小谷野敦 「帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて」

  [ちくま新書 2005年7月10日初版]


 小谷野氏が「もてない男」を上梓したのが1999年のはじめ。本書「帰ってきた・・」によれば、氏はその年の秋に結婚し、三年ほどで離婚したらしい。それでその多難な?人生経験を経て、「もてない男」に書いたことは若気の至りでした、人生経験を経ないまま勝手なことを書いてしまい慙愧の念にたえませんというようなことを書いているのかというと、かならずしもそうではないが、では何のために書いたのかというと、それがよくわからない本なのである。
 「もてない男」は少数意見を敢然と主張する本であった。千万人といえども我いかん、というような心意気の感じられる本であった。明らかに時流に抗する本であり、それゆえに出版する価値のある本であった。しかし「帰ってきた・・」でいわれているのは、中年のオヤジがいかにもいいそうなことであって特に新味がある話ではない。
 小谷野氏自身からすれば、数年の人生経験によって自分の人生観(女性観?)が大きく変わったことは大事件であるのかもしれないが、その結果得たものが本にする価値があることかどうかは、それとは別問題である。「もてない男」は十万部ほど売れたらしい。そうである以上十万読者に対してその後の経過を報告する義務があると感じたのかもしれないが、十万読者のうち小谷野氏のその後について関心がある人がそれほどいるとも思えない。どうも小谷野氏は、他人が自分にどのくらい興味をもっているかという距離感覚がいささかおかしくなっているのではないかと思う。
 それについて想起するのが三島由紀夫の「宴のあと」裁判である。この裁判に負けたことで自分は満天下の笑いものになったと三島由紀夫は思ったように思う。それは三島が東大法学部の出身だからである。文学部であればいいのだけれども法学部である。法律を専攻した人間が裁判に負けたなんて何とみっともないとみながいっているのではないかという過剰な反応を三島はした。そんなことは誰も思っていないのにである。どうも三島もみなが自分を注目しているという意識が強すぎたように思う。三島の死もその根底に東大法学部意識があり、「宴のあと」裁判の結果を笑ったやつを見返してやろうという思いがどこかにあったのではないだろうか?
 「もてない男」では、「私は結婚を前提としないセックスは許さない」とか「姦通罪は、男女平等に適応されるものとして復活すべきである」とかとんでもないことを言っていたのに、「帰ってきた・・」では、「しかし、『もてない男』を書いたころの私が、結婚にある種の幻想を抱いていたのは、否定できない。艱難辛苦をともにした老夫婦が、往昔の思い出を語り合い、「そうでしたねえ、おじいさん」と言ったり、「私は、女はおばあさんしか知らないんだ」などと言う図を勝手に想像して勝手に感動していたのは事実である」などとしゃあしゃあと書いている。結婚というのはそんなものではないのだよ、ようやくわかったかね、小谷野くん、というところである。それにしても小谷野さんは結婚の幻滅を描いた小説だってたくさん読んでいただろうに、自分だけはそうならないという自信があったのだろうか。
 幻想がさめた現在、小谷野氏が論じるのは、結婚の制度のそとにいる人間にどのようにしてセックスする相手を配当するかという問題なのである。「もてない男」では、過激な買売春否定原理主義者であった氏は、「帰ってきた・・」では並の買売春肯定論者になってしまう。そんな話はそれだけでは論じるに足るものではないので、以前はなぜ自分は違う考えでいたかという弁解が中心になる。しかし、そんな話を誰がよむかというのである。
 小谷野氏は次の結婚相手を探しているらしく、本の中でぬけぬけと募集要項を書いている。一流あるいは1.5流の大学または大学院卒、25〜34歳、再婚でもいいが子供がいないこと、文学演劇に関心があること(文学とは村上春樹でなく、演劇とは宮藤官九郎ではない)、美人でなくてもいいが自分好みの顔、仕事を持っていてそれを続ける意思があること、首都圏在住、煙草を嫌わぬこと、以上を満たせば性格が悪くてもいいなどといいたい放題である。なお一流あるいは1.5流大学とは、東大、京大、一橋、東京外大、東京芸大、慶応、上智、早稲田(学部による)、ICU、お茶ノ水女子大、日本女子大東京女子大なのだそうである。早稲田(学部による)というところで笑ってしまった。今時の就職面接官でもそんなことはいわないだろうに。小谷野さんという人は膨大な偏見を抱えたひとなのだなあと思う。いくら才色兼備の人が好きといってもである。才は学歴にあらわれると思っているのであろうか?
 これを読んでふたたび三島由紀夫の結婚相手十か条とかいうのを思い出してしまった。ほとんどその内容は忘れてしまったが、自分より背が低いこととか、丸顔であることとか、芸術家の家に育っていることとか、とにかく相手の内面など無視の外的条件ばかりであった。しかし、若いころ、わたくしもそれを読んで、いいなあと思ったのである。恋愛なんかバカのすることであると思っていたし、結婚なんて誰としてもいいと思っていた。若気の至りである。その報いが今に及ぶわけである。ということでわたくしとて小谷野氏のことをどうこういえる立場ではないのだが、それでも小谷野氏はあまりに変わり身が早いのではないかとも思う。というか結婚について身に沁みるほどの経験をしないうちに別れてしまったのではないかという危惧をいだく。近い将来「またまた帰ってきた・・」なんて本をださないことを祈るばかりである。
 

(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて (ちくま新書 (546))

帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて (ちくま新書 (546))