養老孟司 「運のつき」

   [マガジンハウス 2004年3月18日 初版]


 養老氏がいままであちこちの本でほのめかしていたルサンチマンを全面展開した本である。これを読むと養老氏がいかに執念深い人であるかがわかる。

 まず初めが死ぬのは恐くないという話。エピキュロスの<死をおそれることはない。なぜなら、生きてゐる時には死は存在しない。死が存在する時には我々は存在しない。」(倉橋由美子「城の中の城」(新潮社1980、p77)>という論理。死は他人におきることであって、自分にはおきない。これは理屈であって、説得力がないことは氏自身が認めている。でも理屈でいえるのはその程度であり、あとは具体的に生きてみるしかないのだという。
 でもその話は前座。だから自分の死はどうでもいいのであるが、それが現世否定と結びつくと危険。共同体のため身内のために自分が犠牲になる、という考え自体は否定すべき思想ではない。しかし共同体は近代化、国際化の流れ、つまりは<進歩>による西欧個人主義によって必然的に消えてゆく。
 西欧近代自我とは何か、それは個人というものは同一のものとしてあるということである。それが間違いであるということは「バカの壁」でいった。
 定年(前)で仕事をやめて、世界が変った。そのことによって自分は人間の同一性というものを疑うようになった。
 自分は大学紛争における全共闘運動の「学問とは何か?研究は何のためか?大学とは何か?」という問いかけをずっと考えてきたのである。大学紛争で自分は研究室封鎖で研究室を追い出された。研究者として軌道に乗ろうとしていた自分はそれに激怒した。本気で研究をしていたからである。それ以来自分は自分の思想を構築しようとしはじめた。
 学問とは真理、すなわち<変らないもの>を追究することである。自分は解剖学が一番確実なものと考えて解剖学の道にはいった。
 自分は中年までは真面目に解剖学をやった。その過程で解剖学の方法を覚えた。その方法とは、自分の見たものをどういう物語にするかということである。とすればそれは脳の働きである。だから「唯脳論」を書いた。すべてが物語・仮説であると考える点で、自分はポパー主義者である。
 学問とは対象のことをいうのではない、方法のことをいう。自分は解剖学の方法でやってきた。頭のなかにある図や写真に説明を加えるのである。しかし方法とは長い時間をかけて自分でやってみて、自分で身につけるほかないものである。自分の方法とは、<ものの見方考え方>となった。それは自分が対照としたのが学問・研究・大学といった抽象的なものであったからである。わたしの方法とはわたしの脳である。論文には本には著者名がある。それがその意味である。さらにはわれわれが使う言葉も、また方法の一つである。
大学紛争の雰囲気は戦争中の雰囲気と似ていた。それに気がついた時に、自分の内にあった進歩への信頼が失われた。そこにあるある種の雰囲気を自分は嫌う。それを受け入れたくない。その雰囲気は宗教の一部にもある。個人の信仰は問題ない。集団になった宗教が問題となる。それは原理主義に通じる何かである。どんなに「正しい」目的をもっていても、ある種の後ろめたさをもたない社会運動は信用できない。
 その行為それ自体が目的であるようなものを自分は純粋行為と呼ぶ。たとえば虫取り。それはそれ自体が目的である。大学はそういう純粋行為の保存場所であったのである。大学が象牙の塔と呼ばれた所以である。それだからこその大学の自治であった。それこそが真理の追究であり、ある意味で大学は修道院と同じようなものなのである。
 われわれは自国語で考える。そうであればわれわれは伝統から逃げようがない。「唯脳論」を書いて、そのあと阿含経を読んだら、同じことを言っているのだと思った。自分では西欧近代自我の産物だと思って書いたものが、実は仏教の根本思想と同じなのだった。
 キリスト教では霊魂が不滅だから、変らない私がでてくる。キリスト教の解毒剤が科学である。西欧近代自我とはキリスト教の不滅の霊魂のかわりに科学があたえた「自分という存在」のことである。
 ものごとを考えようと思ったら、丸めてはだめである。そういうものだと思ってはいけない。考えを打ち切らずこだわることが大事である。もちろん、そういうことは相手が変らないものであることが前提である。つまり学問は変らないものを追求するのである。必要なのは、努力・辛抱・根性。
 中国人は世界のどこでも生きられる。それは彼らの生き方に普遍性があるからである。その普遍性が日本人の生活にはない。日本人は世間の中で生きているからである。そういう世間の中での「個人」「個性」とは何か? 自分はなんとか「人間」から「人」になろうとしてきたのだと思う。日本人は「世間」の中に「人間」として生まれるのであって、世界の中に「人」として生まれるのではない。日本人以外のひとからは、日本人は生きていない、といわれる。国際的には、個人として生きることが生きるということなのである。日本では世間の中で生きることが生きるということなのである。
 それならば、日本人の生き方は間違っているのか? そうはいえない。自分は世間で生きることを選んだ。しかし、それはやはり自分にとっては負担であった。個人でいきればもっと楽だったのではないかという思いはある。ようするに自分は「ただの人」になりたいと思ってきた。
 個人というのは「通じる」のである。
 今のわかものの問題は実は世間の問題である。
 学問というのはタブーをもってはいけない。「それをいっちゃあ、お終めいよ」ということをいってはいけない。世間ではいわないことになっていることを、あえていう。それが学問の役割である。
 国際化というのは、日本人が人として生きるようになるということである。さらに理想をいえば、日本人の生き方が世界の規範になることである。
 動物ははじめから「生きて」いる。
 それをかごに入れて、餌と水が目の前に流れるようにしてやる。その動物にとって、餌も水も十分、病気にもならず、長生き、でも何か変、「生きていない」ように見える。
 もし、これが「生きていない」状態であると感じられるならば、その疑問に自分で答えるということ自体が「生きる」ということなのである。
 自分の人生を一言で振り返るならば、「所を得なかった」。自分の一生は世間との折り合いのために費やされた。自分がそこにいて当然と思える居場所がなかった。芭蕉西行と同じである。帰属感がない。帰属感がないと落ち着かない。大袈裟にいえば、「私なんかが生きてここにいて、そのためにみなさまにご迷惑をおかけしましてまことに相済みません」という感覚。だから何の専門家にもならなかった。その道で落ち着くことができなかった。一匹狼、変わり者である。
 しかし、だからといって、世間を無視したわけではない。人一倍、世間を気にしていた。
 多分、父が自分の四歳の時に死に、母に母子家庭で育てられてことが大きい。母は変わり者で、世間一般の基準にあてはまるひとではなかった。だから自分は自然な形で世間を学ぶことができなかった。虫の世界に熱中したのは、それが世間の外になるからなのであろう。しかし、虫が好きなだけなら世間の外に居られるが、虫の専門家になれば、たちまち世間が顔を出す。
 自分は、世間を知るのに60年の歳月をかけた。
 去年、自分の本がバカ売れした。それは自分が世間に受け入れられたということなのだろうか? でもまだ疑いはある。ウンカの大発生とかバッタの大群のように、環境が単調化し、生態系がおかしくなっているためにおきた現象かもしれない。
 日本は、可住面積当りの人口密度が欧州で一番高いベルギーやオランダと較べてもその3倍くらいである。そこに地震があり、噴火があり、台風がくる。狭いところでむやみと大勢が住んでいるので、お互いの顔色を気にするのは当然かもしれない。そこでも生き方にさまざまなやかましい条件が生じるのも当然であるのかもしれない。
 最後に、どう生きるにしても、自分の生き方を根本的に肯定できるのでなければならない。そうでなければ生きる意味がない。

