石川迪夫「考証 福島原子力事故 炉心融解・水素爆発はどう起こったか」(3)
数日前の朝日新聞朝刊に、福島の事故の当時の官房副長官であった福山氏が、住民への避難をきめた過程をかなり正直に語っていた。本書の著者の石川氏は、避難勧告の発令が早すぎた、まだ避難が必要でない時期に早く出しすぎたために不要な混乱を招いたと批判している。新聞の記事によれば、この避難は環境の汚染が基準を越えたからということではなく、2号機の水位が不明でなにがおきているかわからない、ひょっとすると再臨界もあるという懸念から行われたものらしい。斑目氏はその可能性がゼロとはいえないとしていたようであるし、管首相もそれを懸念していたらしい。しかし現場が懸念していたのは再臨界ではなく水素爆発のほうであったらしい。とにかくもベントが遠からず必要になることは必至と判断されたのであるが、しかし管理されたベントなのであれば3キロ圏の避難で十分ということで、最初の決定がなされたようであるが、ベントの許可をしたにもかかわらず一向にベントが実施されないため、翌朝には10キロ圏まで避難範囲が拡大が決定されたらしい。
石川氏の批判はあとからみればもっともであるが、当時の現場としては環境の放射線量が一定値になってからの避難では後手にまわるという懸念があったというのも理解できる話である。もしも環境の汚染の程度によってということであれば、その影響はその環境にそのままずっといた場合の積算での危険なのであるから、一日二日の遅れでは問題となるとは思えない。わたくしの疑問は、この11日から12日にかけての時点で、限られた情報のなかで、再臨界がおきる懸念があるか否かというという判断がどのようであったのかということである。最悪の事態を想定するのは当事者として当然であるが、最悪でもそれはないということであったのか、最悪ならばそれもありうるということだったのかということである。いま、われわれはそれがなかったことを知っている。しかし、それは後知恵である。その当時においてはどうなったのだろうか?
現場で背景放射線量の増加がはじめて観察されたのは、12日の午前4時である。実はまだこの時間にはベントはおこなわれていない。この時刻におこなわれていたのは、1号機の注水作業だけである。注水は原子炉内に水を注ぐ作業であるが、これが消防車によっておこなわれた。消防車の注水圧は低い。とすると原子炉側からの逆流もありうる。それによる放射能の漏れが原因ではないかというのが石川氏の推測である。あるいは注水によって、すでに融解していた混合溶解物に酸化反応がおきて格納容器に影響し、そこから漏れたのではないかという推測もなりたつ。この可能性のほうがより高いと石川氏はいうが、いずれにしてもこれは1号機からの漏れであることは確実と、石川氏はしている。
一方、実際に実施されたベントによっては背景放射線量はあがっていない。このことはSCベントの除去効率は非常によいことを示している(石川氏の試算で1/750にしている)。これはこれからの原子力安全を考える上での朗報である。万一の事故のときに積極的にベントをおこなっていいことになる。今回の事故では、ベントの許可を官邸からとるのに非常な労力を要した。ここからは石川氏の推定であるが、もしも2号機のベントが成功していれば、福島での現在のような避難生活は不要となっていたであろうという。
原子炉建屋の爆発によって背景放射線量の大きな増加はみられていない。これは格納容器の機密性は爆発によっても基本的には損なわれなかったことを示唆する。1号機は建屋の5階のみの損壊であるので原子炉への影響がないのは当然かもしれないが、1階から破壊された3号機でも増大がみられない。ここには幸運もあると石川氏はいう。最初に5階で爆発がおき、それが1階に連動したが、もし最初の爆発が1階でおきていれば、建屋一階にある機器搬入ハッチから水素が漏れ出ていたことが推測されているので、格納容器にもっと大きな変形がおき、現在よりも多くの放射能が放出されていたかもしれないという。
2号機はベントがうまく機能しなかった。そのため2号機からは、直接、格納容器からの濃度の高い放射能が外部に排出されることになった。ベントの失敗は、圧がかかれば自動的に破れるように設計されていた破裂板が破裂しなかったためとされている。こういうことは取り付けの失敗からおきることが多いのだそうである。ここに自動的に破れなかった場合には外力で破れる装置を併設していなかったことは安全への注意の不足であり設計のミスであったと石川氏はしている。
15日の午前6時ごろに2号機の格納容器のどこかに破壊が生じた。それにより背景放射線量が大きく増え、住民の避難が必至となった。
