木村剛 田原総一朗 「退場宣告 居直り続ける経営者たちへ」

 [光文社 2002年9月25日初版]

 二人の対談だが、実際には、田原は聞き役で、木村剛の独演会。あらゆる点で飯田経夫の本と正反対の主張である。この対談でみる限り木村の説のほうがはるかに迫力があり、正論に思える。

 日本の場合、一番の問題はルールがはっきりしないことである。ある企業は大きいということでルールが適応されず、別の企業は中小だからということでルールが適応されて潰される。
 「村の掟」から「国のルール」へと世の中は変らざるをえない。今までは国の掟はやぶっても、村の掟をまもることを、ほとんどの人がおかしいと思ってこなかった。そういう、人を見てルールを決めるやりかたでは、真面目にやっているひとがやる気をなくする。
 不良債権の発生はどこにでもおきる当たり前の現象で、それへの対策も定跡が決まっている。日本の問題は、不良債権の発生ではなく、日本以外ではどこでも行われている不良債権の定跡的処理が10年以上にわたって行われてこなかったという点にある。
 90年ごろから不良債権の問題は当事者には認識されていた。95年には銀行はきわめて厳しい状況になっていた。なんとか表面をとりつくろっていたが、97年それが表面化したのが、三洋証券、北海道拓殖銀行山一証券の倒産である。しかし、大蔵省はその時点でも、自分たちの力でなんとかできると思っていた。
 金融ビッグバンを推進した人は、日本は制度的に変革することはできず、マーケットの力を利用して変えることしかできないと思ったのではないだろうか(善意に解釈すれば)。
 1990年の時点では銀行には体力があり、不良債権は自力だけでも処理できたであろう。しかし、その内なんとかなるだろうと先送りした。それは先送りできる体力が銀行にあったからであるともいえる。その当時の間接金融主体の銀行保護策を続けるかぎり、銀行は自己変革できないであろう。金融ビッグバンという外圧をつきつけることでしか銀行は変らないと思ったのではないか? しかしそれでも銀行はまだなんとかなるのではないかという考えを捨てなかった。

 本当の経済の力は、ミクロの企業にあり、また経営者の能力にある。どんなにうまくケインズ政策をしたところで、個々の企業や個人に力がなければ効果がでるわけはない。もちろんミクロの力だけでは対応できなくなるときもあり、その時には国家がでていくべきであるというのがケインズの主張であるが、ケインズ政策が個々の企業を強くするわけではない。
 ケインズ理論は景気の破滅的な下ぶれのときにのみ適応されるべきであるのに、日本では景気の自然循環による下ぶれに対しても安易に財政出動をおこなってきた。

 銀行が本当に儲けることのできる相手は中小企業と個人である。大企業はもともと大きな金利をとることができない相手であるから、そこを相手にして儲けることは困難である。しかし大蔵省にまもられてきたので、そういう利の薄い大企業相手でも商売がなりたってきた。ところが金融ビッグバンで大企業が直接金融で資金を調達できるようになると、大企業相手では儲けられなくなってきた。しかし未だに銀行の目は大企業にむいている。本来一番儲けることが可能な個人と中小企業はサラ金業者にさらわれている。サラ金は担保なしでやって立派にかせいでいる。今の日本の銀行は、不動産質屋にすぎない。
 金融機関が不況なのではなくて、銀行だけが不況である。ノンバンクはみな儲かっている。銀行はノンバンクへの卸しをしている。リスクをとっているのはノンバンクで、銀行はそれに卸しをすることで、なんらリスクなく利潤をえている。銀行免許を自由にしてノンバンクにも銀行業務をみとめれば、銀行も目がさめるはずである。アメリカでは年に200行が新しく認可されている。日本では1〜2行である。
 日本では競争にさらされて資本主義で生きているのは中小企業だけであり、大企業は統制産業であり社会主義のもとで生きている。その大企業が中小企業を搾取することで生きている。
 大企業でも平気で潰れるアメリカのほうが健全なのである。
 有楽町駅前のそごうは潰れたが、そのあとのビッグカメラははやっている。同じ場所でこういう違いがあることをよく考えなければいけない。
 今の日本で本当に必要なことは、大企業にフェアネスを求めることである。
 そこで必要なことは、ルールであり、ルールを守ってるかどうかを監視する部門であり、ルールを破っているものを罰する装置である。これによって失敗した企業が退場していく仕組みとつくらなければいけない。しかし日本ではこれがまったく機能していない。

 日本の金融外交には二つの主張しかない。Japan is unique! と I love USA だけである。前者ではそれではお前は仲間に入らないのかといわれておしまいである。後者には何も主張がない。
 日本にはまもるべき基準があり、お前たちもそれに参加せよと嘘でもいえなければいけない。
 日本では大蔵省があまりに強すぎた。その大蔵省は国内のみを見ていたから、国際情勢には関心がない。国際情勢が自分たちの仕事を邪魔することがないようにするのが外務省の仕事であるというのが彼らの感覚であった。国内で完全に閉じていて、外交という発想がそもそもなかった。
 日本でよくとなえられる陰謀論は、戦略がない国が戦略がある国をみると陰謀のようにみえるというだけである。