 なんだか、島崎藤村志賀直哉太宰治吉行淳之介を足して4で割ったような感じ。(藤村・直哉は読んでいないけれど) どうして養老氏は文学者あるいは小説家にならなかったのだろうか? 不思議な気がする。<生まれてすみません><わたしのようなものでもどうにか生きたい>
 ひょっとすると養老氏は日本のポストモダンの隠れた旗手なのかもしれない。養老氏がいっている「世間」というのは、フーコーのいう「権力」と同じものなのかもしれないから。養老氏はかつてフーコーについても論じていたはずである。
 わたくしはフーコーの本を何冊か読みかけては投げ出した人間だからフーコーについては何もわかっていないかれども、ひょっとするとフーコーを日本で理解する一番手っ取り早い方法は養老氏の本を読むことである、というようなことはないだろうか?
 養老氏は「続・涼しい脳味噌」(文芸春秋1995年p213〜214)の中で、橋本治の「江戸にフランス革命を」から以下の文章を引用している。「
 「肉体を持って生まれてくるのが人間である」っていうことが前近代じゃ排除されてたから、そういう“根本”から、まず“個人”というものの確定作業が始まるのよ。
 人間は家の中に生まれるものでもあるけれども、人間は肉体をもった個として生まれてくるものでもあって、だからこそ、人間を「家の中に生まれてくるものである」っていう風にだけ規定するのは間違いだってことになるよね。このことが江戸という都市の時代には抜けてたんだよ。それ抜きで都市の文化を作ちゃったのが江戸なんだよ。モロ現代ですね。」 「江戸にフランス革命を」(青土社1989年 p281〜282)
 この家との葛藤がかつての日本文学の大きな主題であったが、いつのまにか<家>は力をもたなくなってきてしまった。それにもかかわらずかつての家と同じようにわれわれに大きな強制力をもつものがあって、それが世間なのである。
 そしてこの家=世間に対立するものは、個人であったのだが、養老氏は橋本氏とともに、個人=個性=心なのではなくて、個人=個性=肉体であるとするのである。江戸には肉体がない。現在も肉体はない。肉体のない頭ばかりの脳化社会である。(ひょっとすると橋本治氏も日本のポストモダンの代表選手なのだろうか?)
 肉体をもった当たり前の動物として生きること。それが<生きる>ということなのであり、外の目からは日本人が生きていない、生きられていないと感じられるということは、その当たり前の生き方を世間の論理に遠慮して引っ込めているようにみえるからである。
 そして、その動物としての生き方の延長に養老氏の場合は学問の問題がでてくる。何が普遍で不変であるかを追求したいという衝動は、人間という動物に固有なものであり、それを制度として保障するものが大学という制度であった。だからそこには世間の論理が介入してはいけない。それが大学の自治ということであった。
 しかし、大学紛争が明らかにしたのは、もはや真理の探究などということを信じて研究しているものなどほとんどいないということであった。大学紛争後、産学協同路線が盛大に追求されるようになったのも、もはや学問を弁明するものが<役にたつ>ということしかなくなってきているからである。
 実は、本書はほとんど大学紛争論なのである。その主導者であった今井澄、山本義隆といった人々への評価は厳しい。今井澄氏は医者から参議院議員になった。山本氏は予備校教師のかたわら「磁力と重力の発見」を書いて多くの賞をえた。今井氏あるいは山本氏にとってはそういう生き方が、大学紛争への自分なりの回答であったのであろう。しかし、養老氏はそういうことは回答になっていないという。その時提示された、学問とは?研究とは?大学とは?という問いに答えていないという。
 大学紛争というのは、見方によれば、<かごに入れられて、餌と水が目の前に流れるようにされて、餌も水も十分にあたえられ、病気にもならず、長生きできる、しかし何か変、「生きている気がしない」>という世界を予兆しての異議申し立てであったのかもしれない。
 今の若者がしらけているのも、将来にみる世界がそういったものだからなのであろう。しかし、団塊の世代は紛争が収束したあと、考えることを打ち切ってしまったのである。世の中をそういうものだと見切ってしまったのである。そして世間の不変を前提として、辛抱して努力して根性を見せたのである。かごの中で目一杯に働いて生きてきたのである。しかし、かごを壊せるとも、それがこわれる可能性があるとも思わずに生きてきたのである。 
 ところがどうやら、かごはそんなに丈夫なものでもなさそうである気配がしてきた。むしろ、かごは自分たちを保護していたのであって、これからはその保護なしで生きなければいけない雰囲気になってきた。
 最近養老氏の本が売れているのはそのせいなのだろう。養老氏は20年以上基本的には同じことをいってきている。にもかかわらず最近急に売れ出したのは、養老氏がいうように何かの地殻変動の前触れなのかもしれない。
 最近の年金報道などをみていると、将来、いつまでも餌と水が目の前に流れるようにしてもらうはずであったのに、という怨嗟の声で渦巻いている。「生きていない」ように見えたってかまわない、生物学的な生命を保障せよ、おりの中のねずみであってもいいから、ということのように見える。
 
