今日入手した本

書物の達人 丸谷才一 (集英社新書)

書物の達人 丸谷才一 (集英社新書)

 まだよく読んでいないけれども(鹿島茂さんのところのみ読んだ)、丸谷氏を「文のひと」として論じた部分が多い本のようである。文学者が「文のひと」であるのは当たり前なのだが、これは「武のひと」の対語としての「文のひと」である。「武ばったものが嫌い」というのが丸谷氏の根にあるものの一つではないかということである。
 「私小説が丸谷さんの文学的な最大の敵だったことはよく知られていますが、私小説で丸谷さんが一番嫌いだったのは、そこに対話がないということなんです。日本的な私小説は、とにかくおれが、おれがということだけで済んでしまう。そこには、他者との対話がない。これは批評性になさに通じます。被害者意識でも加害者の懺悔でもいいんですが、それを他者の視線にさらして批評性を持たせるという工夫が私小説ではなされていないんですね。それが丸谷さんには耐え難かったんだろうと思います。」(鹿島茂
 「丸谷さんは戦争体験を、自分の中で大きな意味を持っていると考えていました。というのも、丸谷さんは戦争が大嫌い、兵隊が大嫌いだったからです。・・丸谷さんは子供のころから兵隊が大嫌い、戦争が大嫌いだったという人です。」(川本三郎
 わたくしが最初に好きになった作家は太宰治で、次が吉行淳之介。今から考えると、どちらも武ばったものが嫌いという点で共通しているように思う。そもそも文学志向の人間というのはそうなのかもしれないが。
  「東京大学で世界文学を学ぶ」の続きらしい。小説家というのはたくさんの小説を読んでいるものなのだなあと感心する。
 
「自分」の壁 (新潮新書)

「自分」の壁 (新潮新書)

街場の共同体論

街場の共同体論

 養老さんも内田さんも一時は本を出せば売れていた時代があったが、今はそうではなくなっている。最近、どんなことをいっているかなという興味もあって。
  岩田氏は、嫌煙派が宮崎駿の映画「風たちぬ」で喫煙場面が多すぎると抗議しているのをからかっている文章を面白いと思ってことがあるし、「患者さま」という呼び方(もはやすたれたようであるが)を批判したりと医者としては随分と中心からは外れたひとであると思い共感するところがあるので。