 99年2月までは日本金融再生運動もそれなりにうまく機能していた。しかし、そこらあたりからびびりだした。金融再生法まではよかった。金融早期健全化法ができてからおかしくなった。一番の問題は公的資金注入を銀行からの申請でおこなうようにしたことである。国有化というのは上からの判断でやるしかない。銀行の申請で国有化などということはありえない。

 不良債権処理の問題は単純な話で、粉飾決算を認めるかどうかということである。不良債権処理をすすめると不況が深刻化するという議論は、粉飾決算を認めてもよいとすることである。
 日本で今一番大切なことはルールをまもるということである。借りた金を返す、という当たり前のことが、債権放棄などということで平気で無視されている。特定のひとは借りた金を返さなくてもいいなどということはあってはならない。

 田中真紀子問題で一番奇怪だったのは、田中大臣が人事課長を首にできなかったことである。人事権をもっている人間がそれを発動しようとしてそれを発動できないというのは奇怪としかいいようがない。たとえ田中大臣の辞令がどんなに間違ったものであっても、その間違った辞令は通用しなくてはならない。通用しないなら、それは組織ではない。もしそれが通るなら小泉首相のいうことを官僚がきかなくても当然である。
 しかし、昔の共同体社会では、組織が上のいうことを無視するということはしばしばあった。
 組織の長の役割はその組織を守ることだけだと皆が思っていたから、長の命令が組織の利益に反すると思えば平気で無視した。
 昔の組織の長(ムラオサ)は何もできなくてもよかったが、ただ一つ組織の危機のときに自分の首をさしだすことだけはしなくてはいけなかった。いざとなれば、長は自分の首を差し出すという信頼感が組織を支えていた。
 ところが80年代の終りから、組織のトップが責任放棄をはじめた。日本的経営は高度成長を前提としていた。その高度成長がなくなった時点で、自分の会社は成長できなくなったといってトップが責任をとってやめていればまだよかった。ところがトップがこれからはアングロサクソン型でいこうと言い出した。トップが腹を切らなくなった。自分が腹をきらず、部下を切り出した。これで日本の組織はがたがたになってきている。
 しかし、そういうことを言い出している日本の経営者も、アングロサクソン型の経営において経営者がいかに強いプレッシャーももとにあるかということはまったく理解していない。アングロサクソン型においては経営者は完全に会社を把握していなくてはならず、ボスとして部下を絶対服従体制で管理していかなくてはならない。ところが今の日本の経営者は、自分はなんのプレッシャーもうけず、部下にだけプレシャーをかけている。

 ルールは、共同体社会から市場社会へ転換する際の一番重要なポイントである。封建社会と近代の分水嶺でもある。

 日本では国による規制が問題になっているが、もっと大きな問題は民民規制である。新規参入を阻んでいるのは既成の民であることが圧倒的に多い。規制緩和に反対しているのは実は民である。
 日本は上部構造と下部構造があって、上部の大企業は社会主義、下部の中小企業は資本主義という構造になっている。中小企業においては失敗したひとは退場する。大企業もまたそうならなくてはいけない。
 今問われているのは、これからの日本の企業が共同体でいくのか、資本主義でいくのかということである。

 飯田経夫氏がいっていることは、資本主義はいやだ、日本の美しい共同体の伝統をまもっていこうということであるように思われる。しかし、それには鎖国をえらぶしかない。それはできないことだから、共同体から出ながら、日本らしい資本主義を主張していく、それが木村氏の主張であるように思われる。
 資本主義になっていくためには、構造改革が必要である。たとえ相当長期間深刻な不況にみまわれるとしても、長期的にみた日本の活性化のために日本の構造を変えていくという選択をはたして受け入れられるかどうかというのがポイントなのであろうと思う。
 ある種の既得権をもっているひとがいて、そのひとたちは構造改革がすすめば、それを失うだけである。そういうひとが既得権を失うことはしかたがないことのように思われる。
 問題は現在の微温湯的、保護的社会の馴れ合いのなかでしか生きられない自立できていない自律能力のない弱いひとであろう。木村氏は苛烈な社会で生きていける強いひとであり、自立したひとであり、自律ができるひとである。競争社会で生きていけるひとである。
 競争社会で生きるということは苛烈でおそろしいことであり、そのような社会は否定されるべきという考えもあるであろう。競争というのは福沢諭吉がつくったものだそうである。それをある江戸幕府の役人に見せたところ、「西洋の流儀はキツイものだね。どうも争いという文字が穏やかならぬ」といわれたというエピソードが『福翁自伝』にある。
 日本は和を尊び、競争をきらう社会なのである。和の社会においては弱者も生きやすい。
 フェアなルールがあり、それを判定し、裁く場所さえあれば、そこでの競争に敗退したものが、敗退を素直に受け入れることができるか?それが問題であるように思われる。