与那覇潤 「平成史 1989-2019 昨日の世界のすべて」(文藝春秋 2021)(8) 第7章 コラージュの新世紀 2001―2002 第8章 進歩への退行 2003-2004

 小沢一郎 小泉純一郎 橋本行革・・などが論じられるが、現実の政治には関心があまりないのでパス。このころ覚えているのは、テレビをみていた母親「何だか、小泉さん怒っているよ!」と教えてくれたことくらいである。竹中平蔵さんの写真もでているが、どうもこの人の顔は好きではない。

 2001年9月11日のテロ。わたくしが文明の衝突を本当に感じだしたのはこの時からと思う。この時のイラクの戦争への自衛隊の派遣からほぼ20年、「憲法9条」を経典として信じてきたひとたちも高齢化し、気息奄々になってきているとは思うが、1970年前後のできごとが人生で最大の経験であり、それをその後に活かすのがなによりの生き甲斐だったというひとが健在であるうちは、まだ細々とは生き延びていくのだろうと思う。今度の「国葬」反対のひともほとんどがその残党であったようである。まことにささやかなものであっても、日本にもささやかな「文明の衝突」がおきていたのかもしれない。イスラムに相当するのが「急進護憲派」??

 2000年6月から柄谷行人氏がÑAMという社会運動を開始している。当時わたくしはこの運動の話のことをきいた時、狂ったか、正気なのか?と思った。数名のインテリが徒党を組んで社会運動をはじめて一体どのような意味があるというのだろう? 自分が社会にどの位の影響を持つと思っているのか? 知識人のおごりの極致ではないか? 観念論の極致ではないか? 数十名が徒党をくんだ鉄砲ごっこで革命を起こせると信じた学生たちの運動とどこが違うのか? この組織は2年ほどで自壊したようだけれど、よく2年も持ったと思う。はたからみていただけでも、ただただ不愉快だった。知識人の醜さと傲慢の極致だと思った。

 日本の外では1971年にロールズの「正義論」がでている。わたくしは「無知のヴェール」といった話も観念論の極致としか思えず、なんで今ごろ、そんな幼稚な話がでてくるのか?まったく理解できなかった。東西で一斉に知識人の頽落が始まっていたのだろうか?

 p262にまた柄谷さんの話が出てくる。氏は、マルクスヘーゲルを継承したのではなくカントの徒であったとしたのだそうである。カント流に、アプリオリに存在するものとしての規範があるのだ、と。つまり、現実の流れなどを超越したところに、全員が従うべき規範がある、のだと。これではほとんど「神」を信じるに等しい。あるいは柄谷氏が神になった。この柄谷氏によって知識人の傲慢は頂点に達した。とすれば、後は転落していくだけである。
 まさか柄谷氏は日本人すべてがカントやヘーゲルを読んでいると思っているわけではないだろうが。そもそも、現代において、ヘーゲルとかカントとかを持ち出すことにまだ少しでも意味があるのだろうか? そんな本今どれくらいの人が読んでいるのだろう。氏は日本人のすべてが自分のような知識人であると思っていたのだろうか? わたくしはヘーゲルの「精神現象学」はまったく読んでいない。コジューブの本(それもまたしっかりとは読んでいない。その拾い読みだけである。カントの「純粋理性批判」はかろうじて一度だけ読んではいるが、少しでも理解できたとは思えない。ヒュームが「われわれは決して真理にいたることはできない」ことを示したと信じ、それに心服していたにもかかわらず、「ニュートンが真理にいたった」と考えたことがカントの思索の出発点になったというようなことをどこかできいたことがある。だがカントは誤解をしたので、ニュートンの「万有引力」の論はアインシュタインの「相対性原理」により否定された。つまりカントは「科学」というものを誤解した。数学には真理があるのかもしれないが、自然科学の分野ではわれわれは仮に「真理」にいたっても、それが「真理」であると知ることはできない。現在はまだ反証はされていない「仮説」とだけ認識できるだけである。
 東浩紀さんの「動物化するポストモダン」の話もまた出てくるし、264ページには網野善彦氏とデリダの死が比べて論じられる。
 以下はまったくの貧しい私見であるが、自国をどう見るか? 自国を包むもっと広い文化をどうみるか? について、ヨーロッパではそれを論じる基礎になる相互に共有された「理念」があるが、日本ではそのような「理念」を欠くと思う。
 ブッシュ政権イラク戦争につきすすむ中、ヨーロッパ圏の指導者であるシラクシュレーダーはそれを批判した。共通通貨のユーロも機能していたし、EUもまだ拡大を続けていた。ヨーロッパの「理念」はまだ死んではいなかった。(現在、イタリアでもEU離脱の可能性が議論されているらしい。ウクライナの戦争で辺縁ではEUの加盟国は増えているが、中核の国々では動向があやしい。) 私見が続くが、結局ヨーロッパ文明を作って来たのはドイツであって、バッハ・モツアルト・ベートーベン・カント・ヘーゲル・・・の系譜がヨーロッパを支配した。その外の国では音楽ではフランク位? 哲学ではようやく20世紀になって、フランスでサルトル・・。イギリスではほぼ皆無で、そこでは生活の改善が最優先された。

