小倉千加子 「「赤毛のアン」の秘密」

   [岩波書店 2004年3月24日 初版]


 なんでこんな本を読んでいるのかは秘密である。
 小谷野敦氏の「聖母のいない国」に、「赤毛のアン」が言及されており、そこでこの本の元評論である「アンの迷走― モンゴメリー村岡花子」が小谷野氏を刺激したようなことが書かれていて、面白そうだったから、ということに一応しておく。
 結論からいうと面白くなかった、というか何をいいたいのかよく分からなかった。
 「あとがき」に、この本は実は「日本人女性の結婚観・仕事観・幸福観の特異性を考察したものである」とある。
 「赤毛のアン」の作者のモントゴメリはカナダで最初に国際的に有名になった作家であるが、世界的には過去の作家となるつつあるのに、日本ではいまだ広範に読まれており、しかも相当に知的である女性においても心酔者がいる。ここの秘密をとかなければ、戦後の日本人女性の心性はわからないというのである。わたしたちフェミニストが女性の自立を説いても一向に日本の女性には届かない、それは彼女らが「赤毛のアン」のような本を愛読する心性をもっているからである、というようなことである。
 それが小倉氏の前提であるが、小谷野氏はそれに対して、「アン」を読んでいるのは、「超エリート女性たちではなく、二、三流の大学や短大を出た程度の、どちらかといえばおとなしめの女性たち」であるという。
 そして、小谷野氏がそういう少女たちに好感を抱いてしまうというのに対して、小倉氏は「アン」を読む女性がきらいなのである。
 ひとことでいえば、「アン」のテーマは結婚なのであり、近代結婚とは女性を「身分」に固定する制度であり、女性を男性の下位におき、社会全体の制度秩序を温存させる制度であるにもかかわらず、それを肯定させるイデオロギーに加担してきたというようなことである。
 というようなことで、とにかく小倉氏は専業主婦が嫌いなんだなあ、ということはわかるが、そういうことをいうためにわざわざ「アン」という物語を読んだり、モントゴメリの伝記を調べたりするのは何だかご苦労さんという気がして仕方がない。
 この本の元の評論は1991年から93年に書かれたようなので、いまから10年以上前のかなり硬直したフェミニズムが剥き出しになっている。最近の「結婚の条件」などはずっと角がとれてきて芸も達者になってきているという気がする。