著者は3月15日に観察された毎時300マイクロシーベルトという背景放射線量は、軽水炉における炉心融解事故での最高値の目安ではないかという。ベントされない格納容器からの直接放出であるから、と。
それが拡散していく過程で、個々の場所にどの程度の汚染をおこすかは気象条件に大きく左右される。拡散は距離の自乗に比例(とかかれているが反比例?)する。
IRCPが日本政府に、この事故に際して勧告してきた緊急避難線量は年間20〜100ミリシーベルトである。この勧告は2007年にIRCPが定めたものだが、日本政府は批准していなかったため、福島の事故の支援の目的であらためて勧告がおこなわれたものである。IRCPは100ミリシーベルトを人体に影響のない上限と考えているが、2007年当時すでに20ミリシーベルトという決定をしていた国もあったため、20〜100という表記になった。国際合意においてはしばしばみらることである。このIRCPの100ミリシーベルトという基準には、それが甘い数字であるとして反対する学者グループもある。日本は勧告の一番厳しい基準である20ミリシーベルトを採用した。石川氏はまずIRCPの基準である100ミリシーベルトを越えるところの避難をおこない、それがなされた後で、状況をみて、さらに20ミリシーベルト圏の人々の避難をどうするかかんがえるという方向をとるべきであったという。最初から20ミリシーベルトとしたために混乱が大きくなった、と。さらに、最終的に、当時の細野豪志原発担当大臣が福島県知事とのあいだで除染レベルを1ミリシーベルトとすることを約束したことにより、避難民の帰郷許可レベルが心理的に1ミリシーベルトとなってしまったことは非常な問題であるとする。
原子力の現場での作業を多々おこなってきた石川氏は、80歳のいまも健康であるという。その経験からすると、現在の福島の放射線レベルは発電所周辺の汚染の高い地域を除いては人体に有害ではないと思うと氏はしている。ここが一番問題となるところであると思う。フラーの「今この世界を生きているあなたのためのサイエンス」を読んだときにも、チェルブイリの事故について、住民の健康に将来生じるリスクと住み慣れた土地を離れることからのストレスが健康にあたえるリスクの双方を考えるべきであって、そのどちらをとるかは科学では決定できないことであるということがいわれていた。
ここで石川氏が自分は健康だからということでいっている議論は、ヘビースモーカーが自分は一日3箱のタバコを50年すってきたが肺ガンになっていない、よって3箱のタバコは肺ガンを誘発しないというような論に類似した無茶な議論であるが、福島の場合も科学が決定できない部分が非常に大きいことは確かであろう。どこまでの血圧を許容するか? どこまでの肥満は容認されるかという議論と同じであって、厳しい基準を採用するほど、その基準から得られるメリットはへっていく。また、そのメリットも年齢によって違ってくる。自分が住むのはいいが、子供は住まわせたくないというひともいるであろう。発ガンのリスクが2%高まるという数字について、それが許容可能なものであるかどうかは科学を越えている。50%なら議論の余地がない。0.2%なら問題にするひとは少ないように思うが、これでも問題とするひともいないことはないように思う。ほんのわずかのリスクの増加であっても決して許容すべきでないとする方向ならばそうなる。
とにかくも、事故十日目に仮設電源が設置されて炉心冷却がはじまると、気体の放射能は個体化あるいは液体化されてSC水に混じるために、急速に放出量は減少していった。さらに6月からは浄化冷却装置が稼働し、放射線量は一段と減少した。
総合的に考えると、福島の事故はチェルブイリのものよりもずっと軽微なものであった。米・英・仏の関係者は、あれだけの大きな自然災害に遭遇したにもかかわらず、原子炉事故による直接の死者はゼロ、放射線被曝も軽微であったことに驚いているのだという。(数万人が死んだ自然災害によっても死にいたる線量を与えていないといって、原発反対から原発支持になったというひとの評論が英ガーディアン紙にでているのだそうである。) この事故によっても米、仏による日本製原子力発電の輸出の後押しは続いているのも、彼らのこの事故への見方を示している、と石川氏はいっている。
2号機のベントがうまくいっていれば、おそらく住民の避難もほとんど必要がなかったはずと、石川氏はいう。
現在、マスコミの報道では、既設の原子炉の安全装置は停電によってまったく無力になったであるかのようにいわれているが、事実は電気がなくても原子炉を冷却する装置が働き、それによって、炉心融解は遅延された。1号機のICは不運な事情で作動に失敗したが、2・3号機ではRCICは設計以上の働きをした。これが稼働しているうちに外部電源が復旧していれば、経過は全然ちがったはずである、と石川氏はしている。
