石川迪夫「考証 福島原子力事故 炉心融解・水素爆発はどう起こったか」(1)
日本電気協会新聞部 2014年3月
著者は原子力とくにその安全対策や廃炉の専門家。現在80歳くらい。すでに現役は引退していて、今度の福島の事故の解明も後進の仕事で、今さら老兵の出る幕ではないと思っていたが、2012年、福島の事故についての米国科学アカデミーとの会合に出て、そこで、今度の事故の解析がコンピュータによる計算と合う合わないという方向の議論が主であることに違和感を感じ、今回の事故について、物理化学的な現象解析をもっとした上で議論をしないと危うい、後輩たちはその点ひ弱であると感じ、あらためて事故がどのようにしておきたかを自分で解析をしてみた結果として本書が成立したということらしい。
著者は日本の原子力発電の黎明期からそれにかかわってきた人であり、当然、原子力発電への思い入れはきわめて強い。そういうひとの書くものであるから、その方向からの大きなバイアスがかかっていると本書が見られることが予想される。あの事故以来、日本の原子力発電関係の学者のいうことはあまり(ほとんど?)信用されなくなってきているのではないかと思う。著者もそれは意識しているのではないかと思われるので、本書の2/3をしめる第1部「炉心融解・水素爆発はどう起こったか」では、いささかくどいくらいに今回の事故(と、その唯一の前例であるスリーマイル島原発事故)でおきたであろう物理化学現象の解析がおこなわれている。事実をして語らしめようという方向である。
一読して感じるのは学問のもつ力である。今回の事故についてのまだ断片的でしかない情報と、唯一解析が行われた事故であるスリーマイル島でのデータから、机の上でなにがおきたかを推理していくわけである。ほとんどミステリを読んでいるような感じもするくらいであり、著者のいうことはきわめて説得的であるようにわたくしには思える。本書に「発刊によせて」を寄稿している有馬朗人氏は「本書により福島の炉心融解・爆発の様相は完全に解明された」とまで言いきっている。本書の主張は石川氏の推論であり、それが正しかったかどうかは後まだおおらく10年以上先に、廃炉作業が原子炉本体におよぶようになった時点においてはじめて明らかになるのであろう。
しかし少なくとも本書を読んでわかるのは「原子炉の運転停止後も続く炉心燃料の発熱を全電源を喪失したため水冷できなくなり、そのため炉心が融解し、それが水素を発生させ爆発をおこし、灼熱した融解炉心が圧力容器を貫通し、格納容器に落下し、その床のコンクリートも溶かすが、なんとか格納容器を貫く事故にはならずにすんだ」というわたくしのような素人が抱いていた事故のイメージが、事実とはまったく異なるということである。
困ったことにこれは素人の抱くイメージであるだけでなく、原子力関係のほとんどが頭に描くストーリーも似たようなものであるのだそうである。著者は「事故後3年経っているのに、どのように炉心融解に至ったのか、水素爆発が起きたのかといった事故の本質についての説明が、国からも原子力産業界からも、東京電力からもなされていません」という。なぜそうなるのか? 関係者もまた上記の謝ったイメージにとらわれているからだという。
物理学音痴であるわたくしが本書を読んでどこまで理解できたかは疑わしい。なにしろ、本書で一番問題になる物質である燃料本体の二酸化ウランを被覆するジルコニウム合金(ジルカロイ)というのを本書を読んで初めて知ったくらいの無知蒙昧であるし、本書で論じられる世界が、二酸化ウランの融解温度が2880℃であるのに対し、2000℃くらいで二酸化ウラン・ジルコニウム・酸素の混合溶解物ができ溶解するという超高温の世界なので、1000℃などはそよ風というとんでもない話になる。チェルノブイリの事故の時は黒鉛が火災をおこしたわけであるが、その火事の温度の1000℃は冷却効果をもたらしたというのである。それで間違いが多いかもしれないが、わたくしの理解したことを少しまとめてみる。
1)スリーマイル島(TMI)事故
1979年3月、今から35年前におきた。融解炉心はすでにほとんどが原子炉から取り出されて、別の場所で保管管理されている。その状況調査には日本の原子力関係者も多数参加しているが、どうもそれをよく勉強したひとがあまりいないようだ、と著者はいっている。日本の若年層は、先輩たちが作った安全実績にあぐらをかいて、実際におきた事故の勉強をおろそかにしていたのだ、と。
TMIの原子炉は構造が福島のものとほぼ同じなのだという。そして炉心融解の状態が福島の事故と非常に似ているという。
原子炉は加圧水型といわれるもので、原子炉の熱を冷やす冷却水を沸騰させない構造になっている(福島の原発は沸騰水型)。そのため水の循環経路に15メガパスカル(150気圧?)の圧がかけられている。
a)事故は冷却水の加圧器にある「のがし弁」が開いたままになったが、それに気がつかなかったことによりおきた。
b)弁が開くとそこから冷却材が漏れる。冷却水は減少する。圧はさがって沸騰がおきる。それによって生じた蒸気は圧力容器の上部にたまる。そのため炉心の水は半分くらいになった。圧も4メガパスカルまで低下した。