 問題はヒトラーもまたドイツの産物であることであり、もっといえばマルクスもドイツが生んだ。現実を見ないで、ドイツ人は観念だけで突っ走るが得意であって、その反省が現在のドイツを規定しているのだと思う。
 わたくしが私淑する吉田健一氏の「ヨオロツパの世紀末」では表題に反してドイツがほとんどとりあげられない。ゲーテの詩がほんのちょっとだったような気がする。

 いろいろと私見ばかり述べてきてしまったが、ここまでが第7章で、以下が第8章「進歩への退行」2003-2 郵便民営化とか靖国問題などが論じられるが自民党内のゴタゴタとしか思えないのでパス。このころの保革の対立は、保守対「左翼」から保守対「リベラル」へと移行していった、とされる。
 2003年の大ベストセラーが養老孟司氏の「バカの壁」である。
 わたくしはその頃、養老氏の本が出ればみな買うようにしていたので、その初版本を持っている。東大医学部解剖学教授が何だか変な本を書いていると聞けば買わないわけにはいかない。とはいっても、さすがに氏の最近の本は、過去の繰り返しが多く息切れが目立つので、今は全部は買っていない。「まる ありがとう」は買ったが・・。
 氏の読むに値する本はほぼすべて「バカの壁」以前に出ていると思う。『脳の中の過程-解剖の眼』『形を読む-生物の形態をめぐって』『からだの見方』『唯脳論』『身体の文学史』『「都市主義」の限界』・・・。特にわたくしには『唯脳論』『「都市主義」の限界』にいろいろと教えられた。
 『バカの壁』以降のものとしては、『運のつき』であろう。これは氏の本としてはあまり知られていないと思うし、読者を選ぶ本である。自身が被害者?であった全共闘運動へのうらみつらみを延々と書いた本である。いかに氏がしつこい人であるかが良くわかる。「だから東大紛争は私の人生を変えたと、いつまでもいうんです。自分の意思で闘争に参加したんじゃない。強制的に参加させられたんですわ。・・全学共闘会議の議長だった山本義隆は平成十五年度の毎日出版文化賞と、朝日新聞社大佛次郎賞と、ダブル受賞の本を書きました(『磁力と重力の発見』2003年)。・・議長だった山本義隆が、物理学の歴史なんか書いているのに、全共闘になんの関係もない私が、ありゃなんだったんだと、考えている。変なものですな。・・・「山本義隆、こらお前、総括しろ」。そんな気持ちがないかといえば、嘘になります。・・・だから山本義隆の受賞に対して気持ちが複雑なんですよ。・・ゲバ棒を持って研究室を封鎖に来た学生たちの言い分は、「俺たちがこんな一生懸命やっているときに、なんだお前らは、のんびり研究なんかしやがって」というものだったと思いますよ。それは戦争中の非国民の論理とまったく重なる。・・・」
山本義隆氏は将来を嘱望されていた物理学者であったのだそうで、氏が全共闘運動に参加することで正統の物理学の道から外れたことは日本の物理学界の大きな損失であったというようなことを聞いたことがある。
紛争時、養老氏はすでに学者になっていたわけだが、わたくしはまだ学生であった。そこで何より嫌われたのが、「自分はこの闘争には何の関心もない。勉強したい。有志何名かと授業を受けて早く進学したい!」と言い出すような人達だった。「スト破り」(養老さんのいう「非国民」)とか言われて猛烈に糾弾されていた。ようするに闘争が命、学問は捨てたというようなごく一部のひとを除けば、多くは、いずれこのストは終わると思っていたので、ストが終わった時に、だれかがすでに自分より先にいるということは許せないと思っていたわけである。