今回の経過を見ると、津波についての知識は40年前からあまり進んでいないように見える、と石川氏はいう。現在、1千億円以上の費用をかけて、浜岡原発に防潮堤が建設中である。他の原発でもこの動きに続いている。これについての科学的根拠があるのか、と石川氏は問うている。防潮堤がかえって、海に戻る津波を陸地に残すことになることはないか?などの懸念を石川氏は表明している。
今回の事故を反省して、全電源喪失7日間を想定し、非常用の電源も7日間の運転能力をもつように安全の方向を改めるように原子力委員会は動いている。
今回の事件の以前、長時間の外部電源喪失は想定する必要がないとされていた。その根拠は、一つは米国での停電時間と回数の実績と日本での停電実績である。1975年ごろには日本で各地の配電網が2回線となり、そのために極端に停電時間と回数が減った。しかし米国ではいまだに1回線だけのところも多く、しばしば今でも停電がおきている。それで2回線以上の回線をかならずもつ日本では長時間の停電は考えられない、とされていた。同一立地内に複数の発電機をもつところでは、他号機からの受電も期待できるし、独立した複数の非常用発電装置ももっている、などから長時間の停電はありえず、あっても対処可能と考えられていた。また電気がなくても駆動できる冷却装置を備えていた。
チェルノブイリ事故は、「全電源が喪失した場合に発電を停止したタービンが惰性で回転しているあいだにその慣性力を利用して非常用発電をできないか」の実験中におきた。各国で、全電源喪失を想定したさまざまな試みがされていたわけである。
2001年9月11日の同時多発テロは、原子炉へのテロ対策という大きな問題を産んだ。そのため対の策について2005年に秘密裏の勧告がおこなわれ、日本にも伝達されたが、日本政府はそれを民間の原子力関係者につたえなかった。この勧告では、非常用電源の増強と分散配置が命じられている。これを実行していれば、福島の事故は回避できていたかもしれない。政府の責任は重いと石川氏はいう。
福島原発建設の時代には、非常用電源として信頼できるものは水冷ディーゼル発電機のみであった。その後、40年のあいだに、空冷やガスタービンなどの新しい信頼性の高い発電機がいろいろとでてきている。しかし、それらをとりいれないままで40年がたってしまっていた。東京電力と規制当局の怠慢であると石川氏はいう。
運転員のミスの連続によっておきたスリーマイル島とチェルノブイリの事故をふまえて、原子力安全についての考えがかわった(1992年)。機械まかせから運転管理にも責任をもたせる方向になった。格納容器の設計圧力に余裕をもたせること、運転開始前に近隣住民の避難路を用意することである。ということは過酷事故(シビアアクシデント)はありうるとして、それがあった場合の安全をどう確保するかという視点にたったということである。
圧力容器の余裕は事故がおきたときに運転員による非常時操作が可能となる時間的余裕を意味する。安全の最終責任を人間が負うということである。機械ではなく、人間の目と手による制御の必要性が認識されたということである。避難路の用意も住民避難にいたるような事故がありうると認めるということである。
それにより過酷事故対策としてベントが採用されることになった。しかし、事故対策を考えるにも参考になる事例がスリーマイル島の事故しかなった。とすれば今回の福島の事故はこれからの原子力安全対策に非常に貴重な情報を提供するものとなっている。
今回の事故でえられた教訓は、1)自然の破壊力は安全設計をうわまわりうる。これは運転ミスの連続、テロの場合でも同様である。100%の対策はなしえない。そのなかで一番対策が進んでいるのは耐震対策で、今回のマグニチュード9というのは設計で想定していた強度をこえているが、それでもすべての炉が耐えている。免震重要棟もその成果である(新潟県中越沖地震の教訓により造られた)。
2011年4月にはアメリカの原発が竜巻によって長時間の外部電源喪失にみまわれている。しかし、勧告によって強化されていた非常用電源が長時間運転でき、冷却停止を保つことができた。その後も竜巻による停電は何回もおきているのだそうである。
今回の津波の前には、福島県浜通り地方には地震の脅威はないというのが地震学会の結論であった。
もしも航空機の墜落やテロながあっても、原子炉の格納容器の破壊は困難と考えられている。
