福島第一原発見学

 
 機会があって福島第一原発を見学することができた。
 昨日、いわき市に泊まり(七夕祭り?とかで大変なにぎわいであった)、朝そこを出て、まず福島第2原子力発電所にいき、そこで説明をきいたあと、第一原発を見学、その後また第2原発に戻り、Jヴィレッジを見てからいわきに戻るというスケジュールである。
 文字通りの見学で、車の中から1号炉から6号炉までの周囲を見ただけであるが、それでも現場の数十メートル近くまではいった。車の中からという条件ではあるが、特別の装備もなく(一応、普通のマスク・手袋などは着用)そこまでいけるくらいに放射線量は低下しているわけである。1〜4号機まですべてカバーで覆われているため、われわれの頭にある、水素爆発で外壁が吹き飛んだ原子炉建屋というイメージとは随分異なって、そこだけ遠くから見るととても静かなイメージであった。その周辺にはひたすらタンクが林立している。すでに3年以上たっているが、いまだ出血への応急処置であり、廃炉という根本治療にとりかかれるのはまだ先であり具体的な見通しがつけられない段階のようであった。
 第2原発への入場の管理も厳重であったが、第一原発では一人一人の個人認証と線量管理が徹底していた。
 帰路、少し海岸の方をみたが、いまだ津波の爪痕がなまなましいところがたくさんあった。
 原子炉近くは人家があっても、すべて立ち入り禁止地域のため誰も住んでいない。少し離れて、戻ることが可能とされているところでも実際には10〜20%くらいの人しか戻っていないということで、地域の再建もまた先がみえない状態であることが実感された。
 あちらこちらで除染作業をしていたが、作業している向こうには草原や山々が広がっている。道路とか人が住んでいるところだけを除染しても、そういうところに手がつけられないと、効果は限定的であろうと思われる。すでに3年の時間がたっているが、先が長いことを痛感させられた。
 3年前、3・11の2月後に福島にいったときには道路のあちこちに亀裂や凹凸があり、地震の跡が生々しかったが、そういう点にかんしてはほとんどわからないまでに回復していた。しかし原子炉事故の影響は孫かひ孫の代まで続いていくことは確実である。