箭内昇「メガバンクの誤算 銀行復活は可能か」
[2002年7月25日初版]
長銀の破綻前、長銀経営陣を批判して辞任した元長銀執行役員による日本の銀行論である。日本の銀行というのがもうどうしようもない状態に陥っているのだなということがよくわかる本である。
欧米では経済成長の低下とともに企業の銀行離れが進み、銀行は従来の貸し出し業務から、クレジットの手数料収入などへと移行していったのに、日本ではそのような転換が一向に進んでいないのだそうである。アメリカのメガ・バンクが近代的金融スーパーへと移行しているのに、日本の銀行は江戸時代の両替商のままであるのだということになる。80年代から急速に発展してきた金融の専門化に対応できる人材が日本の銀行にはほとんどいないのだそうである。この本を読んでいると、今銀行で働いているやる気のある若者というのはどういう気持ちでいるのだろうなという感慨を抑えることができない。
アメリカでの90年代の初めに金融機関が大変な危機に直面した。
80年代のスタグフレーション時代にアメリカの主婦は生活レベルを維持するために働きにでざるをえなくなった。これにより、女性の意識革命、離婚増加、家庭崩壊がおこった。「パパはなんでも知っている」の「よきアメリカの時代」は終わったのである。この時代、預金金利は物価上昇を遥かに下回り、MMFなどの投資信託に預金が移行した。それにより銀行は経営危機に瀕したのである。そこで海外特に途上国向けの融資に進出したが、ここでもメキシコの債務返済不能などで大失敗を犯した。このときのアメリカのメガバンクの危機は現在の日本以上であったかもしれない。
一方、日本では80年代から大企業の銀行離れが進んだ。これに対して銀行は金利のダンピングで対応していた。また中小企業融資に進出した。しかし、中小企業の財務内容を評価するノウハウはまったくなく、社長の人物を見て金を貸すというようなことが公然と言われていた。しかも金利は大企業のダンピング金利と同じであった。この当時日本の銀行を先導したのは住友銀行であった。やがて各銀行すべて土地投資に走っていった。
しかしアメリカのメガバンクは不良債権の思い切った償却、大胆なリストラ、業務の再編によって危機をのりきっていった。
日本の銀行関係者がバブル崩壊をはっきりと意識したのは、90年10月に東証平均株価が2万円を切り、住友磯田頭取が辞任し、翌年イトマン事件が発覚したあたりであろう。ダメージを意識したのは日債銀問題の勃発であろう。この時、日債銀がうけた過酷なあつかいをみて、多くの銀行関係者はああいう目にあいたくないと思ったはずで、それが不良債権問題の先送りにつながったものと思われる。
はじめて不良債権額が開示されたのは、92年4月だが、各行は不良債権額トップの汚名だけは避けようと、露骨な不良債権隠しをおこなった。このとき「トップ」になったさくら銀行は、隠し方が下手だとしてみんなの笑いものになった。各行は他行の不良債権額がまったくつかめなかったので、自分の銀行の不良債権が他行にくらべてどうであるのかがまったく把握できなかった。したがって、他行にくらべて突出した不良債権額になることを避けることのみが追求され、それの処理などということにはまったく頭が向わなかった。
この本を読んでいると日本の銀行関係者はとにかく内向きで、業界内秩序を保つことのみに汲々としていて、世界の金融行政がどうなっているかというような発想はまったくないように思われる。日本の最優秀の頭脳がこういうところで人生を消費しているのかと思うと暗澹たる思いがする。こういう銀行は潰れるのがみんなのためというような気がするのは、第三者の安易な思いなのだろうか?