c)ポンプに蒸気が混じるとキャビテーションという振動現象がおきる。それで運動員はポンプをとめた。ポンプがとまり冷却効果が失われ、燃料棒の温度は上昇した。燃料の下半分は水で上半分は蒸気で冷やされている状態で、まだ冷却はおこなわれていた。
d)2時間以上すぎて、運転員が「のがし弁」が開放されたままになっていることに気づき、それを閉めた。すると蒸気の出口がなくなり、熱の出口がなくなった。燃料棒の温度は上昇していく。3時間くらいして止めていたポンプを再稼働した。その時に炉心の崩壊・融解がおきたとあとからの解析から推定される。(事故は事実上はここで終わっている。)
e)そのため、一次冷却材の放射能濃度が上昇したので、燃料の破損が推定されることになり、サイトに緊急事態が発令された。
f)さらに15分して圧の上昇をおさえるため「のがし弁」をふたたび開いた。
g)そしてまた冷却ポンプを停止した。
h)そして高圧注入ポンプがから原子炉に水を注入した。(これ以降は炉心は冠水していたと推定される。)
i)その後、弁を閉じたり開いたり、高圧注入ポンプからの注入などをしたりをくりかえしたが、それでも自然循環は回復しなかった。圧力容器内にたまった水素ガスがそれを阻害していることに気がつかなかったためである。
j)10時間後、格納容器内で水素爆発がおきた(格納容器の破壊はおきていない)。
k)16時間後、一次冷却ポンプをおそるおそる再稼働したところ、炉心の温度が急激に減少し、事態は収拾ににむかった。
この経過を理解するためにはいくつかの予備知識が必要である。
レッスン1)1970年代後半に、米国アイダホ国立工学研究所でおこなわれた出力逸走研究施設(PBF)実験。燃料棒の溶解を実際に近い条件で実験した。出力冷却不均衡(PCM)実験、すなわち冷却能力以上に燃料棒を発熱させて、強制的に燃料棒を溶解させようとしたもの。
半世紀以上前は、このような状態では、燃料棒の表面を蒸気の皮膜が包み、そのため水と接触できなくなった燃料棒が急速に高温になって溶けるという過程が想定されていた。実際に、このメカニズムは研究用原子炉などではときどき発生する。
しかし実際に実験してみると、燃料棒は焼き切れなかった(それが示唆するように現在使用される燃料棒はなかなか焼き切れないのである)。それでもう実験を停止しようと、原子炉を停めたとたんに燃料棒に破損が生じた。これは予想外の不思議な壊れ方だった。真っ黒に焦げた燃料棒がバラバラに壊れて積み重なっていた。
この実験の鍵は、燃料棒を被覆するジルカロイドが高温により酸化され酸化ジルコニウムに変化することで、それが強靱な酸化被膜となって燃料棒の表面をまもり焼き切れを防ぐという点にある。ジルコニウム酸化被膜の融点は2700℃であるのに対し、ジルコニウム合金の融点は1800℃。この被膜は冷えると脆くなるという酸化物に共通の性質を持つ。原子炉が停止すると冷却の過程がはじまり、この被膜が壊れた。これが福島での事故の過程を理解する大きな鍵になる。
レッスン2) ジルカロイ酸化
ジルコニウムは800℃くらいで、水または水蒸気と反応して酸素を奪い、酸化ジルコニウムの被膜をつくるようになる。還元された水は酸素を失って、水素となる。これが福島やチェルノブイリでの水素爆発の張本人である。この反応は1300℃をこえると止まらなくなる。それで原子炉の安全基準では燃料被覆管の最高温度が1200℃以上にならないことがもとめられている。しかしこのため、1200℃をこえると炉心が融解すると思いこんでいるひとが原子力関係者にも多い。しかし、時間をかけて温度が上昇してくる過程で酸化被膜が形成されてくるので、この膜に守られて1200℃をこれても炉心の融解はおこらないことを示したのが、レッスン1の実験である。
以上から、スリーマイル島での事故を考えてみる。事故で冷却水が失われて、燃料棒の半分が水面上にでている状態になっても、そこは蒸気で冷やされていて、400℃くらいで、炉心融解とはほど遠い涼風にような状態である(下半分は250℃くらい)。
「逃がし弁」が開いていたことに気づき、閉めたとたんに状況が変わる。蒸気が流れなくなり、崩壊熱によって温度の上昇がはじまる。燃料棒の水に浸かっていない上半分は温度が上昇し、被覆管表面に酸化膜ができはじめる。一次冷却ポンプを再起動する前の原子炉では上半分の燃料棒の温度は1500℃以上になっていたであろう。一次冷却ポンプが起動すると炉心に大量の冷却材が流れ込む。それにより燃料棒は急冷され、酸化した被膜管は脆くなり、水面上の燃料棒は崩落した。水面下にある健全な燃料棒にこれが降りつもった。それにより熱の除去がうまくいかなくなった。高温のジルカロイも水と接触できるようになった。この反応熱で燃料棒が融解した。融解した燃料は一塊となり、その表面は水を接触して冷え、卵の殻のような薄い皮膜を表面に作った。炉心崩壊と融解は2分ほどでおきた。ジルコニウム水反応の発する熱量はそれほど激しいことをそれは示している。
それによって発生した水素はすぐに水素爆発をおこしたわけではない。何か着火するものがなければ爆発はおきない。この事件では水素発生から7時間くらいして爆発がおきている。