廃炉には40年かかるとされているが、その時間で可能と考えている廃炉の専門家はいない。もっとも早く炉心融解をおこした事故は1957年の英国での黒鉛型の小型原子炉での事故である。1980年開始された廃炉作業は今は中断されたままである。スリーマイル島事故では融解燃料のとりだしまではおこなわれたが、その最終処理はおわっておらず、アイダホの砂漠の中の施設で仮保管されている。
チェルノブイリでは最初から廃炉はかんがえず、30キロ圏の住民を避難させて、覆いをかぶせただけである。
本書を読んで、細部には問題があるとしても、大筋はここに書かれたような形で事故はおきたのであろうと感じる。
本書で一番意外だったのは、過酷事故がありうるという前提がすでにこの事故の前からあったということである。わたくしなどはまったくそういうことはきかされていなかったように思う。事故はありうる。しかし事故はあっても最悪でも、ここまででおさまる、という方向の議論はきいたことがなかった。
おそらくそういうことはタブーであったのだろう。少しでも危険がありうるのであれば、許容できないとする反対論が非常に強力であったので、それができなかったのであろう。
確かに著者がいうように、防潮堤建設に天文学的な費用をかける(これはどのような津波がきても、原子炉にはそれがおよばないようにするという発想であろう)よりも、非常用の電源の多重化であるとか、電力によらない物理的な制御法の追加であるとかの工夫のほうがはるかに有効性が高いように思える。
しかし、これは事故がおきうることを前提にする対策であるから、そのような対策が必要であるものはすなわち危険なものであるのだから、絶対に設置に反対であるという議論に対抗する力は、事故の記憶が生々しい現在、まったく持ち得ないであろうと思う。おそらく、今回の事故の経験によって原子炉の安全性はこれから飛躍的に高まるのであろうと思うが、それでも、決して事故がおきなくなるということではない。事故がおきても被害がもっと少なくてもすむということであろう。
医療の場においては、人間は必ずミスをするものであり、100%確実な医療などは存在せず、よいと思ってしたことが悪い結果になることもあるというこについては、一般的なコンセンサスは得られるようになってきている。しかし、そうであるからといって、たまたまその悪い事態に遭遇した患者さんや家族が納得できるかというと、そういうことは絶対にありえない。
原子炉の事故と医療事故を同じように論じることができないのは明らかであるが、われわれがしていることを100%意のままにコントロールしていくことが可能であると思うのは、科学という行為への過信であり、実際には、どこかで妥協せざるをえない。
本書を読むと、著者は長年、原子力事業に従事してきたものとして、原子力発電への愛情が強く、ここまでは許容してもらわないと困るという意識が非常に強くあることを感じる。医療に従事してきたものとして、わたくしは著者ほどではないにしても、今回の事故のさまざまなところでおきていたであろうミスや判断間違いについても、かなりな部分はやむをえないのではないか、仕方がないのではないかと感じる。しかしわたくしの周囲の多く(特に女性?)は、原子力発電などは今後はもうありえない。そんなものをこれからもまだ許容することを考えるひとがいるなど信じられない。そんなひとは人間とは思えない、といった反応である。スリーマイル島の事故以来20年くらいはアメリカでも原子力発電所の建設はできなかったようである。日本でもそうなるのだろうなと思う。あとは、化石燃料の動向、エネルギー消費の動向、大気汚染の動向といったさまざまな要素がそれを決めていくのだろうか?
本書の2/3は今回の事故が具体的にどのようなものであったかという考察にあてられており、残りの1/3が石川氏のそれに対する論考である。事故の過程がどのようなものであったかということは石川氏以外の見解のひともあるわけだから、その点を議論することは当然必要となる。しかし、今後の原子力発電の安全性の確保のための提言のような部分は、付録として本論から離したほうがいいように感じた。氏の専門性からして、どうしても原子力発電擁護の方向にいくことは避けられないわけで、氏の議論が中立的なものとは思われないだろうと思うからである。医療事故をおこした場合、第一原則は隠さない、弁解をしないということであると思う。石川氏がこのように本を書いたのも、政府が今回の事故の過程について何も正式に発表しないことに業を煮やしてのことであろうと思う。「隠さない」のほうについてはようやく動き出せたわけである。しかし関係者が何をいっても、今は「弁解している」と思われてしまうであろう。この部分について冷静な議論が可能になるためにはまだまだ時間が必要であろうと思う。
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