 養老氏のいう所を得ない感じ、居場所がない感じというのは、たとえば吉行淳之介氏が「わたくし論」でいう「萩原朔太郎の著書に出会ったことは、私にとって大きな出来事だった。・・・私のような人間にも、ちゃんと場所が与えられていたという発見の喜びである。」(ぺっぷ出版1981年p25)、といったものと同根のものであろう。そういう所をえない感じというのは若いときには誰でももつものなのではないだろうか? それが段々世間と接しているうちに、しらない間に消えていってしまう、そういうものではないだろうか? それを長い間ずっともち続けたというのも養老氏の執念深い点なのであろう。
 
 養老氏はわたくしより10歳年上であるが、同じ大学紛争の渦中にいたことになる。養老氏がもっている集団でいることへの嫌悪感のようなものはわたくしにもあった。養老氏がいう後ろめたさを持たない正しさは信用できないというのは、自分の正しさを100%疑うことがない人は信用できないということであろうが、わたくしにとっては、むしろ自分の発言の動機というようなものに一切考えがむかない人がいるということを発見してびっくりしほうが大きい。文学少年だったので心理の裏を読むのが当たり前になっていて、それがないひとがいることには心底驚かされた。
 吉田健一氏によれば、<うしろめたさ>というものはキリスト教が西欧にもたらしたある種の毒であって、ギリシャ人はそのようなものはもたなかった。河上徹太郎氏の「自然と純粋」の自然人たるギリシャ人と、純粋人たるヨーロッパ近代の人間である。自然は表面だけであるが、純粋には裏があり、影をもつ。影をもっていながらそれに気がついていないのも困るが、影があるということがいいこであるかどうかはわからない。うしろめたさなんてものを感じる動物はヒトだけだからから。「善人は犬の前でも恥かしさを感じることがある」(チェホフ)ということはあるが、後ろめたさと恥ずかしさというのはどういう関係になるのだろうか?

 大学紛争については、まだまだあるけれども、それはまた稿を改めてということにする。