である。アメリカはグローバリズムの総本山であるとともに反=グローバリズムの総本山でもある。日本の知識人のアメリカニズム批判は、そのルーツをたどるとアメリカ由来であるものが多い。
 
 橘氏は、日本人は通常いわれているのとは違って「世俗的で反権威主義的で個人主義的な、利に聡く自分勝手な国民」であるということを言っている。しかし、わたくしからみると、同時に日本人はきわめて平等主義的で、出る釘を打ったり、他人の足を引っ張ったりするのが大好きな「隣に蔵立ちゃ儂ゃ腹が立つ」人たちであるので、自分は自分、他人は他人という生き方が苦手で、お上に対しては反権威で個人主義的であったとしても、仲間同朋に対しては「抜け駆けは許さない」的意識がとても強いと思う。「王侯将相寧んぞ種有らん也」という気概がある点では平等主義で反権威的ではあるが、誰か仲間が出世したらそれにたかるのは当然という意識での平等主義でもあるわけで、最近、いろいろと問題になっている選挙法違反の問題なども、地域での長者にはたかるのが当然という意識が背景にあってからこそでてくることであるに違いない。そういう風土にあって、選挙に落ちたらただの人である代議士はなにかと選挙民の面倒をみないと信任をえることができないわけで、観劇だとかうちわだとかもブキャナンの「公共選択の理論」の正しさを証明している事例なのかもしれない。
 わたくしが若いとき、今から思うとまったく理解できないことであるが、学生のストライキというのがあった。何がストライキの手段になるのかというと授業ボイコットなのである。大学側が○○を認めるまではわれわれは授業を受けない!ということである。クラス会などをして賛成多数ということになり、スト権確立ということになって授業がなくなる。しかし多数決であるから賛成しない少数派は当然いて、「自分は授業を受ける!」というようなひとがでてくる。しかし、それがもうぼろくそなのである。「利己主義者! 利敵行為! スト破り!」と散々である。お前ひとりいい思いをしようなどというのは許せない!ということである。 また同じころ研究室封鎖というのもあった。今は大学という体制の存立自体が権力に奉仕するものとなっているので、研究を停止することが権力への打撃となる、という論理だったのか今となってはもうよくわからないが、自分が研究しないのは勝手であっても、そうではなく他人が研究しているところを襲って封鎖して研究室にでいりできなくしてしまうのである。養老孟司さんなどは自分の研究室を封鎖されたので、ああいう方向にいくことになってしまったらしい。気のきいたひとはちゃっかりと留学したりして研究を続けたらしいが、養老さんはそれに愚直につきあったらしいのである。これだってなぜ研究室封鎖などをするのかといえば、自分だけが損するのは許せない。みんな平等に損をするべきという平等主義なのであろう。平等主義ではあっても個人主義とは縁がない話である。
 官僚制にしても、少なくとも天下りをする前の現役時代はつつましい生活をしているからこそ存続できているので、清官三代で濁官?なら何十代で、政府の高官は賄賂の取り放題で莫大な財産をアメリカに送っていつでも逃げる準備ができているとされる現代中国のようなことは、とても日本ではできないのではないかと思う。
 これから日本は格差社会になっていくといっても、現代アメリカのようなとんでもない格差は日本ではできないだろうと思う。日本人はとても嫉妬深いのである。
 1940年体制も、日本人の平等意識、嫉妬心とうまくおりあいがついてきたので、長く続いくことができたのであろう。戦争中、街角にたって、化粧をしている娘はいないか? 華美な服装の女はいないかを監視していておばさんは、口では「この非常時に!」といっていたとしても、本音はわたくしも化粧していないのだから、ほかのひとにもさせない!」である。
 著者のいうようにグローバル化は、世界の必然なのであろう。しかし、日本語の壁にまもられ、自分だけが貧乏になるのはいやだが、みんな一緒に貧しくなるのなら仕方がないと思いそうな日本人は、誰かが極端に豊かになることだけをみんなで一緒に阻止することだけをしながら、段々沈没していていく道をたどっていくのではないかと思う。
 日本の官僚はきわめて優秀であるが、それは日常の業務の遂行においてであり、前例のないことへの対応については無力であることを自認しているようである。たしか、昔、山本七平氏の本を読んでいて戦中の役人が、物資を戦地におくる計画をつくっている事例が紹介されていた。どこで何が足りないから、どこどこへいついつまでに物資を送るという計画を作るのがそのお役人の仕事である。送る物資はなく、船舶などの送る手段もすべて撃沈されていてない。しかし、物資を調達し、失われた船舶を建造するのは誰か別のひとの仕事であって、自分の責任ではない。自分の仕事は計画をつくることであるとして黙々と仕事に励むのである。これを読んだときは心底あきれたが、今の日本でもひょっとすると同じことがおこなわれているのかもしれない。今まで通りに自分の仕事を続けている。何だか変だな、ひょっとするとまずいことになっているのかな?とは思うが、でもそれを考えるのは自分の仕事でもないし、自分にはその能力もない。とにかく淡々と日々の仕事を続けていくしかない、と思っているうちに、ある日気がついたらまわりの景色が一変しているというようなことがいつかおきる可能性があるような気がする。
 あるいはそうなっても、またアメリカさんがきて、マッカーサー元帥様が助けてくれると思っているのだろうか?
 

(日本人)

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運のつき 死からはじめる逆向き人生論

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