高橋源一郎 「ジョン・レノン対火星人」 

[講談社文芸文庫 2004年4月10日初版]


 本書は1985年に刊行された小説であるが、最初に発表された小説である「さようなら、ギャングたち」の前にかかれ、そのままでは発表されなかった処女作「すばらしい日本の戦争」をごく一部改定したものであるらしい。
 この「ジョン・レノン対火星人」だけを読むと、なんだかよくわからない。「さようなら、ギャングたち」のほうが普遍性があると思う。
 「すばらしい日本の戦争」は群像新人文学賞に応募、予選を通過したものの落選したらしいが、選者の一人は「こんなものを読むのは残り少い余生の時間が惜しい」といったらしい。そういう評がでるのもよくわかる小説である。なにしろ作者のあとがきによれば、「この世の人すべてから、顰蹙をかい、お上品な文学者全員から嘲られるような作品」を書こうとしたのだという。作者もいうように、「さようなら、ギャングたち」は「文学」に満ちた作品だが、この小説には「文学」など一かけらもない。
 それで、この小説は内田樹氏の解説「過激派的外傷あるいは義人とその受難」をあわせて読んではじめてその意味が理解できるようになっている。もちろん、豊かな感受性を備えたひとはそんな解説がなくても、この小説を享受できるのであろうが、わたくしはそうであった。そして内田氏の解説を読んで、「さようなら、ギャングたち」についても最初読んだときとはまったく異なる印象をもつことになった。
 それで以下では、もっぱら内田樹氏の解説「過激派的外傷あるいは義人とその受難」のみを論ずる。内田氏の解説は14ページにわたる文庫本解説としては例外的な長文の生真面目なものである。内田氏も今までの著作でここまで自己の過去について語ったことはなかったのではないだろうか?

 高橋氏も内田氏も同年齢で、東大紛争?闘争?で入試がなかったときの大学受験生であるから、庄司薫の「赤頭巾ちゃん・・・」の薫くんと同じ年齢である。
 内田氏によれば、この小説の底流にあるものは、「過激派の時代を生き残ってしまったことに対する疚しさ」なのである。
 1970年二十歳であった内田氏も高橋氏も過激派学生であった。「過激派」と呼ばれたのは、彼らが社会にとって危険な存在だったからではない(その運動は日本の外交にも経済にもほとんどなんの影響もあたえなかった)。
 「過激派」とは「政治活動のプロ」を全否定しようとするものであった。ということは「アマチュアリズム」そのものであった。
 そのころの自分達は「過激に生きるか凡庸に生きるか」の二者択一をせまられているのだと感じていた。生意気ざかりの若者が、凡庸なほうがいいというだろうか? 自分達は即答を迫られた。そして、「逡巡せず即答すること」は「過激派」においてもっとも評価の高い徳目であった。過激派の中に「ものごとを熟慮し、決断をためらう人間」だけはいなかった。「やるしかねえよ」という言葉がしばしば議論を終わらせた。自分たちは「熟慮しないこと」の危険性をあまりになめてかかっていた。
 しかし、実際に「過激派」の政治活動に入ってみると、それは見知らぬ他人から暴力をふるわれても文句を言えない立場に身をおくことにほかならなかった。それは権力からの機動隊からの暴力でもあったが、むしろ対立する「過激派」の暴力であった。
 自分(内田氏)は、その時期に親しい友人を二人失っている。「過激派」の仲間に惨殺されたのだった。そういう過程で内田氏が生き残ったのは「たまたま」である。あるものが殺され、あるものが生き残ったことについて、なんら基準はなく、ランダムで非論理で無原則だった。合理性のない死というのは邪悪なものである。世界の条理への信頼を失わさせる。
 そのような条理が失われた世界で、生き残ったものがすることは、生き残ったことに意味をもたせる可能性のあることは「弔う」こと、「葬礼」をおこないことだけである。
 自分は葬礼をおこなうことを運命づけられたから「生き残った」と思うことが、かろうじて「疚しさ」を緩和させるのである。
 ということで、この「ジョン・レノン対火星人」は、その「弔い」の書なのである。
 「いかなる根拠もなしに、人を傷つけ損なうもの」の対極には、「いかなる根拠もなしに、人を癒し、慰めるもの」が屹立することがいわれたあと、レヴィナスに由来する「義人」論が展開される。

 以上、内田氏の論であるが、考えてみれば、庄司薫氏の主題は「逡巡せよ! 即答するな!」というものであった。「熟慮せよ!」ということであった。しかし、内田氏によれば、生意気盛りの若者にそんな言葉はとどかないのである。
 内田氏のいうように、そのころの過激派の政治運動はなんらの政治的な影響を残せなかった。しかし、もし、それが残したものが何かあるとしたら、それは「アマチュアリズム」で生きるということであるかもしれない。「アマチュアリズム」で生きるということは大部分の場合、プロに負けてしまう。しかし、負けていながらも内側にはいらないこと、外側にいること、そういうことがかすかに可能性として残されているのかもしれない。
 今の若者に「過激に生きるか凡庸に生きるか」ときいたら、逡巡せずに「過激」を選択するだろうか? 熟慮することもなく凡庸であることを選択するような気がする。それだけ若者が生意気でなくになってしまったということなのであろうか? そもそも若者が平気で生意気になれた70年ごろのほうが異常だったのだろうか?
 福田章二の「喪失」の扉には、「あはは、わかった。君は気に入った。お若いの・・・・。君は純粋な恋愛を求め、不誠実を軽蔑して、まず自分であろうと望む風変わりな青年だ・・・・。あらゆる悪魔どもにかけて、あなたは最高を狙っていますね。」というメフィストフィレスの言葉がかかげられている。いつの時代にも風変わりな青年はいたのだろうか?