この水素ガスのため、運動員の自然循環回復の試みは成功しなかった。しかし、そのことに運動員は気がつけなかった。事故後16時間たって、ようやく運動員は原子炉の中に非凝集性のガスが充満しているのであろうと気づいた。
この時の行われた一次冷却ポンプの再稼働は根拠があっておこなわれてことではなかったが、「試し」におなったこの操作によって、炉心の温度は急激に低下し、一次冷却循環が回復した。これによって融解した炉心の状況が保持され、後世に事故の実際が残されることになった。これがなければ福島の事故の過程の推測は困難であったはずである。完全な炉心融解に至る前の状態が保存されたのである。
ここで一番大事なのは、炉心を融解させたのは、原子炉燃料の崩壊熱ではなく、高温ジルコニウムと水の激しい化学反応によるということである。
このスリーマイル島事故以前には、炉心融解といえば、炉心燃料である二酸化ウランの融点である2880℃でおきると思われていた。とすれば融点が1400℃程度である鉄製の圧力容器などは簡単に溶かされ、その穴から落下した融解炉心の崩壊熱で格納容器のコンクリート床も溶かされるとも思われていた。これが映画「チャイナシンドローム」で描かれたメルトダウンである。NHKの報道などで使われる炉心融解のイメージにもこれが使われている。多くの原子力関係者もまたこれを信じている。しかしスリーマイル島事故で融解炉心は圧力容器の中に残っていた。
この事故は一日で収束している。しかしもうすでにおきていた水素爆発を懸念する避難が3日目からおこなわれた。
この事故の全容が明らかになったのは事故後10年たってからであった。この10年のタイムラグが事件を忘れさせた。日本の原子力関係者もまた注意をはらわず、勉強もしなかった。そして30年たって福島の事故がおきた。スリーマイル島の事故が忘れられていた証拠に、福島の事故はスリーマイル島事故と類似していると指摘したひとは指導者のなかにはいなかった。また、炉心は融解していないと、東京電力も原子力安全・保安院も政府も2ヶ月間言い張り続けた。
福島の炉心融解も、スリーマイル島事故と同じく、高温になった被覆管のジルカロイと水の間の化学反応の発熱によって生じたのである。そこで問題になるのが炉心の燃料棒の温度と注入された水の量である。この二つがある条件になったときに炉心は融解し、水素ガスが発生し、それが爆発を引き起こす。
わたくしなどは不勉強であるので、今回、この本を読むまで、ジルカロイなどという物質も知らなかったし、水素爆発の原因もそれが関係するということも知らなかった。
おそらくわれわれの頭に強烈に焼き付いているのは水素爆発によって破壊された原子力建てやの無惨な姿であり、それにより原子炉事故というのは、あのようなコントロール不能な状況を引き起こす恐ろしいものであるというイメージが形成されたのではないだろうか?
水素爆発はジルコニウムと水の反応によって生じた水素によるのであり、そうなるのはすでに炉心融解がおきていたからなのである、という因果関係は炉心融解はおきていないという公式発表をきかされ続けていたわたくしにはこの本を読むまでは思いもしないことであった。水素爆発の前にすでに炉心融解はおきていたのであり、水素爆発はその結果であるという因果関係の順序もはじめて理解できた。水素爆発がおきてしまったので、すべてはコントロール不能の状態に陥ってしまったのであり、それがおきていなければ、もう少しなんとかなっていたのではないかというようなイメージであったのである。
わたくしは、福島住民の避難というのも、これから起きるかもしれないもっと大きな爆発事故と、それによって拡散されるであろう放射能による被害を回避するためのものであって、経過をみて、もう爆発などの新たな事故がおきる懸念がなければ、また戻るという一時的な措置なのであろうと最初は思いこんでいた。避難のまま現在にいたるというようなこともまったく予想していなかった。
この避難措置について著者はきわめて批判的なのであるが、それはまた後に論じるとして、この事故について事実としてどのようなことがおきていたのかということについて、今まできちっとした公式の説明がなされたことがあるのだろうか? もちろん、ここで著者が述べていることは仮説であって、遠い将来に福島の原子炉の廃炉作業が進んで、燃料の取り出しがおこなえるようになってはじめて真偽が確定することなのであろうが、それでも本書を読む限りにおいてはきわめて有力な仮説であると思えるので、細部については議論の余地があるのであろうが、大筋においては正しいのではないかと思える。つまり事故のどの時点で炉心の融解がおきたのであり、水素爆発がおきたのは何故で、融解燃料は基本的に圧力容器の中にあるのか否かといったことについては、現在でもある程度は合意が可能なのではないかと思う。
予習でかなり長くなってしまったので、福島の事故の解析という本題は稿を改める。
- 作者: 石川迪夫
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