 わたくしも東大闘争(紛争)の渦中にいた人間(といってもノンポリの一般学生)だったわけだが・・大体わたくしのような「良家のお坊ちゃん」は年長の教授などをつかまえて、「手前!土下座しろ!自己批判しろ」などと罵ることは決してできないのである。・・変な話かもしれないが、最近の「国葬反対!」を叫んでいる方々をみると、紛争?闘争?中にヘルメットを被り、覆面して、ゲバ棒を持って「シュプレヒコール! 東大を解体せよ!」などと叫んでいた人たちを思い出してしまう。まあ同じ人達なのかも知れない。養老氏はゲバ棒大東亜戦争時の竹槍を想起させたといっていた。
 ということで、養老さんの本のベストはわたくしにとっては、『唯脳論』『「都市主義」の限界』『運のつき』だと思っている。
 さて与那覇氏は、養老氏の考えには山本七平氏の考えが影響しているとしている。
 また養老氏の著作の根っこにある「脳」へのこだわりへの批判者として精神科医斎藤環氏が紹介されている。この斎藤氏もはじめは『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)という超オタクな本で世に出た人である。
 ところで、養老氏は「すべては脳内物質の働き」だといったのだろうか? むしろそれへの批判者だったのではないだろうか? 島田雅彦氏との対談本のタイトルは「中枢は末梢の奴隷」(朝日出版社 1985)である。末梢からの入力がない中枢神経などは全く意味が無い。この本の42ページにはすでに「バカの壁」という言葉がでてきている。
 この島田氏との対談本のp130にベイトソンの名前も出てきていた。必ずしも肯定的にではないが・・。その「精神と自然 生きた世界の認識論」(思索社 1982)などわたくしは一時耽読したものだった。・・「アメリカでもイギリスでも、おそらく西洋世界のどこでも学校教育は真に重要な問題はすべて避けて通っている・・」。
 一番の問題は「生きている」とはどいうことかであるはずなのに、医学でさえ、死体学ではないか、あるいは電子顕微鏡写真ではないかという感じをこちらは当時抱いていて、それでベイトソンなどにも惹かれたのだと思う。

 さて次に韓流ブームが語られるが、「冬ソナ」など見ていないのでパス。
韓国の後は中国の台頭。
 この頃、公共哲学が一時的にブームになったとし、アーレントの「人間の条件」などが言及されるのだが、あんなに難解で小難しい本を一体どのくらいの人が読んだのだろう。シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」とか「神を待ち望む」を連想させるような実に重たい本で、「神」を戴かぬ我ら日本人にはまったく縁のない本であるように思った。
 一方、左翼の方は、カルチュラル・スタディーズだとかポストコロニアリズムとか舌をかみそうな方向に逃げて、自壊していったと。
 この年に邦訳されたネグリらの『〈帝国〉』ももてはやされたとされているが、それは、本来はGAFAのような国境をこえた組織を論じた本であるにも関わらず、「帝国」という題名から、日本の知識人たちからは〈反帝国主義〉の本であるという旧態依然の読み方で読まれことにもわかるように、日本の知識人の知的レベルはそのころには、どんどんと低下してきていた。

 ここで第8章が終わり、次は、第9章「保守という気分 2005-2006」である。次の第10章「消えゆく中道」までいくかは未定。この10章のはじめの方に、安倍晋三氏が翌年結婚する昭恵氏と並んだ写真が出ている。